どうも、うまく検索でヒットしてしまうのか、かつは世間の関心の高さ故か、ほぼ1年も前(正確には364日前 ^^;) の古い記事でありながら、皇統問題に関する記事に反応、コメントをよくいただく。(「女性天皇」)
そこでは、「古人の発想が全くナンセンスとは限らない」ということの一例としてY染色体の話なども交えたのだが、そこに格別の着意をもってコメントしてくれる方が多い。
しかしそれ(遺伝学上の話)は僕の勝手な一例であって、むろん僕が古人の思いを言い当てているわけもない。
あくまで、ある時代の知恵だけで一方的に物事をナンセンスと決めつけるわけにはいかないという、その可能性の一端を示しただけだ。ある時には意味不明であったことが、後に「科学的に」理解されるようになるということは、そう珍しいことではない。
たとえばある種の呪術的意味があったとしても ^^;) 、今日においてそれは「科学的に」理解はできまい。これは突飛な例だけれど、これとて、過去の歴史を見れば、どのような事柄も「科学的」に説明可能となるまでは「非科学的」であるとされるものだし。^^;)
しかし、そうした、ナンセンスかどうか、無意義かどうかということを別にして、場合によっては仮に古人の男系への執着が仮に無意味なものであったとしても、
僕の立場は、このような類の、その存在が伝統に立脚するような制度については、国家であり国民でありに対する格別の危害、障害のない限りはその伝統に従うのが「維持」ということだし、その方途を考えるのがまず第一であろう、というものだ。(少なくとも、ものの順として)
ともあれ多少の誤解が生じるのも偏に僕の表現力の問題であろうし、今日はまた少し異なった角度から付言してみたい。
それは、王統に類するようなものの「たしからしさ」ということだ。
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