2005年11月17日

王統のたしからしさ


 どうも、うまく検索でヒットしてしまうのか、かつは世間の関心の高さ故か、ほぼ1年も前(正確には364日前 ^^;) の古い記事でありながら、皇統問題に関する記事に反応、コメントをよくいただく。(「女性天皇」)

 そこでは、「古人の発想が全くナンセンスとは限らない」ということの一例としてY染色体の話なども交えたのだが、そこに格別の着意をもってコメントしてくれる方が多い。
 しかしそれ(遺伝学上の話)は僕の勝手な一例であって、むろん僕が古人の思いを言い当てているわけもない。
 あくまで、ある時代の知恵だけで一方的に物事をナンセンスと決めつけるわけにはいかないという、その可能性の一端を示しただけだ。ある時には意味不明であったことが、後に「科学的に」理解されるようになるということは、そう珍しいことではない。

 たとえばある種の呪術的意味があったとしても ^^;) 、今日においてそれは「科学的に」理解はできまい。これは突飛な例だけれど、これとて、過去の歴史を見れば、どのような事柄も「科学的」に説明可能となるまでは「非科学的」であるとされるものだし。^^;)

 しかし、そうした、ナンセンスかどうか、無意義かどうかということを別にして、場合によっては仮に古人の男系への執着が仮に無意味なものであったとしても、
 僕の立場は、このような類の、その存在が伝統に立脚するような制度については、国家であり国民でありに対する格別の危害、障害のない限りはその伝統に従うのが「維持」ということだし、その方途を考えるのがまず第一であろう、というものだ。(少なくとも、ものの順として)

 ともあれ多少の誤解が生じるのも偏に僕の表現力の問題であろうし、今日はまた少し異なった角度から付言してみたい。
 それは、王統に類するようなものの「たしからしさ」ということだ。




 一般に多くの王家では、その王位の継承は血統によって行われる。血脈相続だ。

 そうした、血脈相続を前提とするような王国では、例えば何らかの理由によって仮に王家が一族揃って殺害されたり、あるいは事故等で単に死亡したりした場合に、王統の維持をどのように考えるだろうか。

 もし王統を維持するのであれば、今日いかに王家から離れた家系であろうとも、いずれかの時点で王家に連なる「血」を探して王位につけるだろう。
 「おいおい、ほとんど他人じゃないか、誰だよそれは」というくらいに血統上隔たっていても、しかし王家の血を引いているのであれば、その当人が難色を示そうとも、頼み込んででも王位についてもらうことになるだろう。

 まさか、ファミリーは全滅してしまったけれど、王制にはいろいろメリットもあるのだから、ここはとりあえず王制は維持ということで、誰かそれなりにハマりそうな人を新しく王様にしよう、選挙でもいいし、などということにはなかなかなるまい。

 まずは何とか遠い血族を探そうとするだろうし、そしてもし本当に見つからなかったら、(少なくとも現代においては)王制は廃止される可能性が高いだろう、少なくとも赤の他人を王様に据えるよりは。
 (しかし実際には血脈相続は、その王家が昨日今日の新しいものでない限り、そうそう遠い血族すら全く見あたらないということは考えにくいだろうけれど。欧州などでは各王家はほとんど親戚関係にあるくらいだし。)

 血脈相続の王家では、血脈こそが王統の「たしからしさ」というもので、こうした王制的なものについては、国民が「たしからしさ」を感じること抜きには存在し得ない。
 (注:あくまで「血脈相続」を伝統とする王家の場合。そうでない王家もある。)

 ここで言う「たしからしさ」とは、国民が信じ得る「たしからしさ」であって、ことの真実であるとか事実であるとかいうこととは少し別、それは科学的真実と宗教的真実の違いと同じだ。
 新しく王位に就くA氏が生物学的に100年前のB王の血を本当に引いているかどうか(途中にスキャンダルがないか)という真実よりも、もし国民一般にA氏が王家に連なる家柄の出であるということが広く信じられているならば、それこそが意味を持つ。
 しかしあくまでも、血を引いているかどうか、それが、血脈相続の王家における「たしからしさ」であることに変わりはない。


 さて、一風変わった相続スタイルのものに、チベット仏教における例えばダライ・ラマ法王の「転生相続」というものがある。
 チベット仏教ではダライ・ラマは観世音菩薩の生まれ変わりとして、代々、前代法王の生まれ変わり、転生者と認められた者が法統を嗣ぐ。
 よって法王が亡くなれば、その転生者を探すのであり、それを探すシステムも、見極めるシステムも整備されている。
 今日のダライ・ラマ14世も2才の折に転生者として発見認知され、14世を嗣いでいる。

 密教における輪廻転生の考えを、それこそナンセンスであるとわれわれ外部の者が考えることはできるし、あるいは当のチベットにおいても正直なところそう思うという人もいるかもしれない。
 しかしながら、そのように伝えられてきたダライ・ラマの法統について、輪廻転生などナンセンスであるから、今後は禅譲方式にしようとかと言うのは、それこそナンセンスだろう。

 ダライ・ラマの法統は、輪廻転生の信念(宗教的真実)と、その転生者発見手続きの「たしからしさ」によって保障されている。

 それは伝統における真実というものであって、それが今日の国家・国民によって合理的判断から選択されたシステムのようなものではない以上、それを今日の合理とやらで改変するのは、別に構わないのだが、しかし伝統の維持ということからは外れるだろう。
 維持するかしないかは合理的に判断もあろうが、維持するのであれば、その形式を今日的合理性で云々するものではあるまい。

 維持するとしながら、しかし法王は今後は弟子への禅譲方式でということになれば、それはもはや「たしからしさ」を喪失した形骸であって、人々があげて法王と信じることはできないものとなるだろう。

 もっとも、僕もしばしば言うように、地域の伝統的お祭などと同様、「しかし国民や国家に格別の危害、障害がある場合には一定の改変が必要となることもあるだろう」ということはあり得る。(ただし伝統の喪失と引き換えに。その重み付けの判断の上で。例えば無辜の人命ということであれば、僕などは個人的に伝統よりも人命を重しとするだろう)

 ダライ・ラマについて言えば、ある日突然この子はダライ・ラマの生まれ変わりであるとされ、以降の人生を厳しい修行と法王としての立場に捧げねばならないことの人権上の問題が指摘されることも、将来的にないとは言えない。


 さて翻ってわが国の皇統であるが、これはいわゆる血脈相続でも転生相続でもない。(広義の血脈相続ではあるが)
 それが昨今世に話題の「男系相続」ということだ。(正確には「男系血脈相続」というべきか)

 国民の多くは、西洋の童話や物語にも、あるいは歴史にも親しんで大きくなっているし、王様のようなものが通常は血脈相続であるということは知っている。
 あるいは王家に限らず、武家や貴族家における御家騒動のような話も、洋の東西を問わずさまざま話に聞いている。

 そこで国民は漠然と、王様や貴族というものは血脈相続であるものだ、と何となく感じているし、それが進んで、天皇家もそうしたものだろうという印象を持っていることが多い。
 であれば、女はダメだとは何ごとだ、と憤る人もいようし、男尊女卑的アナクロだというひともいるだろう。

 しかしおよそこうしたものはアナクロというならアナクロであるに決まっているのであって、そもそも王制だとか天皇制だとかいうこと自体がアナクロではある。(故に「革新」という人々はそうした国制に賛同していない ^^;)

 もっとも天皇制については、男系相続ということでは、男性天皇の子である女性天皇は相続に何ら問題ないのであって、現に過去にも数代の女性天皇がおり、当該御代においては天皇として皆が畏まってきたのだから、「男尊女卑」に根ざすものではない。
 (ここの読者に今さら誤解している人はいないだろうが、念のため、男系相続とは女性天皇を排するものではない。女性天皇の子供の相続を否定している)

 天皇家の伝統は、多くの王家のような血脈相続ではなく、転生相続でもなく、男系相続で続けられてきているということ、まずはこの点を踏まえるべきだろうと思う。

 論理的には、男系でなくても血がつながっていればよいではないかというのは、血脈相続王家において、血がつながっていなくても立派な人であればよいではないかということと似ている。
 あるいはダライ・ラマの法王において、転生者など探さなくても、優れた仏道者であればよいではないかというように。

 皇統の歴史において、いわゆる通常の血脈上の本流から大いに遠ざかった例では、例えば継体天皇による皇統継承などもあるが、あの例においては、一般的感覚では文字通り親戚でもない限りなく他人に近いところから迎えている。
 そこまでして男系子孫を探してきて皇位に迎えた当時の人々の努力の在り方は、さながら先の王家の例においてファミリーが全員死んだ後に何とか血のつながっている人を探そうとするのと同様のものだ。

 そこで、こうした類の制度が今日近代国家として選択したものではなく、政治文化的伝統として護持してきたものである以上、その方式をめぐって優劣を議論したり近代性を議論するのは本来筋違いだ。
 転生相続が前近代的であるだとか、なぜ血がつながっていないとならないのかなどということを議論しても意味がない。(ある種の学問的には興味の尽きないテーマではあるだろうけれど)

 血脈相続の王家において、血のつながらない立派な人物を王に据えても、それを王とは認めないという人々がいておかしくないように、転生などは非科学的であるし、何よりそれを探すエネルギーがバカにならないので、優れた弟子から選んで禅譲したとしても、それをダライ・ラマとは認められないという人々がいてもおかしくない。
 同様に、史上初の女系天皇が現れても、それを天皇とは認め難いという人々がいても不思議はない。
 ちなみに僕個人は、到底そのような天皇を天皇とは思わないだろう。もちろん国家の制度に服する一市民として、外面的形式的儀礼にはある程度準じるだろうけれども。

 天皇制などがもともと無かったのに今日の国家として新たに天皇制なるものを始めようなどとはしないだろうけれど、過去からの継承として天皇制は今日維持されている。
 そうした継承をいったん打ち捨てて、新たな血脈相続の王家を今さら始める必要性を僕は感じないし、新しい王家を持つこと自体、それこそ税金の無駄遣いだろうと思わないこともない。
 維持しないのであればやめれば良いことで、似たような何かを中途半端に構える必要性を感じない。
 何で今さら新しく王家を設定する必要があろうか。^^)

 と、いう理屈の故に、一部の天皇廃止論者の人々は、後に女系天皇の誕生を見た時点で、男系でなければもはや天皇ではないとの主張に転じるという憶測もあるのは周知の通りだ。

 とまれ、問題の本質のひとつは、相続方式ということの重大性の軽視にあるだろう。
 もし継承方式が度外視されてよいのならば、しかし血はつながっていないとダメだという根拠だってなかろう。

 まずは、皇統は転生相続でないのと同様程度に血脈相続でもないのだということを、再度重く考えるべきだろうと思う。


 ただし、政治的機能としては、ずっとさきに書いたとおり、「たしからしさ」ということが重要なのであって、「しかし血はつながってないとダメだという根拠はない」と言ったのは、実は言い過ぎだ。

 それは、広く国民大多数が、王様や天皇のようなものは血脈相続なんだ、というふうに認識しているならば、単に血がつながっているだけで十分ある種の「たしからしさ」は生まれるだろうからだ。

 しかし、あいにくながら、僕を含め、それに納得し難い人々はやはり多数存在するし、また、どのような政治的問題についても同様ながら、国民は政治が扱う各分野の専門家ではないしそうである必要もなく、政府や「有識者」なる者らは、問題に関わる事実関係等の知識、資料を提示したうえで国民、世論の判断を仰ぐべきだ。
 そうしたスジを通さず、都合良く国民を丸め込んでいこうというのが、今日のこの問題に関する「有識者会議」のやり様だと思う。
 インフォームド・コンセントという言葉もすっかり一般化したが、治療方針について十分な説明をせず、あるいはより悪辣であればメリットのみを説明して、患者の同意サインをとりつけるようなやり口と似ている。(妙に急いでいるのも、こうした場合とそっくりだ ^^;)


 とは言え、昨年の記事やそのコメントでも述べたとおり、現実にそれが不可能となればそれは仕方があるまい。
 つまり、もはや男系子孫が存在しないということになれば、理屈がどうであれ、無理なものは無理なのだから。
 そうした事態を防ぐべく、まずは工夫が検討されるのが、本来はこの問題における優先順位の第一だろうと僕は思っている。

 血脈相続でさえ、世の多くの家でそうした事態への対策はさまざまなされてきたが、男系相続は単純血脈相続以上に脆弱な方式だ。故に単なる多妻に加えて、皇室の藩屏たる宮家が整備されてもきたのだが、さきの大戦の敗北を機にそれらの大部分を失った。

 昨今取り沙汰される、そうした旧宮家のいくつかを復旧させるというのは、ひとつの方策ではあると思うし、そうスジの通らぬ話ではないと思う。
 もっとも、そうした存在そのものを快く思わない心情立場や、それこそ税金の無駄だという立場があることも承知しているが。


 本論からすると余談ではあるが、しかし僕は、例えば愛子さまが皇位に就かれることを想像すると、お気の毒でならない。女性としての生活と天皇の激務の両立の困難さを思うと、そのような不幸にはお遭わせしせたくないものだ。
 (男系相続維持論からすると、愛子さまの皇位相続は何ら問題ないのだけれど、そうしたことは別として単なる感情論で。 ^^;)


posted by Shu UETA at 20:37| Comment(0) | TrackBack(1) | 天下-vision・社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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