2005年10月31日

自民党改憲草案(雑感)


 ご存知のとおり、自民党の改憲草案がまとまったようだ。
 立党50年記念大会で発表(11月22日)ということで、未だ自民党HP等で公開されているわけではないが、報道記事により骨子を知ることができる。

 自民が初の改憲草案(産経:ページ下部に全体要旨あり)

 今日のこのエントリでは、詳述というレベルではなく、ざっとメモ的に雑感しておこうと思う。(まだ一読したばかり ^^;)




 国民主権という概念(表現)について僕が疑念をもっていることは以前書いたことがあるとおり。
 しかしながら、現時点でいきなりそうした大転換を俎上に乗せることもできまいから、特に異存するつもりはない。
 そこで、引き続き象徴天皇という位置づけを「主権の存する日本国民の総意に基づく」とするのは妥当というべきだろう。(僕は元首論にはあまりこだわっていない。いずれ別記事にでも)


 平和主義に関する部分では、妥当であるとは思うものの、多少の気がかりとしては、「武力による威嚇」はよいとして、「武力の行使」という言葉で、それを「国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」とまで表現してよいのだろうかという疑問は感じる。

 この「疑問」というのは、善悪とか理念の問題ではなく、続く自衛軍の条項との整合性という点についてだ。
 そこでそちらへと先に進んでみると、

 自衛軍の保持に関する記述は妥当だと思う(自衛軍という名称には個人的に異論があるが、相対的には些細ともいえるので省略)が、
 自衛軍の活動についての規定で、「国際社会の平和と安全を確保するために国際的に協調して行われる活動(中略)を行うことができる」とあり、ここについても僕は賛同支持しているが、先の平和主義の条項にいう、国際紛争を解決する手段としては、武力の行使を永久に放棄する、ということと合わせるならば(そして「国際紛争」には「当事者として」等といった但し書きがあるわけではないので)、この「国際社会の平和と安全を確保するために国際的に協調して行われる活動」をすることはできるが、ただし武力の行使にあたる活動は除く、ということになる。

 であれば、「武力行使」の解釈であるとか、「戦闘」と「後方支援」であるとか、「戦闘地域」と「非戦闘地域」であるとかといったことをめぐるここ数年の紛糾は、この草案のような憲法下でも続けられることになるだろう。

 民主党は先日にもテレビで前原代表が、国外での武力行使の禁止が重要だと話していたが、上述のようなロジックで民主党とある程度の調整をすることができるのかもしれない。(ただし後々に紛糾のタネを残す可能性も先述のとおり)

 (「雑感」と言ってあるとおり、深くは追ってまた機会を設けたい)


 国民の責務については、そもそも国民が自らの権利を守るため、国(権力)につきつけるものであるという「憲法」の本義に照らして、馴染まない、もしくは不適当であるといった論も強いが、僕個人は、そうした論には与していない。
 これは従来書いてきたとおりだが、その理由は、
 @憲法も時代により変化(進化)し得る(してきた)
 A憲法発生の時代と異なり、国民主権の浸透した国家なればこそ、国民の権利を侵害し得る者とは国民自身である(主権者たる国民が国民をも国家をも抑圧し得る)
 (ちなみにこの点に、一個不可分ではない「国民」をもって「主権者」とする無理がある。これも以前書いたとおり、むしろ何人にも主権などを与えぬというほうが理論として適切であるというのが僕の考え)
 よって、国民の権利になんら制限を設けないことは、往時にあって君主の権力に何らの制限を設けないことと似ているはずだ。


 国政上の行為に関する説明の責務に関して、「国は、国政上の行為につき国民に説明する責務を負う」のは至極もっともなことだが、憲法という最高規範で、但し書きなくここまで言い切ることと、外交及び安全保障における守秘との兼ね合いが多少気にかかる。
 そうした観念が相当に希薄である今日の日本であればなおさら、ある程度、そうした例外的事項に関する記述がなければ紛争のタネにも、あるいは上記分野政策における禍根のタネにもなるのではないかと心配もある。
 (外交や安全保障という「相手がある」行政分野について、一定の秘密を保全することは、結局は国民全体の利益のためであることは言うまでもない)


 知的財産権については、特に「国民の知的創造力の向上及び活力ある社会の実現に留意しなければならない」との記述があることを大いに評価したい。
 著作権であるとか知的所有権というものは、未だ社会実験の域を出ていないだけに、相当の慎重さが必要であり、個人的にも大いに懸念していたが、少なくとも今回の草案については安堵できるものと思う。


 軍事法廷(いわゆる軍法会議)に関する規定は、自衛軍の保有をもって、自衛隊を単に公務員から軍として機能させるうえでは必須であり、当然必要になってくるものであって、賛同だの支持だのという類のことではないが、ただし、「下級裁判所として」との但し書きの趣旨を確認したいところだ。

 単に前の部分で「すべて司法権は、最高裁判所及び法律の定めるところにより設置する下級裁判所に属する」としてあるため、最高裁判所ではない裁判所との意で「下級裁判所として軍事裁判所を」としているのか、あるいは、他の裁判所同様に軍事裁判所において最高裁判所まで上訴上告の道をつける意を含んでいるのか、
 もし後者であれば、軍事裁判所という性格上、論外の論である(軍事裁判制度の意味がない)が、もし当然左様な意ではないとすれば、むしろ「すべて司法権は〜」の項において軍事法廷をも並記する等すべきではとも思う。

 また、この関連でいえば、本来は、国家として戒厳令に関する規定を持たないのは異常であろうと思う。今回のこの草案にもやはりそうしたことには触れられていないため、ここに感想しておく。
 民主国家であればこそ、戒厳事態を想定しておく(しかもそれは憲法においてしかなしえない)べきであるし、また、軍事法廷条項との兼ね合いでいうならば、そもそも軍の裁判機関とは、戒厳事態における秩序回復の手続きまでを保有しているべきものだ。

 ちなみに、(むろん法律に基づくが)「軍司法権、処罰権の保有」と「軍律形成維持機能」は国際的には国軍の二大要件とされ、自衛隊はそれらを欠くゆえに「軍隊」ではないのだというロジック(体制側)も存在してきたが、この論でいくと、仮にこの草案どおりの憲法が施行されても、やはり自衛軍は本質的には軍隊ではないということも指摘され続けるかもしれない。

 また、仮にももし軍事法廷が設置されることになれば、今日自衛隊におけるような非法曹専門家による法務幹部などではなく、当然ながら司法試験(もしくはそれに相当する何らかの新設考査)を経たような法曹将校を自衛軍は配置すべきだ。(ちなみに旧軍であっても、法務将校は今日でいう司法試験、高等文官試験司法科の合格が要件とされていた)

 軍事法廷の管轄の問題についても、さまざま議論すべきことはあるが、今日は省略。
 (国により諸ケースがあるが、旧日本軍の場合は、軍人に対してはすべて軍事法廷ということではなく、例えば窃盗など軍刑法に規定していない事項については一般刑法にてらし一般裁判所が管轄。)


 財政の基本原則として、憲法に「財政の健全性の確保は、常に配慮されなければならない」と規定されることには僕は不安を感じている。
 これがどのような解釈を生むかはともかく、特に、もし「均衡財政」ということを意味するとすれば、僕はそれを憲法に記述することには大いに反対だ。財政運営の選択肢を憲法で縛るのは危険であるし、そもそも憲法に馴染むものか疑問でもある。
 また、その点を考慮して「配慮する」などという中途半端な表現にしているのだとすれば、そのような曖昧な表現は避けるべきだと思う。(憲法論争のタネ)
 (この点も詳述は別機会に)


 国と地方自治における、「国及び地方自治体は、地方自治の本旨に基づき、適切な役割分担を踏まえて、相互に協力しなければならない」とは、
 どうも道徳の教科書的で法典としての規範性には欠けるような気もするが、それはともかくも、
 最高法典であるところの憲法にこうして記される「地方自治の本旨」とは、どこから引証されるのだろう。「基本的人権」とか「国際的協調」ということほどに、何の説明もなく共通理解が可能な概念とも思えず、むしろ見解の分かれるところでもあろうと思われるのだが。
 もちろん、下位にあって地方自治の本旨を記したものはあるが、憲法がそれを参照先にするのは本末転倒だろうと思う。


 冒頭断ったとおり、いずれも、ざっと一読しての雑感。
 必要と興味にしたがって、追ってまたそれぞれ考えて書いてみたいとは思っている。


posted by Shu UETA at 19:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 天下-vision・社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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