2008年05月31日

軍は政府の道具/軍のプレゼンス



 四川の震災に関わる救援物資の輸送に空自機を使うの使わないの、みっともない迷走は、しかしこれはもう済んだ話。
 (追っての報道によると、これはもう… 僕を含め、net上でさまざま意見を開陳しておられた人々の間で議論されたような高度なレベルのものではなく、はるかに低次元での迷走ぶりだったようだ。嘆かわしい。が、もう今日はそれは措く。)

 済んだ話だが、別の点で ひとこと付言。

 実は、先日の報道過程において、一部では、防衛省筋の話として、「政府に利用されている」との不満が報じられていた。一方で、「それでも人道上の話なのだからやり甲斐はある」とも。
 もちろん、姓名官職を伏せての談話記事だから、当該記者たちが実際にどのような経緯でどのような立場の人物からきいた話なのかはわからないけれど。

 しかし、一般の声としても、こうした感慨は散見された。
 「いいように使われてる」的な。


 ところで、こうした考えは、まったくスジを違えている。
 これが僕のいうところの「付言」 ^^)



 第一に、
 自衛隊も含め、軍隊組織というものは、例え話ではなく真正文字通りに、政府の道具だ。それが正しいあり方。
 政府の道具であり、政策の道具だ。
 (「TOP GUN」のような、軍隊賛美的(は言い過ぎか)な映画においても、こうしたことは力説されてる。ちなみにこの映画ではヴァイパーが言ってたっけ?)

 第二に、
 そして、政治における軍隊の本質は、そのプレゼンスだ(とりわけ今日においては)。
 部隊がそこに存在すること、そのプレゼンスの置きかたが、政治だ。

 今回の外務省の思惑(結果的に暴走迷走の観は否めないが)も、それが日中の軍組織の交流であれ信頼醸成措置であれ、国民レベルでの対日感情を意識したものであれ、部隊を現地にプレゼンスさせることに意味がある。

 時々に臨んで米国が艦隊を台湾海峡に派遣するのも、そこで図られるのは、その時、その場所における、軍のプレゼンスだ。
 こうした作戦行動の場合においても、それは何らの無駄足であろうわけもなく、逆に実際の戦闘でも生起しようものならば、多くの場合、それは政治の失敗といえることもあるだろう。



 軍はあくまでも政府と政策の道具であり、
 そして軍の本質とはプレゼンス性だ。

 戦闘行為に任じることは、なるほど軍の使命だが、政治における軍の本質とは、戦うことではない。そのプレゼンスなのだ。

 自衛隊部隊において不断に追求されるものが、「精強性」という言葉で表現されるのも、本来こうした考えをしっかり含んでのことだ。

 そして、プレゼンスを支えるものを 「武徳」という。
 あるいは「鞘の内」とも。


posted by Shu UETA at 00:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 天下-安全保障・外交 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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