2008年03月19日

日銀総裁人事についての整理

 ここ数日、日銀総裁人事が迷走している。
 僕はこの件に関しては格別個人的情報と知見をもっていないので、断定的な話も、ことさら熱をこめた主張のようなこともできないけれど、些かの整理をして、若干の個人的意見を付してみたい。

 整理として、
 まず、民主党のかくも強硬な反対の理由。
 可能性としてだが、
 1 政局的観点から(いわゆる政争の具)
 2 財政金融分離の必要性から
 3 候補者の個人的適格性

 整理のうえで、自民・民主両党への僕の提言を少々

 最後に僕の個人的意見

[ 整 理 ]

■政局

 もっとも疑われる点、そして現におそらくは国民の多くがうすうす抱いているであろう感慨は、
 「これは政争だな…」 というものだろう。

 僕自身も、現時点ではそう考えている。
 もっとも、後で述べる財金分離という主張が、多くの民主党議員に信じられているとしても、それでも、政争感覚が大いに混じりこんでいるのではないかと思う。

 せっかくの参院第一党の座、その武器を使えるだけ使おうというのは、あの選挙以来 平素常に民主党が振りまいて(しまって)いる印象だ。

 (しかし本当は、そのような武器というものは、使うときと使わないときのメリハリをつけた方が、より有効に使えるものなのだが、その点で民主党は稚拙だと思う。)

 さらにそれを傍証するものとして、

 今日の二人目の与党提出人事案では、国民新党が賛成に回ったのだが、綿貫氏が取材に対して、明確に、「これ以上党争の具としないため」決断したと述べている。
 先日まで先の人事案について野党共闘で反対していた国民新党からのこのコメントは、図らずも、野党陣営の議論の実情をうかがわせるものでもある。
 (僕が民主党議員なら、綿貫氏には大いに発言を糾したい。せめて「語弊があった」くらいは言ってもらわなければ)

 綿貫氏とその周辺の判断が、与党からの働きかけ、何らかの(良くも悪くも)取引的なものであるのか、あるいは党としての戦術的判断であるのかはわからないが、
 もし戦術的判断なのであれば、上出来だと思う。
 これ以上の民主党との共同歩調は、かえって国民の反感を買う危険性がある。あるいはそうしたシラケムードを機敏に察したのかもしれない。(綿貫氏には十分そうした嗅覚はあると思う)
 そして戦術的観点からいえば、与党案に初めから賛成するよりも、いったん反対してからこのような態度をとるほうが意味があるのは言うまでもない。

 さらに効果を期待するならば、先ほどのコメントを、より声を大にしてさまざまな場所、機会で広言するのが効果的だろう。
 「これ以上党利党略で金融政策に空白をつくるべきではない」と。
 「わが党は、国民と社会にとって今いちばん大切なことを見失うことはない」と。

 もう一点、

 それは小沢氏の態度だ。
 ちなみに彼は、先月19日の会見において、日銀総裁後継人事に関し、
 財政金融の分離という観点にはこだわらない、そう表明している。
 さらにあわせて、
 政府(財政)と日銀(金融)にそれぞれの役割があるのはもちろんだが、それぞれ関連する問題についても視野を広げて当たるべきだ、ということを言っている。
 (個人的には実にもっともな考えだと思うが)

 こうした主張に照らせば、今回民主党が主張している(と、思われている)財政金融分離の厳守であるとか、武藤氏が大蔵出身だからダメだとかいうことは、果たして民主党の首脳レベルではどの程度本気で唱えられているのか疑問である。
 単に党の兵隊(所属議員)に模範解答として示されている売り文句的なものに過ぎないかもしれない。(と、思われてもしかたがない)


■財政金融分離

 このことは、90年代からの経緯その他、書けばあまりに長くなるので、そのあたりに明るくなく興味のある向きは他をあたってもらうとして(僕とて明るいというわけではないし ^^;)、ざっくりと。

 一般的に、財政と金融の分離は大原則であると、王道であると、そのように言われる。
 この点で既に見解を異とする立場もあるが、僕個人としては、認めるに吝かではない。

 ただし、僕の個人的見解としては、
 しかし、ものごとには一般論と特殊ケースとがあるだろう、ということを思う。(なぜならば、ものごとには、ことの軽重、優先度というものがあるから)

 一般論として、財金分離が必要であるというのには、経済社会の過去の幾多の苦い経験から、インフレへの恐怖感、危機感というものが大きくあるだろうと思う。

 政府(政治家)というものは一般的に景気を求めがちであるし、それを放置すれば容易にインフレは招来されがちだ、
 政府から独立した中央銀行が、ストッパー、ブレーキ役として引き締めなければならない、と。

 わが国に限っても、たとえば戦前の(独立していない)中央銀行が国債を引き受けたことによる財政インフレであるとか、先のバブル期における、日銀に対する大蔵の圧力であるとか、そうした苦い記憶がある。

 し、か、し、なんだけど、
 目下のわが国の状況を見ると、
 デフレ下にあっても頑としてお金を供給しない日銀(インフレになるからダメだと ^^;)、
 あるいは、GDPの150%を超える債務残高を抱える状況で(そうしたのは過去の政府の責任であるとしても)、財政を度外視して金利を操作する日銀(もちろん度外視してるとは言わないけど、仮の話)、
 こうしたものは、日本という国そのもの、経済社会のことを考えれば、あってはならないものであって、この窮地を突破するにあたっては、むしろ相当に緊密な財金の協調が求められるだろう。

 もしそうであれば、自ずと総裁人事においても、むしろそうした点が考慮されても本来はしかるべき、かもしれない。


 もうひとつの視点は、
 大蔵、財務出身者だと、本当に金融の独立性が担保できないのか、ということ。

 実は過去には、暗黙の了解で、日銀出身者と大蔵出身者が交互で総裁に就いていたわけだが、僕の記憶では、その間、日銀が政府の言いなりだったとは思えない。ずいぶんと熾烈に闘っていた感もある。
 (僕は日銀に不満を感じることが多々あったっけ)

 また、個人的経験に照らして、例えば僕が人事異動で配置を移ったときに、前職とは相対立する(悪い意味でなくチェック&バランスの組織デザインによる)ような組織に行ったとしても、そこでどれほど前職を引きずるかというと、ほとんど無しに近いような気もする。(むしろ燃える!)
 むしろ、前職の組織は、手の内を知った人間がカウンターパートになって相当にやりにくく、手強く感じる場合が多いように思う。
 もっとも、卑近に過ぎて参考にはならないのだろうけれど。皆さんは自己に置き換えて想像するとどうだろう?

 もちろん、明らかに政府の意図を体してダイレクトに送り込まれるとなると話は別だろうが、今回の武藤氏にしても、もう長年日銀で勤めてきてのこと(本人もそうした意味のことを言っていたと思うが)、そうすると、感覚としてどこまで財務省贔屓感情が残っているかというとかなり疑問な気もするが…
 プロ野球もトレードなんてできたもんじゃない… ^^;) あはは、これは余談冗談

 それにせっかくした日銀法の改正。
 日銀法に則って担保できない独立性とは一体何なのか?
 という感もある。


■適格性

 この問題は、民主党の主張では唯一、理のとおったコメントもある。(ごくごくわずかだが)

 今日であれば、仙石氏(相変わらずあの人は鋭くてタフだなぁ)が、金融危機管理審査委員会の時の話を持ち出して、金融破綻の元凶(当時田波氏は財務次官)であるとして適格性に疑問を呈していた。

 こうなると、これはひとつの見識であって、個人の能力に対する適格云々ということになると、あまり情報を持たない僕としては、この議論に参加することはできない。誰は無能で誰は有能だなんて判断する材料は持たないので。

 …持たないだけに、例えば上記のような仙石氏の話を聞くと、僕だって眉間に多少のシワは寄る。
 そういやそうだよなぁ…むぅ、、、と。 ^^)

 また、先日不同意となった武藤氏についても、
 民主党の江田氏によると、
 大蔵スキャンダルの際の大蔵官房長であり、省内綱紀維持の責任者でありながら、責任者ゆえの事後収集という口実?でただ一人辞任を免れて(官房審議官に格下げにはなった)、その後事件のほとぼりも覚める間に、なんと事務次官まで上り詰めている、という。
 (「日銀総裁人事・・・財政と金融の分離を貫け!」)

 これも、こうして聞けば(他の事情や話を知らないし)、やはり、それはいかんな… という気持ちにもなる。
 (ただし責任論であって、能力論とは別だが。ことの軽重次第では能力をとらざるを得ない場合もあるだろう)
 (ちなみに、上記の江田氏の記事では、タイトルで「財政と金融の分離を貫け」と言っているにもかかわらず、本文はその原則の意義その他には一切触れず、武藤氏の醜聞と責任論に終始している。たいへん不思議な論考だ。)

 つまり、こうしたスジの通った適格性論であれば、われわれも十分考えさせられる。
 結果的に、公式声明としては、今日も、「財政と金融は分離すべきである」という理由により不同意、ということだったが。


 ちなみに一方で、民主党には、
 「天下りだからダメだ」という声もある。

 これは問題外だと思う。
 こと日銀に関しては、天下り云々というレベルの話ではない。


[ 提 言 ]

 上述のようなことに鑑みて、もし僕であれば、

 自民党、与党については、

 財政金融分離の一般原則については十分理解していること、
 しかしながら、今日の経済財政状況に鑑みて、財政と金融の連携がきわめて重要であること、(←この点特に具体的にわかりやすく)
 金融に対する経験能力に加えて、こうした要請に堪え得る人材として、この人物を選んでいる、と、

 こうしたことをわかりやすく、しかも国民に対する目線で訴えるべきだろうと思う。(民主党は国民の雰囲気に弱い)


 民主党については、

 もしどうしても触れたいなら、なぜ財政と金融の分離が大切であるのかということを説明した方がよいと思うし、
 しかしそれよりも、明確に適格性を問うたほうが効果的ではないかと思う。
 もう十分に民主党の強面ぶりは印象づけた、このあたりで引いておくのが望ましい。


[ 個人的意見 ]

 僕個人としては、

 まず、「財政金融分離」を理由にした決着の前例をつくってしまうのは絶対によくないと思う。
 つまり、今後どのような出方をするのかわからないが、財金分離を理由とした二回の不同意を受けて三回めに財務省と縁もゆかりもない人材を出してしまえば、「財務省経験者は日銀総裁になってはならない」という前例を残してしまう。
 そうした形での将来における選択性の拘束はよくない。
 しかも、法によらないこうした「不文律」的なものは始末が悪い。

 つぎに、
 一般論としての財政金融分離の理は認めるが、それを状況によらず金科玉条とするのはまずいと思う。
 一体何を守らなければならないのか、何を実現すべきなのかということを見失うことなく、状況に応じた選択をしなければならないと思う。(本来、それこそが官僚と政治家を分けるものだろう。むろんこれは政治家の仕事。)
 そういうところで原理主義的になってはよくない。
 今回であれば、そもそも財金分離の原則が何のために生まれたのか、そこのところを考えれば、その本来守りたいものがもう一度見えてくるだろう。

 僕個人は、現在の日本は、財金協調が相当に求められるはずだと考えている。
 そして、日銀法は、必要な程度の日銀独立を十分に担保し得ると思う。


 ところで、こと経済運営に関すること、人それぞれ意見の相違はあるだろうけど、このページ、なかなかうまいこと面白く書いてますよ。(全体的には所々僕も異論ありだが、原則も状況によるだろうという点では、なかなか上手いこと書くなと感心しきり)

 「財政と金融の分離、日銀の独立性について


[ 余 談 ]

 最後に、これはやや余談的、ちょっと微妙なことなので。

 というのは、独立独立というけれど、日銀に対するそれだけの信頼感はどこからくるのか、ということ。

 政府とは、そもそも選挙という手続きを経た国会議員が、しかもその手続きにおいて相対的により大きな信託を受けた政党を代表する立場の人間が組閣構成しているものだし、失政に対しては国民はその責を問う手段も持っている。

 果たして日銀とは何か?
 僕にいわせれば、何を淵源にその強大な機能権限を運用するのか。どのような手続きで誰の信託を受けているのか。(その手腕が場合によっては経済社会に恐るべき影響を与える)
 もちろんそれは法と国会であるとしても、それが果たして政府と対等に対立し得るほどの重みのものなのか。

 人々(民主党も)は口をそばめて官僚をあげつらうのに、日銀マンはどうして信頼できるというのか。
 日銀生え抜きなら民主党も文句はないのだろうが、日銀総裁が日銀生え抜きというのは、例えば防衛大臣が防衛省生え抜きの官僚である(そんなこと断じて許せないだろう)というのと、どのように信頼度が違うというのか。

 そんなことも、そこはかとなく考えたり。

 ちなみにこのことは、僕は司法制度についてもかねてより思うところがある…
 裁判官?何様だ、と あはは ^^;)

 だって、近年はひどいもの。裁判官の個人的信条、思想も露わな判決文だとか。あくまで法に依拠する合理的思考マシーンに徹しきれてない裁判官が。

 強大な司法権力。
 ほんとうにあれが、政府や国会とタメでいいのか?と。
 みんな、あれはただの公務員だぞ?
 リコールなんて、形式的には存在しても、現実にどれほどのチェック機能があるものか。

 …と、このへんは語弊もあって誤解も招きやすいし、ちょっとした問題発言だけど、いずれまた機会を設けて少し書いてみたいと思う。 ^^)


posted by Shu UETA at 00:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 天下-経済・エネルギー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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