2005年11月16日

歴史的評価


 中国では間もなく(20日)、胡耀邦氏の生誕90周年記念式典が催されるが、それに合わせて、何らかの形での氏の評価に関わる見解が示されることになるようだ。

 胡耀邦氏めぐり新見解も 中国外務省が示唆(産経)

 「歴史的評価」とは言うものの、しかし中国という国はそれこそ歴史的に、歴史の評価とは、何か真実なるものを求めるものではなく、結局「歴史的」ならぬ「今」の「姿勢」を問うものであるという意識を強くもっているのだろう。
 (今さら僕が言うまでもなく、夙に有名な「歴史的」中国人気質の一つだと思うが)

 一方で日本人からすると、「歴史的評価」だとか「歴史認識」というと、何か「真理」「真実」なる不偏のものをイメージしてしまいがちであるようにも思う。

 そのあたりにも、彼我の議論の隔たりはあるのだろう。




 さきの産経記事によると、
 
 中国外務省の報道局長は、故胡耀邦元総書記に対する歴史的評価について「数日待ってもらえれば、そうした内容を紹介できると思う」と述べ、記念式典に合わせて何らかの新たな見解を明らかにする考えを示唆した。
 ただ、それが氏の再評価につながるかどうかについては言及を避けた。



 ちなみに胡耀邦氏といえば、かつての中国共産党中央委員会主席・総書記。
 趙紫陽氏の辞任を受けて81年に党主席(翌年から新制度で「総書記」)に就任し、訪日と中曽根首相との会談、日中友好四原則や相互理解を深めるための交流事業等に積極的にあたった。
 改革開放路線、自由化路線を進めたが、保守派の批判、反撃に遭い、87年に辞任を強要され失脚。

 この間の保守派の巻き返しに対して、学生デモが起こり、全国に波及、胡耀邦氏死去後には追悼と民主化を叫んでデモはさらに激化、後には天安門事件にも発展。

 氏の日中友好に向けた思いのほどは、これまでもしばしば中曽根氏の口から語られてもきたが、しばらく前の産経の記事にも紹介されているので参考までに:
 【潮流】生誕90年、胡耀邦再評価か 未来見据えた日中友好に尽力(キャッシュ)

 胡耀邦氏に対する「再評価」については、さきの記事中の報道官も言葉を濁しているが、中国政府としてはなかなか難しいバランス感覚が求められもするだろう。
 共産党の求心力低下状況での民心の党への回復の問題と、一方で逆に現体制への批判論が渦巻いても困る。
 また、胡耀邦氏(や趙紫陽氏)の名誉を回復することになればそれは江沢民政権批判にもつながる。

 さて、しかし僕が今日テーマとしたいのは、そうした中国当局の胡耀邦氏評価の判断についてではなく、そのような「評価」なるものの政治性といったことだ。

 冒頭の産経記事では、報道官が、元総書記に対する「歴史的評価」について何らかの新たな見解を明らかにする考えを示唆、とされているが、
 つまり、「歴史的評価」とは、胡耀邦氏に対する「現政権による」歴史的評価なのであって、それは例えば僕が少し上に書いたようなことも含めて政治的に判断されるものだ。
 それは、歴史の真実だのといったものを求めるものではない。

 中国の史書というものが常に歴代の王朝によって編まれ、かつ前の王朝を貶めて現王朝を擁護すべく企図されたということはしばしば言われることだが(故に古事記や日本書紀もそうであるに相違ないという者も多いが、余談 ^^;)、少なくともメンタリティの問題において、中国人(そして少なくとも現政権)は、「歴史評価」などということに対するそうした感覚をしっかりと持っているように思う。

 よって例えば胡耀邦氏の「歴史的評価」ということについても、それはあくまでも「現政権」が与える「歴史的評価」であって、真に客観的な歴史の目で見てどうであるかとか、真理だの真実だのというものを(客観的になったつもりで)これだと決めつけようなどという徒労に与ろうなどというものではない。

 こうした彼らにとって、したがって例えば日本との間の歴史認識問題にしても、大切であるのは事実がどうであるかなどということよりも、「今、どう考えているのか」なのだろうと思う。

 日本人の感覚では、「歴史的評価」などというと、なんとか客観的真実を探ろうという方向に努力が向かいがちだが、彼らにしてみればそのような客観性など、極論すれば、どうでもよいのであって、主観的に「何を真実とするか」という「姿勢」に重大な関心を抱いているのだろう。
 ゆえに歴史「認識」の問題なのだ、と。当然それは、学問ではなく政治の領域だ、と。

 そうした彼らであるが故に、
 実は、両国共同で行おうが日本単独で行おうが、学術的歴史研究など何の役にも立たない。そういう問題ではないのだ。
 あるいは同時に、逆に、彼らの歴史認識は国内/国際情勢の変化や政権の路線転換によって、今後いくらでも変更され得るとも言える。
 (ひょっとすると、胡耀邦氏が失脚せず、あの路線で営々と今日まで主流化してきていれば、日中関係は今日まったく異なる趣きを見せていた可能性だってある。中曽根氏はそこに賭けて、保守派の激しい攻撃を受ける胡耀邦氏を援護射撃すべく靖国参拝自粛等を行なったのだろうが、その賭けに敗れたわけだ)

 であるから日本としては、
 もし説得するのであれば、客観的事実や学術的研究などではなく、相互に納得可能な構造(ストーリー)を構築すべきであろうし、しかし実際には説得などは無意味であって、それ以上に外交的に国際環境を整えるのが正しい努力方向だろう。
 極端にいえば、中国が真に日本との友好を求める環境になれば、中国の歴史的対日観など簡単に変更され得る。逆に言えば、中国が反日というベクトルを必要とする限り、この問題は解決しない。

 昔〜し、「101回目のプロポーズ」では、「50年後の君を、今と変わらず愛する」というセリフがあった。
 そんなセリフを、全く無責任な空虚な言葉だと見る向きもあるが、しかし、実際に50年後にどうであり得るかということは全く問題ではない。
 もし少しでも相手の胸を打つとすれば、それは50年後のことなどではなく、そう言える「今」のことだ。

 歴史「認識」というのは、まさにそれと同じ、「今」どういう立場を選択しているのか、だ。
 そしてその「選択」は、今回中国政府が胡耀邦氏再評価にあたっても熟慮を重ねている(だろう)ごとく、国家として軽々に行われてはならないものだ。


posted by Shu UETA at 21:21| Comment(0) | TrackBack(1) | 天下-vision・社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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