2004年10月25日

室井佑月さんの品


 思えば、うちのblogでタイトルに個人名が出たのは初めてかもしれない。図らずも、ささやかな名誉を贈呈することに。(なんの名誉だか ^^;)

 さて、その表題、彼女の「品」というのは「しなもの」ではない。たしかに、なんだかオークションみたいに見えるタイトルではあるけど(今気づいた)。

 そうではなく、これは「品性」という意味で。
 でも「しな」と読んでほしい。
 「ひん」と言うより、「しな」と言ったほうが、それこそ「しながいい」。
 品が悪いときには、「ひんがわるい」と言いたいかも。

 と、言うとばれてしまった。
 つまりこの記事は、肯定的な意味で彼女を語り始めつつある、ということ。^^)

 室井佑月さんのblogで、新潟県の方々へという記事があったんだけど、僕が気になったのは、「違う意見を述べることと、一つの意見に対して悪口をいうこととは違う」というくだり。(彼女の記事は、ひとつの記事がさまざまなトピックで構成されているので、ず〜っと下まで読むと、この話の部分が出てくる。)

 そもそもは、その言葉そのもの「違う意見を述べることと、一つの意見に対して悪口をいうこととは違う」に共感を感じて、このテーマでひとつ記事を書いてみようかと思ったんだけど、読んでいるうちに、あらたな興味が。

 この件りでは、彼女は多少感情を露わにした表現も敢えてしていて、「うるせーってんだよ」「胸くそ悪い」「むかつくね」「嫌がらせかよ」なんて言葉を拾うことができる。

 ふと思ったのは、そうした言葉を織り込みつつも、読んでいてイヤな気がしないなということ。
 というのも実は、僕はこうしたことにどちらかというと敏感で、品の悪い文章はどうも苦手(と、思っていた)。

 文章表現には何かと興味があるほうなので、しばし、読み返しながら考えてみた。彼女のこの文章が、そうも品を失って感じられないのは何故か。それを分けている表現上のポイントは何だろうか、と。

 ひとつは、前後に見え隠れしている愛敬のある表現のせいか。
 あるいは、理性的論理的な文脈とのバランスの良さか。非難に終始しているのではなく、むしろ冷静な文脈の中での言葉となっているから。
 さらには、さきに抽出したような言葉の例も、かえってストレートな言葉であって、いやらしく皮肉に満ちたような工夫を施されたものではないからかもしれない。

 などと、つらつら考えてはみたけど、自分自身、あまり説得力を感じない。

 そこで感じたのは、今さらながら、結局は書いている人の品の問題か…やはり、ということ。
 およそ人がすることは何であれ、多かれ少なかれその人の人柄なりを示さずにはいられないものだが、文章を書くということにおいては、ことさら。

 たとえ先に分析(大袈裟 ^^;)しようとした諸点が妥当であったとしても、あの記事のレベルで、わざわざそんな計算をいちいち緻密に行うとも思えない。
 だとすると、たとえああいった理由がたしかに働いているとしても、それは自然に、結果的に、そのようになったに過ぎないのだろう。
 それはとりもなおさず、筆者の品ということになる。

 これを「上品」ととらえて、彼女の件の記事を読んだひとは、僕の話に異議をもつかもしれないけど、この場合、上品というのとは少し違うような気がする。だけど何か「しな」がある、ような。
 「上品な文章」というのではなく、上品でない書き方をしていても「しな」がある、というべきか。
 このへんのニュアンスは伝わりにくいんだろうけど、例えば、上品な文章を書いていても、品位の低さが滲むものだってある。さほど上品に書かずに、それでいて何となく品位を損なっていない、というのもあって、彼女の今回の記事を読んで感じたのは、多分これなのかなと思う。

 僕は、彼女の人となりについてよく知っているわけではないし、もちろん個人的なつきあいもない(そうしてみたいと思う人のひとりではあるが)。
 だから、彼女の品について、僕が「いいなあ」と言っても、人が納得するのか、唖然とするのかはわからない。
 けど、少なくとも記事を読んで、彼女はある種の「しな」のある人なんだろうなと、僕は感じた。そこはかとない、愛敬も可愛げも。
 いつか、話でもしてみたいものだと思う(別に確認のためではないが ^^)

 あまりに大袈裟に、実際以上に褒め過ぎだ、と思うひともいるかもしれないし、買いかぶりだと言うひともいるかもしれない。
 だけど、人を褒める時には大いに褒めて、勝手に買いかぶるくらいでなきゃ、というのが僕の信条。そのほうが自分のためにもなるから、お手本がいっぱいで。^^)v

 何かを肯定して書いているときは簡単だけど、批判非難をしているときについても、願わくば、僕も、あまり「しな」を落とさない文章を書きたいものだと思う。
 プロの書き手を引き合いにするとはおこがましいとも見えるけど、しかし、品の善し悪しは、人間性の問題であって、作家としての腕前とは別の話だろうから。


 そもそものテーマからずれているようで、しかし考えてみれば、「違う意見を述べることと、一つの意見に対して悪口をいうこととは違う」というのは、それこそ大いにその人の品位とも関わってくることでもある。

 blogや掲示板でも、たとえば政治や経済を扱っているものでさえ、何ら建設性を欠いて、文字通り悪口に終始していることを見かけるのも、単なる筆者の溜飲下げにつきあわされることも、そう珍しいことではない。

 他人事ではなく、僕も自戒自戒、といったところ。 ^^)

 話は変わるけれど、今回の彼女の話の発端ともなっている以前の記事、だらしない生き方のススメの末尾の言葉が好きだ。wordsに引用させてもらいたいくらいだったが、先週は既に他から引用していたこともあり、original原則にも則って遠慮を。代わりにここで。

 「会えたら嬉しい。が、会えなくても、ま、いっか。そんな妖精のような人間に、あたしはなりたい。」



posted by Shu UETA at 23:00| Comment(4) | TrackBack(1) | 思索 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
実感のこもったいい文章だと思うよ。

たぶん、ほんのちょっと気づくだけで、誰もの文章は光だすよね。

その光を感じたんだね。これだけは、理屈で説明できないから、体験するしかない。

悪口も自然な感情だからときとして大事なこと、ただ、コントロールが効かないと、暴走しているだけになっていて実は言っている本人が傷つくだけだと思う。
Posted by 野猫 at 2004年10月27日 10:01
> 野猫さん

 久し振りですね。
 T/B記事、おもしろく拝見しました。
 なかなか言い得て妙で、いろんな類型が目に浮かびました。
Posted by Shu UETA at 2004年10月27日 21:53
はじめまして。
本日たまたま室井さんのblogに辿り着きまして、
「その周辺でここ数日繰り広げられていたこと」について興味深く拝見しているうちに、こちらまで辿り着きました。

前置きが長くなってしまいました。

卑屈にならず、己を概ね肯定出来る(または、肯定しようと試みる)人というのは、たとえ文章や会話に雑な言葉を挟んでいようと、不安を煽ることが少ないように思います。
そういう人々は、私の周りにも沢山存在していて、大事にお付き合いしていきたいと思っています。

一方、丁寧で礼儀正しくいてさえも、人は人を罵り蔑むことが出来る。恐ろしいものです。私も気をつけねば!
Posted by cafeof at 2004年11月03日 18:37
> cafeofさん

 はじめましてっ
 僕の長々とした記事よりも、cafeofさんのこのコメントのほうが余程、的確端的に、ことを言い当てている気がします。^^)
 ちょっとした、目から鱗でした。
 仲良くなってみたいです。

 今後とも、ぜひぜひよろしくお願いします。

 風邪、どうですか?お身体お大切に。
 (余談、僕も昨年は埼玉にいました。所沢だけど。)
Posted by Shu UETA at 2004年11月03日 19:51
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