2008年04月13日

直感(体感)をキャッチする

 愛読させてもらってるシゴタノ!で、佐々木さんが今度上梓されたという本に関連して、「直感力」についての記事があった。

 いわく、 「直感力」を発揮するための4つの知識。

    1.脳は直感している
    2.脳の直感は身体へ出力される
    3.身体の反応は人によって異なる
    4.身体反応は知覚できる

 そして、問題は4だ。
 これをどう知覚するか…



 直感の知覚というのは、僕にとっても本っ当に長年のテーマだ。

 僕は直感(観)派を一応自認しているし、どちらかといえば自信もあるほうだ。
 自信はあるんだけれど、
 ある意味そうであるが故に? その精度というものが気になってしかたない。

 自信はあるといっても、ごくごく稀な余程のケースでない限り、その決断の時において明確にこれが直感であると確信できることは少ない。

 曖昧模糊とした状態の中で、それを直感と感じて動いてみて、あとの結果から…そう、まさに結果論で、後から納得しているに過ぎない。
 単にその後からの納得の確率が多少高いと自負しているに過ぎない。

 こうした状況では、
 結果論から直感が図に当たったとしていることでも、単なるまぐれ当たりである場合も多分に含まれるし、
 なにより決断のその時において、明確な自信がもてない。

 問題は、
 まず第一に、果たしてその感覚が本当に直感なのかどうか。
 第二に、その直感は本当に当たるのか。

 第一がクリアされない限り、第二についてのデータ採りができない。

 佐々木さんは、直感は体感されるものであるとして、その個人により千差万別の体感の現れかたを自得することが大切であるとしている。

 僕自身は、直感というのは必ずしも体感レベルまでに至らなくとも、自分の頭の中に感じる感覚というレベルでもあり得ると考えているが、

 しかし、そうした頭の中の感覚というのは、取り扱いが非常に難しい。
 この感覚は直感か、それとも単にこのこと、あるいはあのこと、もしくは意識してない何かからの連想に過ぎないのか。
 この感覚は直感か、それとも単なる好悪の感情によるものだったりするのか。

 そこで、
 もし自分の体感として直感を感じることができれば、それは、より便利なモノサシになり得る。


 基本的には心臓に訊く(心臓の感覚に敏感になってみる)のがいちばんいいという話をある人からきいたりして、ためしてみてもいるんだけれど、
 もちろん佐々木さんの言うとおり、個々人によって、つまりは僕には僕なりの体感というものを洗い出してみるべきだろう。


 ただ、個人的には僕はどうも、直感とリンクした、これという体感の心当たりがあまりない。
 意識してなかったからそうなのであって、平素意識的に探ってみれば何かが思い当たってくるのかもしれないが。

 去年の暮れ頃から、だからこの体感系については探索中。

 しかし、身体というものの不安定性、ただでさえ日常茶飯事である体調の変化ということを考えれば、身体モノサシ一本というのも危うい気もしないではない。
 おそらくは、体感と脳内感覚の両方をとらえながらというのが理想的なんだろうと思う。


 で、従来の個人的クセとしては、頭の中の感覚でこれまでやってきたわけなんだけど、

 最初に書いたように、そうしたものは多くの場合、曖昧模糊とした中でのかすかな光の光源を判断するようなものだ。

 しかし「稀に」とも書いたとおり、時には、明瞭な確信をもって、それを他のどんな感情でもなく直感であると思えるときがある。

 そうした場合の特徴は、結論とそこへの経路、あるいはそこからの展開が、一気に(うまく言い難いが)一望できるような解答の現れかた、近景遠景を含んだワンショットで現れてくることだ。

 こうした場合には、個人データ的には、ほぼ確実にこの直感は図に当たる。

 精度を高めたいというのは、こうした極端にわかりやす場合でなく、もう少しグラデーションが薄まったような感覚のときについてだ。
 そのときのideaなり感覚の来たり方の微妙なカンジ、単なる好悪感などとの差異をつかみたいと思って、そうした機会のたびに目をこらし、耳をすませているところだ。


 ちなみに、スポーツをやっているときには、
 そうした直感と身体がダイレクトに接続したような瞬間を感じることもある。

 僕の経験では、球技系の競技において特に感じる。

 そうしたときの内部経験を、一般化することができればな、とも思う。
 (が、球技をやる機会、それもある程度真剣に、なんてこの頃ぜんぜんない ^^;)

 あるいは、数学の難しい問題(大学入試程度でいい)を解くのに、直感的に解法が浮かぶことがある。この経験は、上記のスポーツ同様、多くの人がもっているのではないだろうか。
 このときの感覚を一般化すること、これはわりとしやすいような気がする。
 おそらく、僕のメインのは、この感覚だと思う。

 もうひとつ、恋愛における直感。
 これは…わりとわかりやすかったり精度も高いような気がしているんだけれど、その思い入れの強さの程というのが、既に他の問題には一般化し難いような気がして、応用性には欠けるのかなと思ったり。



 忘れてしまったけど、あるひとが、女は賢くなっていく生き物だけど、男はカンを磨いていく生き物だ、とかいうことを言っていた。

 必ずしも今さら男女ということではないにせよ、男であれ女であれ、「勝負」がかかっているような場面では、「カン」がきわめて重要だと思う。
 小泉元首相なんて、なんだかカン鋭そうだなぁ あははは


 今日は最後まで、直感とかカンということ自体の定義をしなかったけれど、
 一般的にいえば、直感とかカンなんてものは、自分以外のどこか不思議なところから現れてくるようなものではなく、脳がきわめて高速高効率で演算処理をした結果だといえるだろうし、
 あるいは、必ずしもそうではなく、本当に自分の外側のどこかから受信するようなものだと考える人もいる。

 しかし、僕はそのどちらの考え方が妥当かという判断はしない。
 それが直感あるいはカンのような印象で現れて、有効なのだとしたら、その間の理屈については喫緊の課題ではないから。

 喫緊の課題ではないが…
 しかし僕は、脳組織ではなく身体各部を構成する個々の細胞が集合的に行う何らかの知覚反応ということに強い関心を持っている。
 体感を探るうえでは、こうしたことを武術的身体意識とからめて考えたり試行してみたりもしてる。


 こういうことについて、あれこれ考えてるような他の人と、いろいろ語り合ってみたら面白いんだろうなあ。あはは ^^)

 あ、そうそうそれから。最後に佐々木さんのその本、その本っ
 (Amazonで表紙画像がまだできてないみたいだったのでテキストリンクで)

 できる人の直感力―あなたの潜在能力が目覚める30のメソッド


posted by Shu UETA at 00:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 武術/身体 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]


この記事へのトラックバック
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。