2005年11月12日

バレンタイン流(2)育成と統率


 前回(1)と題した際に「気が向けば」と言っていたが、うまく気が向いたので ^^;)、引き続き(2)として、今日は選手の育成と統率について紹介してみたいと思う。

 気が揉まれたバレンタイン監督の去就問題も、どうやら続投に決まりそうで安堵したこともあって、つまり来季もボビーの指揮は見ることができるのだからと、今年の野球シーズンが終わりつつあるからといって焦ることもなく、記事化意欲はさほど高くはなかったのだけど、昨日今日とアジアシリーズを楽しみながら、多少気が乗ってきた。^^)
 さらに、ことこのテーマに関しては、僕は自身大いにスタイル傾向をボビーと近しくしていることもあって、自身の経験も踏まえつつ、書いてみようかなと思う。

 さて、チームの育成と統率といった分野でのボビーのスタイルの特徴を、次のように紹介していこうと思う。

 1 構造の理解
 2 情報共有、コミュニケーション
 3 個の尊重
 4 役割分担、分を尽くす(尽くさせる)
 5 プロセスと姿勢の重視
 6 訓令型の指示(大方針を示す)





 ところで、少なくとも今回の分野に限っては、ボビーに見習うという観点はむろんあるものの、僕個人は、むしろ非常に共感するところが多いという立場だ。昨年書いたような落合監督のスタイル同様、バレンタイン監督についても、ことチームの育成、統率といった面では、僕自身のスタイル的にも親近感を非常に感じる。

 実を言うと僕自身は、数十名から百名ほどまでの実員指揮には絶対の自信をもっている。好きでもある。
 それは、最前線部隊での現場指揮官職を2回経験させてもらった中で試行錯誤しながら自分なりに得ていったものだが、今に至るも、そこで得たスタイル、方法論というものが僕の指揮スタイルの基本になっている。
 そこで、かれこれ8年ほど以前になるが、それら前線部隊を経験しての総括的なものを当時にまとめた文章があるので、(今見ると多少稚拙ながら)こうした方面に研鑽、あるいは関心ある読者の参考までにそれも末尾に付しておこうと思う。

 ちょうどそれを書いた次に赴任したところでは、個人的には、自身の総括的な最高の仕事ができた。
 その次は最後の職場だったが、指揮官ではなくごく幕僚的な配置であったので(僕は正直幕僚には向かない ^^;) 僕としてはその一つ前の職場が自らのスタイルの完成(少なくとも方向性として)と確認をした場所だった。

 本論に入る前にさらにあらかじめ付言しておくと、
 昨年に落合監督を題材に指揮スタイルということについて書いた時と同様、僕が「スタイル」という言葉を使うのは、まさにそれが個々の「スタイル」というものであるからであって、つまり、これが絶対に良いのだというスタイルなぞは存在しないだろうし、あくまでも、こうしたものは個々人の性格や長所短所、雰囲気などのキャラクタによって、また、組織の状態、組織が置かれた状況等によって、「選択」されるものだ。

1 構造の理解

 バレンタイン監督は、選手個々について、選手の練習法について、敵味方チームの戦術について、何であれ、その対象の理解ということに非常に努力を払う。
 かつ、僕が「構造の理解」という表現を使っているとおり、彼は、単に事実を理解することよりも、それが何故、どうしてそのようになった、なっているのかということの理解を重視している。

 例えば選手についてであれば、その選手がどのように考えているかではなく、彼が何故そう考えているのか、どうしてそう思うのか、彼がそうするのはなぜなのか、どのような経験からそうするようになった、そう考えるようになったのか、ということを理解しようとする。

 構造構成主義の言葉を使うなら、まさに「構造化の軌跡」ということに尋常ではない関心をボビーは持っている。

 僕は個人の経験や見聞からも、こうした態度は指揮官にとって非常に大切かつ有益な姿勢だと思うが、僕が知る限りはむしろ逆に、そうした指揮官というのは稀であるし、まして野球監督では他に類を見ない気すらする。

 前回、95年監督時の春のキャンプでの「ボビー1000本ノック」はロッテファンの間では有名なのだが、これは、バレンタインが自らバットを振るって地獄の特訓などを与えたわけではない。
 逆だ。1000本ノックなどどいう、米国人からすると驚くべき練習法に目を丸くした彼は、自らやってみたいと言い出して、内野手として1000本のノックを受けてみたわけだ。

 彼は、その理由として、実際にやってみなければ、その練習法にどのような効果があり、あるいはどんなデメリットがあるかはわからないと思った、と述べている。
 そして、(意外かもしれないが)彼は平素「郷に入れば郷に従え」という視点の大切さを強調し、別の場所に行けばその場所なりの考え方や習慣というものがあり、それを無視したり否定することが良いとは限らないということを言っているのだが、否定したほうがよい場合でも、その理由を皆が理解し納得することが大切だと言う。

 (さて、世の幹部職にある人は、異動を繰り返して、その都度新たな職場を率いることになるものだが、職場職場の慣習やカラーということの取り扱いには皆苦労しているところだろう。完全にそれを受け入れる人もいれば、また完全に白紙として自分のやり方を推し進める人もいるだろう。それは置かれた状況によっても変わるべきものだが、いずれにせよ、そうした既存の伝統、習慣やカラーと、自ら注入すべき新しいものとのバランス感覚、そこにひとつのセンスが求められるだろうと思う。)

 ちなみに1000本ノックを受けたボビーは、へとへとになって次のようにコメントしていた。
 「たしかに技術が向上するかといえば疑問だし、つくのは持久力ではないかと思うけれど、心のお守りにはなる」
 この段階では全否定することなく、自分なりに感じる疑問点と、考え得る肯定点の可能性をあげている。(この後、彼は選手、コーチらと意見交換を繰り返し、1000本ノックはやめることになった)

 また、選手個々の練習法についても、それがキャンプであれシーズン中の試合前練習であれ、まずボビーは選手のところに行っては、
 「これは何をしているのですか」
 「それをするとどういう効果があるのですか」
 と、質問し、選手が何故、何を狙って、どのような練習をしているかをまず聞く。
 そうして「構造」を理解したうえで、選手と話し合いをすすめる。

 情報の扱いについてもそうだ。
 バレンタインは、自軍であれ敵チームであれ、選手のデータをただデータとして受け取って満足しない。
 例えばヒットゾーンがインハイであると聞けば、なぜそうなのかということを探ろうとする。であれば、それはカウントごとに見てどうなのか、ランナーの有無や位置によってどうなのかということを当然求めることになる。そのうえで、なぜその打者にインハイのコースのヒットが多くなっているのかを考えようとする。単に表面のデータを鵜呑みに適用するのではなく、そうした結果に至る「構造」の理解に努める。

 今回は育成と統率の話だから、情報に対する態度は余談だったかもしれないが、そうした着意で、とにかく選手個々の気持ち、考え、技術、それらについてその「構造」を理解しようと試みる。
 怠慢に見えるプレーに対して、あるいは全力が発揮されていないようなプレーに対しては、バレンタインは選手と徹底的に話をして、その場面、その時、そのようなプレーになったのは何故なのかということを選手とともに考える。

 逆に、さまざまな戦術について、彼は選手に対して、どのような場面において、なぜ、どのように有効であるのかという「構造」を説明し、理解させることに全力をあげる。
 表面的な命令指示ではなく、その「構造」を理解させることで、選手は場面場面での監督の意図を容易に理解し、選手個々の「野球頭脳」も発達する。
 (今季の日本シリーズでは多くの解説者が、ロッテ選手の「自ら考え、プレーを選択する」能力の高さを指摘していたが、それらはこのように育まれてきたものだ)

 かく「構造化の軌跡」理解に並々ならぬ意志を持つバレンタイン監督は、「選手のことなら何でも知っている」と言われるようになる。
 前回(1)で紹介した、スポーツジャーナリストのレフトン氏は、バレンタインのことを、選手のことも、その家族のことも、誰がどの歯の治療に行ったかも、何でも知っていると話していた。
 こうしたスタイルは、米国では非常に珍しいものであるとも言っていたが、実は一方の日本では、そもそもは部下の「身上(心情)把握」ということは伝統的に重視されてきたものだ(近年は失われつつあるが)。
 身上(心情)把握とは、まさに部下個々の「構造化の軌跡」理解の手段そのものだ。

 さて、そうした身上(心情)理解は、当然ながらコミュニケーションということを求める。

2 情報共有、コミュニケーション

 バレンタインは、チーム内のコミュニケーション、情報共有ということを非常に重視している。
 まず自身が、暇さえあれば(というより常時)選手、コーチ、スタッフたちと、とにかく話をし、コミュニケーションを図っている。
 それは、単なる雑談や冗談からチームの戦術に至るまでだ。

 それは、前項で述べたような「構造化の軌跡」理解のための情報収集ということもあるし、もう一点は、チーム内での情報共有ということを目指している。

 チームの方針や戦術、各種の指示は、どこか上層部から発出されるものであるというよりも、チーム全体でその「構造」理解が共有されねばならない、そうであるから、情報を交換、共有し、徹底的に話し合い、コミュニケーションをもつというのがバレンタインのやり方となっている。

 
 みなが同じ方向を向き、お互い引っ張り上げるよう、情報を交換しあい、アイディアを出し合い、分け合っていくことが大切です。

 スタッフの間で意見が食い違うこともありますし、そのこと自体は決して悪いことではありません。悪いのは、意見が食い違っているにもかかわらず、きちんと説明しあわないことです。ですから、異なる意見がある場合は、お互いの考えをきちんと話し合い、必要であればそこに私も加わります。そうやって、最終的に全員が考えを共有する。それが大切なのです。(月刊BOSS 9月号)


 近年は、脱トップダウンであるとか、フラット組織であるとか、現場の権限などということがいわれるが、その際にもっとも重要であるのが、ここで述べられているようなことだ。
 トップダウンの傾向を緩める必然性は、単に個性の発揮だの何だのという甘いこと(も無論あるが)よりもむしろ、組織の置かれた環境のスピード化等への対応という必要性などの方がはるかに深刻な原因だ。よって現場、末端であるとか個々のメンバーの対応、決断ということが求められるが、その際には、その個々人であるとか組織末端が、どこまで組織の価値観、目的、目標や方針を自らのものとして理解できているかということがきわめて重要になる。


 こうした真摯な意見交換、話し合いは、選手やスタッフ個々の尊重という基盤の上にも立っている。

3 個の尊重

 ボビーは、「リスペクト」という言葉をよく使う。
 選手へのリスペクト、その才能へのリスペクト、そしてファンへのリスペクト、あるいはフロントであり裏方であり各スタッフ、そしてそのそれぞれの仕事へのリスペクト、と。

 彼は、選手個々を決して子供扱いすることがないし、もちろん目下扱いをすることがない。彼は、自分自身が各選手個々の、あるいはその才能のファンであるとも言うし、事実、それらを常に十分に尊重している。(しかし、息子扱いはしているかもしれない。いわば、自分の子供を子供扱いにせず大人として扱っているといった感じか)

 前項までと相互的でもあるが、その尊重ゆえに頭ごなしではなく、個々人の理解のうえでの真摯な話し合いがなされ、また情報交換もされる。逆に、そうであるから個々人は尊重されていると感じることもできる。

 そのうえで、バレンタインは、彼ら個々が、その「リスペクト」に値する自らの才能を十全に発揮することを求める。
 そして、それを公平公正に評価することが彼自身の役割分担のひとつであると考えている。

4 役割分担、分を尽くす(尽くさせる)

 バレンタインは選手たち個々の才能を「リスペクト」し尊重しているし、また無類の褒め上手でもあるが、しかし、ただ尊重し、手放しで褒めてだけいるわけではない。

 バレンタイン監督は、彼が尊重するその選手個々の才能が十全に発揮されることを選手に求める。
 そして、彼自身は、その環境を整えてやることを役割と心得ている。

 選手もスタッフも監督も、それぞれに「役割」というものがあって、それぞれがそれぞれの役割を果たすことをボビーは求める。
 さらに選手個々について言えば、それぞれに特色のある才能を持っている。打者であれば、長打力に優れるものもいれば、当てるのが上手い者、器用な者、足の速い者…といろいろだ。そうした個々の特色ある才能と、そしてそれぞれの持ち場における役割とを全力で果たすこと。
 もちろん監督にだって監督の役割があり、例えばあの有名な日替わりオーダーにしても、代打や代走、投手交代にしても、バレンタイン監督は明確に線を引いて、そこに選手やスタッフの介入を許しはしない。それは監督の役割なのだ。

 彼が常々言っているのは次のようなことだ。
  誰もがホームランを打てるわけではないが、ホームランバッターならそれを狙うのが仕事だ。誰もがみんな盗塁できるわけじゃないし、すべきでもないけれど、しかし足の速い選手なら常に盗塁を狙っていなければならない。
 それぞれが自分と自分の役割を知ってベストを尽くすのがプロフェッショナルだ。


 まさに各自が「分を尽くす」ということだ。
 そして、それぞれが各々の分を尽くせるよう適材に適所を与えるのが監督だ。
 適材適所に配されたなら、選手、スタッフは、その適所で自らの適材を最大限に発揮するよう努める。
 その発揮の度合いを、監督は公正に評価する。
 バレンタイン監督の評価は、主としてパフォーマンスのプロセスに向けられる。

5 プロセスと姿勢の重視

 昔からよく言われる通り、野球とは確率のスポーツだ。あるいは蓋然性のスポーツだと言ってもいい。
 ボビーは、それを非常に強調する。そして、野球は失敗を重ねていくスポーツであるとも言う。

 野球にあまり興味のないひとはイメージがわきにくいかもしれないが、「確率のスポーツ」というのは、結局、最善の手も最悪の手も、それは確率の高低でしかないということだ。
 例えてみれば、サイコロで大きい数が出るほど良いとすれば、良い手というのは、3、4がなくて5と6が二つずつあるサイコロのようなものだ。5や6の出る確率は高いが、1や2が出ることもある。
 したがって、状況状況で打つ手というのは、いかに確率を上げていくかという作業であって、個々の最善の手がそのまま成功につながるとは限らない(さきの例のサイコロにも1や2があるように)。しかし、あらゆる状況で常に少しでも確率の高い手を重ねていくことで、一定の時間幅で最終的に、トータルによりよい結果を求めていくのが野球なのだ、ということだ。

 考えてみれば、実はこうしたことは野球に限らず多くのスポーツについて当てはまることだし、さらには、仕事、ひいては戦争における戦略、戦術についても言えることだ。(だから軍事分野では「蓋然性」という言葉をよく使う)
 それでいてことさら野球が「確率のスポーツ」と呼ばれるのは、野球の構成要素が徹底的に確率という数字で表現し得るし、そのように標準化されているからだ。数学のスポーツとも言われるゆえんでもある。

 野球が好きなひとならば、さまざまなデータをごく日常的に見て楽しみ、さまざまに考えもしているだろう。
 打率、出塁率、長打率、盗塁成功率、盗塁刺殺率、三振率、奪三振率、勝率…
 多くの数値はまた、率ではなく数で認識されてもいるだろうが、結局頭の中では漠然と率に変換されているはずだ。つまり、相手投手が現在8勝2敗とも聞けば、今の時期で8勝をあげているという「高率」、さらには8勝に対して2敗しかしていないという「勝率」。三振の数や盗塁の数にしても同じだ。

 よく言われる話だが、
 打者で3割バッターといえば好打者だ。シーズン首位打者でも3割台。つまりいかにトップレベルの打者でも、7割近くは凡退なのだ、と。

 そういう「確率」の積み重ね、「蓋然性」の積み重ねである野球では、指揮官はプロセスの評価を重視しなくてはならないとボビーは言う。
 つまり、いかに良い手をうっても(さきのサイコロの例で)1や2は出てしまう。そういう失敗はいい、仕方がない、野球はそうしたスポーツだ。しかし、1や2ばっかりのサイコロを振って1や2を出すのは愚かだし間違っている。最善の手をうつ、最善のパフォーマンスをしたのかどうなのか、それでする失敗はよいが、誤った判断や間違った手をうっての失敗は改めなければならない。
 逆に、誤った判断に基づいて(数少ない6がたまたま出て)結果オーライになったとしても、長い目で見れば、それを指摘して改めさせなければ選手とチームは強くはならない。

 さて、ここで思い出してほしいのは、先に述べたとおり、しかしこうした蓋然性の積み重ねで勝利(成功)を目指すというのは、なにも野球に限った話ではないのだということだ。
 「結果うまくいったんだからいいじゃん」という話はどこででもしばしばあることだが、場合によっては、なぜ結果オーライではダメなのかということを説明し、それこそ「構造」を理解させてやる必要があることもあるだろう。

6 訓令型の指示

 軍隊でいえば、命令には「訓令、命令、号令」という種類がいわれる。
 訓令とは、果たすべき目的を与えて、それを実現させるもの。
 命令とは、果たすべき目的に加えて、方法等についても指示し、実施させるもの。
 号令とは、目的を示すことは要件ではなく、その場で指揮官が逐一何をせよということを、つまり行動を直接指示するもの。
 一般的には通常、より上級の指揮官であるほど(指揮下部隊が大きくなるほど)命令は訓令型に近づき、逆に現場に近い指揮官ほど、命令は号令型に近づく。
 しかしながら、部隊の規模とは別に、指揮官の意図や任務の性質、あるいは受令者の能力等に応じてもさまざまに使い分けられるものでもある。

 バレンタイン監督は、基本的に訓令型の指示を好む指揮官だ。好むというと単に性向の問題のようでもあるが、かなり意図的なものもあるようにも思える。

 ボビーのやり方は、方針を示しはするが、具体的なやり方については選手とコーチに任せるというものだ。
 選手は、自ら考え、身体を動かし、どうすればよいかを模索して、自分で何らかの方法、答を見つけなくてはならない。
 そうでなくては、選手が真に成長することはない、そうボビーは平素言っているので、やはり意図的な着意があってのやり方なのだろう。

 ボビー自身は、方針や目標を示し、それを達成するよう選手、コーチに命じ、見守る。
 その環境を整えてやるのと、成果を評価してやることが、監督の仕事だ。


 今回はざっくり6項目に分けて、バレンタイン監督のチーム育成スタイルを紹介したが、一読してわかるとおり、これらはそれぞれ相互に関係している。
 そして、最初に書いたとおり、指揮のスタイルとは十人十色であるべきだし、また状況に応じて選択されるべきものであるけれども、今日から将来に向けての多くの組織においてきわめて有効、有意義であろうアプローチも多々含まれていると思う。
 (また気が向けば第3弾も書くかも ^^;) 書くとすれば、「基本と応用〜戦理の適用」といった方面になるか…)


 冒頭付記したとおり、8年ほど前に書いたものを、参考までに添付しておこうと思うが、ここまでの分量が多くなったので、続編として別に立てることにする。
posted by Shu UETA at 02:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 戦略戦術 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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