2004年10月28日

「夜回り先生」ワンシーンより

music Russians Love Their Children, too / Sting


 昨夜TVで「夜回り先生」を見た、というよりは少し見た ^^;)

 最初の数十分を見ただけなのだが、そのワンシーンに随分と胸が痛んだ。

 母子家庭で、母親が病気に伏せっている。
 当然、お金もない。
 その小学生の子供、息子が、母親に食べさせようと、コンビニを回って、賞味期限の切れた弁当をもらおうとする。



 深夜近く、とあるコンビニ、店長は的場浩司。

 外を眺めて「まだいるよ…」

 顔をしかめながら、店を出てくる。
 コンビニの前、少し離れたところに、小学生くらいの男の子。

 「お母さんが病気でたいへんなのはわかるけどな、期限切れた弁当ってのは、あげるわけにはいかないんだよ。期限切れたのを食べて食中毒になったりしたら困るんだよ」

 「食中毒になってもいいから、お願いします」

 「オレは雇われ店長だから、そんなことにでもなったら、クビになるんだよ。クビになったら困るんだ。うちにはガキが3人いるし、嫁さん逃げちまったし… な、無理だから。もう帰れって。いいな、帰れ。小学生がこんな時間までうろうろしてるもんじゃないよ。家どこだ?」

 「緑町です」

 「緑町ってったら… おまえそんなとこから歩いて来たのか?1時間はかかるだろう?何でウチに来たんだ?もっと近くにあるだろう、コンビニ。」

 「頼んでも、くれないから…」

 「それで、ずっとコンビニ回ってきたのか…? …とにかく、もう帰れ。弁当はあげられないんだよ。わかったな、早く帰れ」

 店にもどりつつ、ふと立ち止まって振り返る。
 子供はまだいる、うつむいて。

 的場、もどってくる。顔を子供の目の高さにして

 「おい、1時頃また来れるか?期限切れた弁当、車が集めにくるんだ。1時に来るから、12時45分頃来い。店の裏の棚に置いとくから、もってけ。いいな、あげるんじゃないぞ。オレからもらったなんて言うんじゃないぞ。これから毎日置いとく」

 的場、せかせかと店に戻る。
 後ろ姿に、少年、

 「ありがとうございます、ありがとうございます。…ありがとうございます」

 シーン変わって、少年と母の部屋。
 老朽化もかなりひどいアパートの一室。
 コタツ机、横にしいた布団に母。
 少年は机でコンビニ弁当のビニールをはがしながら、元気な笑顔で、

 「ほら、お母さん、お弁当もらってきたよ」

 母(熊谷真美)は布団に起きあがる。
 その膝のあたりに、少年が弁当を置く。

 「あ、そうだ、おはし、おはし」
 と笑顔で箸をわたす。

 また別の日、
 少年がとなりの部屋を訪ねている。となり住人は暴走族の少年。これから集会にでも行く支度中。

 「なんだ?」

 「牛乳を貸してください。砂糖も貸してください」

 少年、台所でフレンチトーストをつくっている。

 「ほら、お母さん」

 「フレンチトーストじゃない… あんたどこでこんなの覚えたの?」

 「学校の家庭科で習ったんだ。本当は卵も使うんだけど…」

 母親、一口食べて、泣く。



 随分長い描写になってしまったが… 
(細部はこの通りではないかもしれない。あくまで記憶なので)
 そして、まるで時代劇か何かの焼き直しみたいで、一見非現実的、果たして今時こんな貧しさがあるのだろうか、とも思わせるが、しかし、こんな今日でも、やはりこんな貧しさはあると思う。
 働き手が一人で、かつ病気等により働けなくなったら、そして、頼れる親族がいない場合だってある。

 随分ベタでくさいシーンのはずなのだが、思わず胸が詰まった(単に役者の演技がよかったのかもしれないが)。情けないが、実にこういうのには弱い… ^^;)

 あの少年は、きっと素晴らしい人間になるだろうな、くさらず、明るく、一生懸命だ。智恵も行動力もある。
 そんなことを思いながら、考えた。
 実際、彼らのような境遇にいる人を、どのように救ってあげることができるだろう?

 お金がないというのは、本当につらい。
 特に、子供の立場ではどうしようもない…

 やはり、政府による福祉施策によるものか。アメリカでやっているような、貧困者への食事等の支給…?
 あるいは、江戸時代の長屋のような、地域住民の互助の雰囲気は醸成し得るものか…

 本来は、後者のような血の通ったものが個人的に好きだが、しかし、今日の社会でそうした社会環境を招来するのも困難か…
 唯一可能性があるのは、かつての薩摩藩の郷中や、イスラエルのキブツのような、地域での子供の育成システムのようなものを、それだけでなく、それを核として上記のような面の福祉までを含んだ総合的な地域システムにできないか…そこから、ある種の互助的雰囲気をも醸成できないか…

 郷中やキブツのようなシステムは、政策として研究している(いずれ発表したい)が、併せて発展性を考えてみたい。

 そんなことを、TVを見ていて思った。


posted by Shu UETA at 02:32| Comment(2) | TrackBack(0) | 天下-教育・科学・文化 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
その少年は、確か薬物中毒になって、事故でなくなったのだと記憶しています。そちらのドラマではないのですが、以前にNHKで水谷先生の特集を見たときに先生自身が語っていたと思います。

話は変わりますが、私は生活保護というシステムがうまくいっているのか疑問です。生活能力のない人物にお金を渡してもギャンブルにつぎ込んでしまって子供にろくに食べさせないような事件もありましたし。

思うに、成人でも、親子でも、生活能力がない人には更生施設のようなものが必要なのではないかと思うのです。なんというか、ちょっと学校の寮のようなものと職業訓練施設のようなものの複合施設です。
Posted by spice boy at 2004年10月29日 03:34
> spice boyさん

 ははあ、やっぱり実話に基づいた話なんですね、「夜回り先生」とは。
 ドラマでは、別の少年が薬物中毒で死亡していて、記事中のあの子の家庭では、お母さんの病気が快癒して仕事に復帰していましたが(その代わり、あの子の兄はちょっとぐれていったような…)。
 ドラマは所詮脚色でしょうが、ドラマの通りの子であれば、きっと立派な大人になると信じたいですね ^^)v

 ところで、僕もそうした更正施設的なものには興味があります(今やフリーターにも適用が構想されつつありますね)が、何らかの生活保護(本文中記したように、僕はあまり好きでない)か互助的システムのようなものとは別枠で考えています。
 本文中のドラマの例のように、働く意志も能力もあり、ただ病気や怪我、事故等、かつ親族不在等によって困窮している人たちについては、更正などという問題ではありませんから ^^;) で、こちら側の話が、記事本文の話とすると、、
 一方で、spice boyさんの言うような方面の施策、これも必要ですよね。社会自身のためには、こちらが特に重要だと思います。弱者保護の観点ではなく、社会の構成員の戦力化という観点からも。それはずっと行われてきてはいるものの、規模があまり大きくないことと、そしてフリーターという層の拡大で、問題を抱えているようです。かつ、おっしゃる通り、保護の金が、適切に使用されないという問題も(ODAと似てますね ^^;) 。僕も、いろいろ考えてみたいと思っています。
Posted by Shu at 2004年10月29日 14:52
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