2006年01月12日

(名将言行録) 陣頭指揮

マガジン「名将言行録」70号関連記事

 些かタイムリーさを欠いて、もはや先々週号となる第70号に関する記事ですが、遅れ馳せながらひとつ思い当たるお話をしておこうかと思います。

 70号では、前田利家が戦陣の織田信長を懐古しながら、指揮官の陣頭指揮について触れる件りがありました。

 いわく、
 合戦の際に大将が本陣にばかりいて、先陣の一段二段も崩れれば、必ず敵に押し立てられ、思いも寄らぬ負けを取るものだ。
 かの信長公は、先陣として並びなき将である柴田勝家や森可成らを先手に据えておきながらも、かつ御自身は本陣を据え置いて、馬上乗り違え乗り違えして馳せ廻っては自ら先陣を鼓舞し、力づけ、号令なさったもの。
 勝ち戦さであれば思いのままに討ち伏せ、もし味方不利であれば退却を命じられる。
 大将が本陣にばかりあっては不覚をとるものだ、と。

 例により筆者の個人的な経験と考察ではありますが、「陣頭指揮」ということについて少し述べてみたいと思います。


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2005年12月30日

(名将言行録) 「仁」

マガジン「名将言行録」69号関連記事

 マガジン「名将言行録」第69号(配信が遅れ、申し訳ありませんでした ^^;) では引き続き前田利家、その第二回をお送りしました。
 今号では、秀吉に佐々成政を赦せと進言したくだり、そして利家が仇敵の弟を懇ろに扱った際の世評と、いずれも「仁」という徳に関わるエピソードだったといえるかもしれません。

 そこで、あらためてではありますが、「仁」という徳について、とりわけ武将、武士にとっての「仁」ということについて、今日は少しお話をしてみたいと思います。

 さて、「仁」というと、皆さんはどのようなイメージをもっているでしょうか。

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2005年12月20日

(名将言行録) 緊張と弛緩への着意

マガジン「名将言行録」68号関連記事

 編集後記的なものをしたためるのは久しぶりとなりました。^^)

 さて、マガジン68号では、前田利家の、いわばこれも一種の人心収攬術とでもいいましょうか、家臣を怒らせて士気を高めたというエピソードが紹介されていました。

 この手のエピソードは古の名将の逸話としてしばしば見かける類のものですが、往々にしてそれらの「テクニック」は、自身の人間力やあるいは人間関係力といったものの裏打ちの無いままにただ真似ると、かえって関係を損なう危険も多々あります。
 今日は、そうしたテクニカルな(悪くすると小手先の手練手管に堕ちる)ところとは少し距離を置きつつ、筆者の経験から思うところを少し紹介してみたいと思います。

 それは、部下の心理の緊張と弛緩に対する着意というものです。

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2005年08月30日

(名将言行録) 観察力

マガジン「名将言行録」55号関連記事

 「名将言行録」第55号は上杉景勝の第3回でしたが、これまでに紹介してきた多くの優れた武将たち同様、やはり観察力、ものを観る力という点で際立っていた様子が描かれていました。

 このblogでもしばしば引用紹介しておりますが、今回も再度、前回に引き続き「よみがえる武士道」から、そうしたことについて述べられている部分を少し紹介してみたいと思います。


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2005年08月09日

(名将言行録) 名将たる中庸

マガジン「名将言行録」53号関連記事

 「名将言行録」第53号では、上杉景勝の人柄を語って、「もの柔らかく、一見手ぬるい性格かと思えばそうではなく、怒るときには恐ろしく、その怒りの恐ろしさから不仁であるかと思えば慈悲があり」という評を紹介しています。

 ここでは、「甲陽軍鑑」が語る名将の条件というものが思い起こされます。
 今日は、少しそれを紹介しておきましょう。

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2005年07月26日

(名将言行録) 他者の経験で学ぶ

マガジン「名将言行録」51号関連記事

 名将言行録第51号では、上杉謙信の口癖のエピソードのひとつとして、「自分は義経に戦いを学んだ」という謙信の言葉を紹介しました。

 曰く、人々は平家物語などを聞いても(現代であれば「読んでも」となるでしょう)、ただ物語として聞くばかりだから何の役にも立たないが、自分は、常に義経の立場に立って自分ならどうするかと考え、義経の行動と比べ、ということをしているのだ、と。

 一見たいした話でもないように思えるかもしれませんが、例えば歴史に対しても、このような態度で向かい合っている人というのは少ないものでしょうし、エネルギーのいることでもあるでしょう。

 しかし、個人の体験ということに限界がある以上、歴史であれ、同時代のニュース等であれ、ただ他者の経験「を」知るのではなく、他者の経験「で」学ぶということは、非常に有益だと思います。

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(名将言行録) 神を拝む

マガジン「名将言行録」51号関連記事

 名将言行録51号では、上杉謙信と毘沙門天のエピソードを紹介しました。
 謙信が毘沙門天を信仰していたことは有名ですが、その彼が、「我なくば毘沙門もありはせじ」、そして「自分が百回も毘沙門天を拝んでいる間には、毘沙門天も五十回や三十回ほどは自分を拝んでいるものだ」と言うエピソードでした。

 これは、ともすると非常に不遜な言動ともとれる話ですが、しかし、ここにはむしろ「神と人間」ということにおける本来の日本人の根本的な姿勢が感じられるような気がします。

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2005年07月12日

(名将言行録) 危機管理の想像力

マガジン「名将言行録」49号関連記事

 マガジン49号では、「危機管理の想像力」と題して、謙信越中攻めの折の上杉軍渡河連絡用の浮き橋について、降雨増水の際に敵が浮き橋を破壊しようと上流から材木を流す可能性を予期し、あらかじめ対策を構えておいたというエピソードを紹介しました。

 このエピソードはごくごく些細なケースの一例に過ぎませんが、古今東西、世のさまざまな名作戦であり、優れた危機管理施策というものの多くは、優れた想像力を基盤にして生まれ得るものであり、またしたがって、世に名将と名を馳せる人物とは、戦況に対して、あるいはさまざまな危機の可能性に対して、洞察力のみならず実に優れた想像力を持つ人々です。

 今回は、こうした「良き想像力」というものについて少し考えてみましょう。

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2005年07月05日

(名将言行録) 指揮官は驚かず

「名将言行録」48号関連記事

 マガジン48号では、上杉謙信が陣中に味方の裏切りに遭った際の颯爽奮戦のエピソードを紹介しましたが、特に「名将言行録」の淡々とした筆致もあって、一見してさほど大きな感慨を抱かない向きも多いかもしれません。けれども、こうした様子は「危地」における優れた指揮官の真骨頂であるともいえます。

 この点について、少し考えてみましょう。

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2005年06月07日

(名将言行録) 無信不立

マガジン「名将言行録」44号関連記事

 マガジン44号では、上杉謙信が国内諸将から請われて越後の国主を引き受ける段のエピソードが紹介されていました。
 ぜひ主君にという声に対して、命令に従わないものがいれば到底指揮などとれないと言って断り、人々が誓詞を出して請うてはじめておもむろに応えたという話でした。
 (ちなみに、マガジンではまだ先になりますが、後に関東管領上杉家を嗣ぐに際しても、やはり再三の要望に固辞を重ねたうえでの応諾となります。)

 あるいは、「無信不立」(信無くんば立たず)という言葉を思い浮かべた人もいるかもしれません。
 最近では、小泉総理の引用で有名かもしれませんが、もとは論語の言葉であったかと思います。

 「信頼」(あるいは「信任」)ということは、指揮において、あるいは政治において、非常に重要な要素です。
 今日は、そのへんのことについて少しお話ししてみたいと思います。

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2005年05月17日

(名将言行録) 「同役」「月番」制度

マガジン「名将言行録」41号関連記事

 今週の「名将言行録」では、武田信玄の、部下を配置するにあたっての組み合わせ、釣合いという着意についてのエピソードがありました。
 諸将の性格等を考慮の上、互いに補い合えるような組み合わせで人事を考えるというものです。

 さて、そこでそのくだりの一部をここに再度引いてみましょう。

  あるいは、猿渡丹下という者と、某という者があったが、信玄はその両名を同役に任命して言った。
 某は剛直であり、丹下は柔和な者だ。両名相和してあたらせれば、水と火とでものを煮ることができるように、うまくいくに違いない、と。
 果たして信玄の目利きのとおり、両者は相和してうまく役目を全うしたということだ。


 ここで「同役」という言葉があります。
 この「同役」ということについて、少し別の話をしてみたいと思います。

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(名将言行録) 調子の波を知る

マガジン「名将言行録」41号関連記事

 今週の「名将言行録」では、武田信玄の言葉として、武家においては家の運が尽きても、そのことに気づきさえすれば、政治のやり方などで何とか三代の間ほどは亡びずにやっていけるものだ、という話を紹介しました。
 また信玄は重ねて、目の不自由な者のほうが、山道で谷に落ちたりするという話を滅多に聞かないものだ、逆に、谷に落ちたといえば目の見える者ばかり、これは、目の不自由な者が「谷に落ちるかもしれない」と慎重であるのに対し、目の見える者は谷に落ちることなど考えもせず油断しているからだと、このように言います。

 これらの言葉は、一家や一国の興亡ということに限らず、より小さな戦いのレベルにおいても、個人の勝負、あるいは人生においても、非常に含蓄のある話だと思います。

 そのあたりのことについて、今日は少し考えてみましょう。

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2005年04月19日

(名将言行録) 証拠ある申し様

「名将言行録」37号関連記事

 「名将言行録」37号では武田信玄の第三回をお送りしましたが、「踏まえ所」という信玄の信条についての件りがありました。

 実はこのことは、三好長慶を扱ったマガジン15号でも似たような話をしたことがあり、blogでも記事を掲載しました。
 (過去記事:推量を排する危機管理

 確かな根拠、「踏まえ所」を求めるということは、信玄の信玄らしさの中でも最も特徴的なことのひとつであり、「甲陽軍鑑」にも折々強調されているところです。

 さて、上にも記した過去のblog記事でも、管野覚明氏の「よみがえる武士道」という書からの引用を紹介しましたが、今回は、再び同書から、さらに前後の部分を紹介しておきたいと思います。

 僕自身の見解については、以前の三好長慶の記事(上記)で書いた通りですので、あわせて再度見ていただければと思います。

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2005年04月12日

(名将言行録) 心理掌握、叱責(後)


 (前編からのつづき)

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(名将言行録) 心理掌握、叱責(前)


 「名将言行録」36号では、武田信玄の第二回としてお送りしましたが、今回は、信玄一流の人間心理掌握ともいえるエピソードがいくつか紹介されました。
 マガジン冒頭にも書いたとおり、一般に、軍の指揮官とは心理学者でなければならないということがよく言われます。(もっとも、これは必ずしも軍に限らず、人を指揮指導する立場では必要なことであろうと思われます。)

 マガジンblogは随分と久しぶりになってしまいましたが、今回は、この、指揮官に求められる心理学者的側面と、また、これも今回のエピソードに紹介されていた「叱責」すべき場面での対応ということ、この二点について、僕の思うところを少し書いてみたいと思います。

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2005年02月01日

(名将言行録) 大敵と小敵

「名将言行録」26号関連記事

 マガジン26号では、備中高松に秀吉の大軍をむかえ、吉川元春が小早川隆景に対して、大軍相手と小敵相手の戦いの違いということを語っていました。

 これは実に戦いというものの一面の真理をついたものだと思います。
 さらには、かの「葉隠聞書」にいう「大事の思案は軽く、小事の思案は重く」ということをも思い起こします。(僕自身の座右銘のひとつでもあるので、度々言及しますが ^^;)

 元春の言い条、あらためてここに繰り返してみましょう。
 マガジンは口語意訳でお送りしていますが、ここでは風合いをも楽しむべく、原文で紹介してみましょう(ただし漢字は一部を除き新字体にしてあります)。

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2004年11月16日

(名将言行録) 気概

「名将言行録」18号関連記事


 マガジン18号では、毛利元就12才の折、厳島神社参詣の際のエピソードを紹介したくだりがありました。

 彼いわく、日本を取ろうというくらいに思っていてようやく、何とか中国地方を取ることもできるだろう、最初から中国地方を手中にしたいなどと言っていて、どうしてそれが実現できるだろうか、と。

 そして、私は、名将言行録に紹介される名将たちに限らず、何事かを成し遂げた多くの人物たちというものには、こうした、気宇、気概にまつわるエピソードが多くある、願わくば私たちも、それぞれに気概と気宇を持って人生に向かい合いたいもの、というコメントを書きました。

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2004年10月26日

推量を排する危機管理

 マガジン「名将言行録」第15号関連記事


 15号では、三好長慶の若い頃の話として、古く新田義貞の言葉と例にして、推量は排さねばならない、ということを長慶が老臣たちに説く場面がありました。
 このエピソード自体は、戦いの場の話ではありませんでしたが、そのような場面においても口をついて出るほどに、長慶の胸には、このことが「鉄則」のように刻み込まれていたのでしょう。

 そこで、「推量を排する」ということを、戦いにおいて、また危機管理的な面から少し考えてみましょう。


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2004年10月12日

信賞必罰(後編)

 ※ 名将言行録マガジン13号関連記事


 (前編記事からの続き)

 信賞必罰が適切でないケースと、それを防ぐべくどのように着意すべきかということを述べてきましたが、さて、ところで、そもそも果たして賞罰が適切でなければならない理由は何でしょうか?
 これは常識的な問いだと思うかもしれませんが、少し考えてみましょう。


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信賞必罰(前編)

 ※ 名将言行録マガジン13号関連記事

 「名将言行録」第13号では、山中鹿之助の主君への諫言から、信賞必罰ということについて少しお話ししました。

 組織と信賞必罰、ということについて、もう少しお話ししてみたいと思います。

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