近年、とりわけ教育問題において、あるいは社会問題について、「公」と「個」ということが熱く語られることが多くなっている。
大きな枠組みでは、それは(多分に思想的な部分も含めつつ)「公」と「個」の、さながら対決ともいえる様相を見せもし、あるいはより穏当にはその両者のバランスということが言われる。
対決という観点で見れば、あくまで「公」より「個」という勢力と、「個」だけではなく「公」をという勢力のせめぎ合いのようだ。(あくまで「個」より「公」という立場は、論理的には想定し得るが、現在のところ勢力といえるほどの存在は示していないだろう)
もちろん、その間のバランスは相対的なさじ加減の問題であって、上記のように明確に区分できるものではなく(実際「公」などどうでもよいとまで言い切る勢力は無視してよい程度にごくごく小さいので)、要は「公」と「個」の重み付けの問題ではある。
僕自身、この議論においては、あまりに「個」の重視に偏重した今日の教育、社会制度を懸念し、社会としてのバランスをもう少し「公」側に振ることを構想する立場ではあるのだが、近頃は、この「公」と「個」という命題の立て方をあまり適切とは思えず、むしろ「個」の中の「公私」という考え方をするべきだと思うようになった。
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