先日、国家公務員制度改革基本法案が閣議決定された。
骨子はこんな感じ。
(内閣人事庁)
現行通り各府省が幹部公務員の人事案を作成し、人事庁は適格性を審査し、また、必要に応じて人事案を作成。
幹部公務員は、各府省と人事庁の双方に所属とする。
(政官接触制限)
各府省に新設する政務専門官が政策などを国会議員に説明。それ以外の公務員の接触は大臣の指示による等の規律を設ける
(試験制度)
幹部候補として固定されるキャリア制度は廃止。総合職、一般職、専門職の区分を設け総合職以外の幹部登用も行う。
(労働基本権)
国民の理解を得ることが必要不可欠で、それを勘案しながら検討する
僕の見解は、賛否五分五分といったところ。
しかし、人事庁構想の退歩はいただけない。
(人事庁と統合マインド)
内閣人事庁構想については、当初の発案に比べ、随分弱まったと思う。
ひとこと、これでは「弱い」という印象だ。
ただし、法案としてざっくりつくっておいて、今後の具体的な制度設計において、もしくは運用において、より強くもさせ得るとの考えかもしれない。
しかし逆を返せば同時に、より弱く、骨抜きになる可能性もあると言える。
基本法というものは、成立の時点では、成立させるべく賛否双方の立場をできるだけ取り込むために、あいまいなものとなりやすい。
そして推進論者と反対論者の双方が、その後の具体化、運用の中で、それぞれの思惑で調整しようとするので、実は、法律ができてから後が勝負となることも多い。
法律の成立後というのは、国民の目もマスコミの目も離れているので、実はここで繰り広げられる綱引きこそが肝心であっても、その経過に国民が無頓着となりがちでもある。
府省における縦割りの弊害を念頭に、国政全般の観点から、より総合的な人材育成、登用、配置が行えるよう、そうした人事権を人事庁に、というのがそもそもの発案だったが、党内においても閣内においても反対論が強く、
結果、これまで通り人事案は各府省が作成し、人事庁は審査を行うと、そして必要に応じて人事庁が人事案を作成することもできるとなっているが、
「必要な場合」というのがどのような場合であるのか、また、その具体的方法については述べられていない。
与党内でも、いわゆる推進派としては、人事云々どころか、幹部公務員は完全に人事庁配属にするべきだという意見があり、
逆に反対派としては、大臣の人事権を弱めるべきではない、という意見がある。
僕は いわゆる軍の統合マインドということを思い出す。
今日の戦闘では、もはや陸海空軍といった軍種単位での作戦運用ということでは限界があり、それらを一元的に運用する「統合運用」というものが必須となっている。
わが国においても、陸海空自衛隊の統合運用の体制が日々整備されているところだ。
しかし、わが国とは言っても、自衛隊の話は例としてあげるには多くの人にピンとくるところがないだろうので、ここは統合運用の大先進国である米国を例にとってみよう。
米軍において、イラク戦争を担任しているコマンドは、中央軍だ。
在日基地を管轄しているのは太平洋軍である。
この中央軍とか、太平洋軍というのは、陸海空軍海兵隊4軍種混成の統合軍であり、その司令官たる将官は、陸海空海兵のいずれからも補任され得る。
そして司令部は各軍種の軍人の混成であり、隷下に陸海空海兵の各種部隊がある。
例えばかつての湾岸戦争ではシュワルツコフ大将が随分と有名になったが、彼は陸軍の将官だ。
しかし、湾岸戦争のカギが徹底的な航空作戦だったことは、誰しも知るところだろう。
つまり統合部隊指揮官のレベルでは、もはや陸軍だとか空軍だとか海だ、海兵だなどという別はない。
彼はたまたま出身部隊は陸軍であるけれども、統合部隊指揮官として、航空部隊の運用も、海上部隊の運用も指揮するし、またその能力を身につけてきている。
それは彼の司令部の要員たちについても同様だ。彼らは統合軍指揮の幕僚スタッフであって、それぞれの出身軍種の利害を代表してそこに参じているわけでは全くない。
そしてもちろん、どの軍種であれ上級将校であれば、自らの出身以外の軍種とその作戦について無知であるということはあり得ない。無知どころか、きわめて高い知識を求められるし、身につけてもいる。
そうした、軍種を超えた意識と教養知識というものを「統合マインド」という。
さて、しかしご存知のとおり、米軍には陸海空の各省があり、それぞれ長官もいれば、制服組でもそれぞれの参謀長がいる。
とりわけ参謀長ともなれば、さも当該軍種の作戦指揮を行うイメージがあるかもしれないが、全くさにあらず。
だって、作戦を行うのは、あくまでも統合軍。
では例えば空軍省だとか空軍長官、空軍参謀長は、一体何をするのか?
一言で言ってしまえば、空軍の維持管理だ。
つまりは、採用から教育訓練といった将兵の維持訓練、そして装備品の維持ならびに部隊訓練といった、戦力の造成と維持である。
つまり、空軍とは、統合軍への戦力の差し出し元なのだ。差し出すに足る戦力を維持することが任務だ。
これは陸海軍も同じ。
あえてたとえば航空自衛隊を例にすれば、これは、方面隊と航空団の関係に近い。
ちょっとしたマニアなら、千歳基地の2空団であるとか、三沢の3空団なんて言葉、部隊を知っているかもしれない。
この航空団には、実際に戦闘機の飛行隊がある。
そうすると航空団司令なんていうといかにも戦闘機部隊の指揮官というカンジがするだろうが(そしてもちろんそれは間違いではないのだが)、航空団司令は航空作戦を指揮するわけではない。
作戦を実施するのは、航空方面隊であって、航空団はあくまでも、方面隊に航空戦力を差し出す、提供するのが仕事なのだ。そのために、平素から訓練を行って練度を維持し、装備品を維持整備している。
さて、長々と、一見無関係に思えるような話をしたが、
僕は、こうした「統合マインド」を、各府省の公務員に浸透させていくべきだと思う。
ここでいう「統合軍」とはまさに府省の(時に障壁と言い得べき)壁を越えての日本の行政を担う機能であって、「統合マインド」とは、出身・在籍府省の思惑利害を超えて日本の行政をトータルに考える意識と識見、能力だ。
米空軍将校が、むろん空軍将校であることを自覚しつつも、あくまで米軍人として行動するであろうように、
また航空自衛官が、航空自衛隊員であることは当然自覚していても、あくまで自衛官として行動するであろうように、
国に官吏たる者は、いずれの省に在籍しようとも、日本国の官吏たる自覚で務めねばならない。
もちろん、軍の例えでも同様、これは格別幹部職員についてではあるが。
そのために必要なことを、その道の先達である軍組織に問うならば、
ひとつは統合教育、そして実際の統合部隊、それから統合人事だろう。
米軍においても、目下鋭意統合化整備中の自衛隊においても、統合教育には非常に力を入れている。
これは、自分の専門軍種以外についての知識であると同時に、何よりも統合運用のあり方、そして統合マインドの涵養だ。
そして実際の統合部隊が存在しなければ、実際の機能はあり得ない。
これを府省に置き換えるならば、単に各府省の人事ということだけではなく、現実に府省横断的に行政を行うような組織、あるいは多数のそうした横断的プロジェクトを設置することが必要だろうと思う。
実際の統合運用に参加する場なくして、これまで通り同じ自分の府省の職場にあって気持ちだけ統合マインドを持てというのは些か困難だろう。
軍同様、キャリアの中で、統合部隊と出身部隊を行き来するのが理想的だと思う。
最後に統合人事。
これは、つい今書いたように、経歴管理の中で、出身部隊と統合部隊を行き来するような人事が求められると思うが、
要はその人事権における統合部隊と出身府省の関係だ。
人事を実際に行うのは所属府省だが、統合部隊からの指示を受けての事務処理というレベルまで落とすべきだと思う。
ここで言う統合部隊とは、現実の府省横断的機関もしくはプロジェクトだ。
この府省横断的機関としては、内閣府の拡充が妥当だろう。
その人事事務窓口が人事庁といったところか。
軍のたとえで言うならば、こうした統合マインドを徹底的に、破滅的に欠いていたのがわが国の旧帝国陸海軍だ。
そして、目下のわが国府省は、それとどれほどの違いがあるか… ^^;)
(政官接触制限)
その他についても若干のコメントを。
政官接触制限については、この案はヒステリック過ぎるのではないかと僕は思う。
国会議員の(真に善意の)情報収集においても、また官僚側の情報収集においても、こうした接触の窓口一元化(政務専門官のみっ!?)は、あまりにも非現実的ではないかと想像する。
そこで、大臣の指示があった場合のみといった規制を設けるということだが、僕は逆に、大臣への報告義務付けで十分ではないかと思っている。
非現実的に過ぎる法規は必ずひずみを生む。もっといえば、要らぬアンダーグラウンド世界を育てることにもなる。
(試験制度)
実は僕は、キャリア制を廃止する必要はないと思っている。
上司、直近の勤務評定者の顔色をうかがうことなく動ける、善きエリート意識を持った層というのは必要だ。
(もっとも、今回の案では、単に「総合職」と名を変えるだけで、キャリア制は残るという見方もあるが)
ただし、これに加えて、キャリア採用でない有能な人材に、キャリア組と同等人事管理の「幹部」になる道をひらけばよいと思う。
部内選抜の制度化だ。
(労働基本権)
案にいうとおりだと思う。
ILOの勧告にいちいち恐懼する必要など全くない。
ってところが僕のざっくり思うところ。
民主党の出方はどうなんだろうか。