2004年11月04日

憲法の理念等

music We Built This City / STARSHIP

 priestkさんの「ぷち総研」での記事もはや「憲法」とは呼べないを拝見して、ちょっと考えてみた(コメントとするには長過ぎるので ^^;)。


 私の趣旨は以下のような感じのもの。
  1.  歴史的経緯及び今日の概念では、憲法(constitution)の意義が国権の制限にあることに異議なし
  2.  よって遵守擁護義務が国権の運用者に向けられるのは当然
  3.  同時に、憲法(constitution)には規定側面とは別に国家理念側面あり
  4.  国家理念側面で、これを国民が共有しようという意義はある
  5.  priestkさんの記事にある自民党憲法調査会の錯誤が事実とすれば、この点での混同かと推測する
  6.  憲法は国民が定めるという前提から、「国が国民の行動規範定める」という見方は(朝日かどこか知らないが)やや悪意あるすり替えかとも

  7.  個人的には、(西洋)歴史的憲法観は日本にはそぐわないと思う
  8.  しかし、今日の国家システムはそれに基づいており、後戻りもできない
  9.  国権制限機能と国家理念面を認識しながら新憲法は策定したい

  10.  規範、理念ともに、自然発生的な国民常識観に基づくべき
  11.  constitution とは、「国体」と訳し得る概念だと思う


 ■ 国権の制限

 近代法の歴史的経緯(西洋)から、憲法というものが、君主や国家の権利の制限という趣旨から生まれていることは明白。彼らの考え方は、国家(まして君主)と国民は常に対立するプレーヤーであるという概念から自由ではない。日本が明治において、憲法の制定を急ぎに急いだのも、共和制ならまだしも、君主を戴く以上、君主の恣意的な権力使用を防ぐ立憲君主制の態勢を整備することが、西洋の目から見た近代国家認定の大条件であったからだろう。

 そうした文脈上で、現憲法においても99条の規定が必要不可欠であるのは自明だ。これは、国権運用者が憲法を遵守擁護することを義務づけたもので、この規定がなければ、国権の制限という趣旨自体が成り立たない。^^;)
 (99条:天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負う。)
 (原案も同趣旨:the emperor, upon succeeding to the throne, and the regent, ministers of state, members of the diet, members of the judiciary and all other public officers upon assuming office, shall be bound to uphold and protect this constitution.
all public officials duly holding office when this constitution takes effect shall likewise be so bound and shall remain in office until their successors are elected or appointed.)

 ちなみに、我が国で憲法なる言葉ができたのは、聖徳太子の十七条憲法だと思うが(前書きで、太子が「憲法を」と読むのか「憲し法を」と読むのかはわからないが)、この十七条憲法も国民一般に向けてではなく、官吏に向けてのものであるのは面白い。もっとも、国権の制限という意図からでは全くないが。

 ■ 国家理念(国民共有理念)

 同時に憲法には、国家としての理念を高らかに宣言し、国民の共通理念とする意義もあると思う。米国などは、こうした色調も強い例のひとつだろう(もちろん近代法体系としての国権制限もしっかり踏襲している)。そうした米国が作成したため、現日本国憲法も、そうした味付けが十分にされている。

 そして、あくまで私の推測だが、priestkさんの記事に紹介されている自民党憲法調査会の誤謬とは、こうした面との混同なのではないかと思う。それらの人々は、あるべき国家像、理念をしっかり国民間で共有したいという意図から、かつ前述したような近代法における憲法の意義にあまり詳しくなく、そうした言動をとっているのかもしれない。
 実際はどうだか知らないが、もしそうだとすれば、「憲法に掲げる理念の共有」ということについては、また別の部分、別の表現で盛り込めばいいことだと思う。現憲法でも、前文はそれに近い意味を持つし、12条では「国民はこれを支持すべき」的な表現をしてある。(12条:この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを支持しなければならない。以下略)

 いずれにせよ、憲法は罰則規定をもつような性格のものではなく、あくまで国家のあり方を示したものであって、この「国家のあり方」の中に、ハードとソフトのように、ハードとして「国権の制限」を含んだ体制等の事項もあり、ソフトとしての「国家理念、国民の共有理念」も含まれる。(広くとれば、ハード面だって理念ということができるが)

 私個人としては、日本人がどういう社会を目指し、どういう国家を標榜するか、ということを憲法は重視したいものと思うが、そのことを憲法に定めたからといって、それが、国家による国民規範の押しつけといったような意味にはならないと思う。
 その制定過程が正しく踏み行われさえすれば、憲法とは国民によって定められるものであって、憲法=国家の押しつけではないはずだから。

 さて、ちなみにまた十七条憲法であるが、その規定がきわめて道徳的な事項に終始していて、子供の頃はじめて内容を知ったときには、「憲法」、特に「法」という響きとの違和感を覚えた人も多いと思う。
 しかし、(十七条憲法の例は、今日の憲法とは全く別のものであるにも関わらず)憲法とは本来ある意味そうしたものであって、憲法以下に制定される法律とは、法とはいっても多少性格を異にするものだと思う。あらゆる法律は、憲法の「規定」というよりも「精神」に則って制定、運用されるものだ。だからこそ、いつも違憲審査は難しい。明確な規定云々より、その背後にある「精神」なるものとの合致を問わねばならないから。

 ■ 日本人の理念の反映

 さきの例の自民党憲法調査会の混同(の可能性)の根本にあるのは、今の憲法が必ずしも日本人が自然に感じている理想や理念を今の憲法があまり反映していない、という問題意識によるのではないだろうか。もしそうなら、この点では、実に私も見解を同じくするところだ。

 国民の規範を国家が定めるのはおかしいという非難は、前述したように、憲法制定の形式的に既に誤った認識だと思うが、それに加えて、何も規範を押しつけようというのではなく、より日本人が本来的に共有している理想や理念を、より取り込もうということは、憲法本来の意義に合致したものだ。

 現憲法制定時の手続き的正当性には意見がさまざまであるが、仮にこの点の問題を無視しても、いずれにせよ、起草者が日本人でないことは事実であり、そこに込められた理念が起草者の理念であることも否定はできない。そして、仮に手続き的問題がないとした場合には、日本の議会によってこれが最終的に制定されたのだから、少なくともその内容、その理念に同意したということになる。
 さて、私が言いたいのは、現憲法の内容の否定ではなく、内容に賛成であることと、だから内容が十分であることとは別であってもおかしくないということだ。

 今日言う憲法は近代法体系におけるconstitutionの訳語であるが、このconstitutionとは、日本語でいうなら「国体」という概念をも多分に含むものである。国体とは、その国の歴史的背景の中で涵養されてきた共有感覚や理念によるものであるが、これを反映していないconstitutionなどというものは本来あり得ない。(伊藤博文がドイツで最も強く指導されたのがこの点であった。ヨーロッパにおける各学派のことは措くとして。)
 そうした意味で、たとえば貞永式目や五箇条の御誓文こそ、本来のconstitutionの性格に近いものだったと言える。ちなみに、貞永式目の特徴が「道理」と「頼朝以来の武家の習」によるものであることは、誰もが歴史で習ったことだろう。

 しかるに、現憲法では、こうしたものを著しく欠く(起草状況からしてやむを得ない)。私が言わんとするのは、現憲法の理念を否定するというのではなく、足りないものがあるという意味である。
 現憲法にある理念については、当初がどうであれ、少なくとも今日においては、50年余を経て、いずれにせよ今日の日本人の共有理念になっている部分もあろうから、それが今日日本人の血肉となっているならば、それについてはそれで維持すればよい話だ。
 ただ、他に日本人固有の価値観や理念というものが、反映されてしかるべきではないか、という意味でもし先の例の自民党憲法調査会が意図しているのだとしたら、(それを99条と絡めるという見識不足はいただけないとしても)その意図自体は、私は支持したいと思う。

 日本人の肌合いや感覚、歴史的に涵養された意識や理念、理想、それら一切のものから遊離したものとして、現憲法が存在する(文体ひとつ見てもそうだ)。それらを反映したものを制定してこそ、憲法は、より明確なイメージと親しみを伴って人々から尊重されるものとなり得るだろう。

 真実一路の旅なればは、憲法関連の資料が一カ所に揃っていて便利です。愛用サイトのひとつ。

cover
 



 まったくの余談だが、
 なかなか面白いサイトがあったので紹介

 『十七条憲法』の考察
 なかなか面白い。書いてる人は、いい人なんだろうなと思う。^^)
 ちなみに、聖徳太子も織田信長も尊敬しているという点では、僕と同じだ。

 十七条の憲法は誰のためにつくったか
 たまたま見かけた、小学校の社会科の教案みたいだが…いろいろと疑問も。
 多少のストレスを受けても苦にならない人は一見を。今日の教育現場の一端をかいま見ることができる ^^;)

posted by Shu UETA at 20:33| Comment(4) | TrackBack(2) | 天下-vision・社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
 大変参考になりました。shuさんのご意見に異議はほとんどないのですが、「こういう解釈もあり得るかな」という気持ちで、以下のコメントをさせていただきます(^^)

 憲法の「国家理念(国民的共有理念)」側面について、たしかに見落としていました。この側面は現実に存在しますし、議論する価値が十分あります。
 ただし、僕は、やはり憲法の「本質」は国権の制限にあると思うのです。(西洋の)歴史からすれば、君主の恣意的な国家権力の行使を制限しようとした「立憲主義」の精神は、「国民的共有理念の普及」に先行して成立しているように思われます。1689年名誉革命におけるイギリス権利章典、1791年アメリカ合衆国国憲法、1791年フランス憲法といように。
 もちろん、こうした憲法に「国家としての理念を高らかに宣言し、国民の共通理念とする意義」が無かったわけではないと思います。

 問題は、歴史学の知見からして、憲法制定当時のイギリス、アメリカ、フランス等に実体としてのネーション(=国民)は存在していなかったことです。近代国家による全国一律の歴史教育や国家と国旗の法制化を通じて、歴史の共有が行なわれ、「われら」概念の育成がなされてきたと考えられます(この時点で身分制の実質的解体が行なわれた)。

 以上をまとめますと、まず、憲法は国権制限として誕生した。次にネーションを創出し、一体化させるプロセスの段階で、「国家理念の共有」の側面が重要になってきたと言えるのではないでしょうか。

>国体とは、その国の歴史的背景の中で涵養されてきた共有感覚や理念によるものであるが、これを反映していないconstitutionなどというものは本来あり得ない。

各国固有の歴史を無視した憲法はあり得ない、というご意見にはまったく同意します。
しかし、日本の共有感覚や理念が、国権制限、基本的人権、三権分立といった近代国家の基本概念の障害とならない限りにおいて、ですが。僕は、これ近代憲法の基本的概念は、各国固有の歴史を超えた、「人類共通の知恵」だと思うのですが。(教科書に書かれていることにとらわれすぎた妄想でしょうか)。

また、「その国の歴史的背景の中で涵養されてきた共有感覚や理念」が何であるかについては、幅広い議論が必要だと思います。たとえば、明治維新以降に作られたにもかかわらず、あたかも古代から日本に続くように考えられている「新しい伝統」の位置づけ(私の記事「西園寺公望の皇室観」にあるような問題)など、です。
Posted by priestk at 2004年11月05日 10:41
> priestkさん

> 意見に異議はほとんどないのですが

 確かに、僕の見解と違いがあるようには見えませんね。^^)
 読んでもらえる通り、国権制限と国家理念を僕は両輪と考えていますから。(後半部分での力の入れようで、あたかも国家理念優位と受け取られやすかったのかもしれませんね ^^;)

 そして、十分な議論が必要なのは、こと憲法改正、制定については万事、その通りだと思います。^^)

 また、理念については、戦後50年余で例えば平和主義が共通認識として根付きつつあるように、必ずしも時間の長さとも関係ないだろうと思います。明治以降だろうと、戦後だろうと、平安以来だろうと ^^;)
 ただ、例え今日に限っても、いわゆる健全な庶民の良識感覚などをもう少し反映してもよいかな、と思います。サイレントマジョリティではありませんが、イデオロギー思想家(右左問わず)などの価値観ではなく、といったところです。(そしてまさしく自民党的意図とは、この点ではないかと推測されます)
Posted by Shu at 2004年11月05日 10:58
はじめまして
nagoyanと申します。わたくしごときの駄文をここにTBするのは、気が引けます。俗に言う「清水の舞台」からのような気持ちです。仮に、わたくしごときの駄文がShu様、priestk様並びに読者の皆様の、なにがしかお役に立ったのであれば、大変名誉なことと感じております。
今後もよろしくお願い申し上げます。

Posted by nagoyan at 2004年11月07日 14:39
> nagoyanさん

 T/Bリクエストにお応えいただき、ありがとうございますっ
 ご謙遜のほど、恐れ入ります。

 今後とも、よろしくお願いします ^^)v
Posted by Shu UETA at 2004年11月07日 15:54
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もはや「憲法」とは呼べない
Excerpt: 12月中旬に改憲案大綱 自民憲法調査会 Excite エキサイト : 政治ニュース  帰宅後、朝日新聞(11月2日付朝刊)の特集記事を読んで、鼻からお茶がぶっ飛んだ。記事のタイトルは、「憲法..
Weblog: ぷち総研
Tracked: 2004-11-05 09:04

憲法に「国家理念」はいらない
Excerpt: 憲法学の研究者でもない、わたしが、こういうことを書くのはいささか憚られる。しかし、先日「政治における「理念」と「技術」」という記事で、非礼を省みずstandpoint1989氏の論考から触発されて駄文..
Weblog: nagoyan@WebryBlog
Tracked: 2004-11-07 14:24
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