2005年10月18日

05年パ・プレーオフ


 昨日、ついに千葉ロッテ・マリーンズはリーグ優勝を決めたわけだが、長年のロッテファンである僕としては、昨夜のうちは興奮冷めやらず、試合後も、祝賀会・ビールかけ中継や、選手出演生特番等で夜中まで見て楽しみ、それからもなかなか寝付けなかった。 ^^;)

 さて、一夜明けて、今年のこれまでの戦い、プレーオフまで、つまりパリーグの覇権をめぐってを振り返って、特にバレンタイン監督の戦略を中心に、さまざま思うところを書いてみたいと思う。

 興味や分析の対象はさまざまあるが、中でも、今回は次の点に焦点をあててみようと思う。

 ■ 指揮官バレンタイン監督
 ■ リーグ戦とプレーオフを勝ち抜くチームづくり
 ■ 短期決戦のメンタル戦略

 シーズン中、書きたくて書けなかった(優勝しない限りあまり偉そうに褒め称えるわけにもいかないだろうから ^^) ことども、思いを尽くしての超長文につき注意。
 目下時間に余裕のある人にしかお薦めできません。^^;)
 本っ当に長いから。いつもは分けるんだけど、新記録に挑戦てなもんで ^^;)




 およそ戦いを指揮する者を評価するにあたって、本来「結果」に優るものはないということからすると、日米両国で監督としてチームをリーグ優勝に導いたバレンタイン監督を、優れた指揮官の一人であるとしないわけにはいくまい。
 まして、今回のロッテも、優勝から31年間も遠ざかっていたのみならず、長年Bクラスに低迷していたチームだったことを考えあわせるとなおさらだ。(ちなみに前回Aクラス入りも、バレンタイン監督が率いた95年の2位、1シーズンのみで帰国)

 が、しかしそれで終わってしまっては話にならないので、いま少しその采配の特徴を、僕の目に映った範囲で雑感してみたいと思う。

 まずひとつの類型で言うと、ボビーは、戦略/戦術の両面に優れた監督であると思う。

 例えば軍人や古今の名将においても、戦略に優れたタイプ、戦術に長けたタイプなどさまざまであるし、あるいはスポーツチームや一般の職場においても、人材育成や配置、環境整備、あるいは戦略目標設定に長じた上司もいれば、実務判断能力、実員指揮に優れた者もいる。
 そうしてさまざまな「優れた指揮官」がある中で、戦略/戦術の両面に優れた人物というものが少数いる。

 かつての名将中にあっても、源頼朝が戦術能力に優れていたとは一般に考えにくいが、戦略能力には天才的なものを示した。逆に弟の源義経はやはりきっての名将であるが、その天才が戦略レベルで発揮された形跡を見ることは難しい。
 結局はバランスや混合比率の問題であり、1か0かというものでは無論ないが、これらのことは、古今の多くの名将たちにもある程度の類型、性向を見てとることができる。
 そこで例えば織田信長などは、数百人レベルの作戦指揮官から、大規模部隊の戦術指揮、さらに軍団レベルでの戦略レベルまで、文字通りに戦略/戦術のいずれにおいても卓越した能力を示した希有の人物であったとされる。

 (余談ながら、これは単純にこれをもって人物の高下を断じるものではない。そこには人物の背景環境もあり、またその人がその人たる「真面目(しんめんもく)」「キャラ」というものもある。また、例えば「名選手名監督ならず」という言葉や、現場でバリバリだった人物が、出世して地位を上げるほどにダメな指揮官になっていくということも現に身の回りに多々あるが、それは個人の資質の高低というよりは、性質の差であり適材適所の問題である面もある。よって、これらは一言に人物の高低を言うべき基準ではなく、「性質」「タイプ」の問題であると思う。それらが皆それぞれに処を得て自分の才を発揮することで、チームは、組織は、社会は、何だってやり遂げることができるのだ。ここに「適材適所」の妙はあるし、また自分が自分をどのような自分に育てていくかという志と方向性にも関わってくる。)

 さて、プロ野球においても、昔から、同じく名監督にしても、弱いチームを強くできるタイプだとか、ある程度のコマがいれば強くできるタイプであるとか、あるいは、選手が育つ監督や、勝つんだけれど後には草もはえないタイプだとか ^^;)、いろいろなことが言われてきている。(口さがない世評のこと、もちろん個人名は伏す ^^;)

 そうした中で、バレンタイン監督は、戦略/戦術両面に卓越した少数の一人だろうと思う。
 野球で「戦略/戦術」といってもなかなかピンとこないだろうが、僕のイメージで具体的に言うと(あくまで例だが)、

 (戦略)
 チーム作りの構想、デザインが明確で適切
 選手の育成に長ける
 人材活用、適材適所
 物的、精神的環境整備に優れる
 メンタル面の管理、誘導に長じる
 上記を長期的視野、将来的視野に立って行い得る
 +α 人間的魅力

 (戦術)
 試合における選手起用の目が確か
 投手交代等や代打のタイミングを適切に判断
 攻撃守備両面における作戦知識の量、質とその適用センスに優れる
 試合の流れを把握する能力、それを活用する能力に長ける
 上記を合理的観点、メンタル観点双方で判断、実行し得る

 こうした僕の個人的イメージでいくと、

 例えばホークスの王監督は、バランス的には戦略型指揮官だと僕は思っている。その特徴の第一は、コマの使い方よりもコマを揃えること、つまり育成と配置に長けているということであり、もとより「戦略の失敗は戦術では補い難い」と言われるが、極論すれば、個々の試合の指揮自体は王さんでない人がやってもホークスは強いだろう。実際に、王さんが監督就任以来、当初実に相当の時間年数を費やして強いホークスを作ったことは記憶にそう古くはない。
 前述したとおり、これはあくまで個人内部の相対的バランス、混合比率的問題であって1か0かではないのだから、王監督に戦術能力が無いなどと言うわけではもちろんない ^^;)。
 が、ロッテを考えると、あのチームを渡されたからといってバレンタイン監督でなければ優勝争いは難しかったろう(戦力だけで普通にやれば勝てる、というほどにはまだ戦力造成されていない)。
 一方で個々の試合の指揮においては、王監督は定石に忠実、堅実であって、バレンタイン監督のように奇をてらった小細工、手練手管はとらない。いわば王者の戦法だ。
 ただ、戦略型とは言うものの、致命的(と僕が考える)であるのは、メンタル面での不得手であろうと思う(後述)。

 さて、こうした類型の話自体おもしろいのだが、脱線は避けて、バレンタイン監督の話。

 ボビーは、チームづくりの達人であり、この点では王監督同様、強いチームを育て得る監督だ。
 もちろん、方向性の差はあるし、また置かれた環境(与えられたチームの状況)によって判断も代わってくるだろう。
 今回ボビーがチームの状況を見て構想したチームのデザインとは、察するところ、

 1 投手と守備で守り抜けるチーム
 2 打「線」のチーム(連打で打ち崩す)
 3 常に相互補完のきくチーム(=競争心、ベンチ全員野球、全員レギュラー野球)

 これらが柱であるように思われる。

 2の「打線」ということは、具体的に諸々の要素を含んでいて、
 たとえば、連打を続けるためには、空振りをしない、当てる技術を重視して鍛錬させること、ファールを打つ、カットする技術、これらは試合中の長い時間スパンで相手投手に球数を投げさせることにもつながり、それは相手のスタミナ消耗にも、相手の球筋を見切ることにも、配球に窮させることにもなっていく。また、エンドランやランエンドヒットを始めとする各種作戦の実行のためにも必要な能力でもある。
 あるいは、単打等を連ねて点に結びつけるためには、ひとつでも次の塁を狙う積極的な走塁の意識と技術、これに盗塁を加えて相手バッテリーの揺さぶりも行うし、バッターに投じる球種を制限させもする。

 昨年から二年越しで育てられてきたマリーンズ打者は、こうした意味で、きわめてオールラウンドな技術、つまり各種の戦術を実施するための部品となる技術(戦略、戦術…という並びで言えば「作戦能力」)を身につけてきた。
 バットに当てること(ロッテの三振数の少なさは顕著)、ファウルでのカット、バント、バスター、右打ち、センター返し、走塁判断、等々。

 かつこれらを、原則として全打者がまんべんなく身につけさせられている。故に、ロッテ打線では、これは誰が打者の時しかできないとか、この打者でこの作戦は無理ということが基本的には無い、あるいは少なくともそれが奨励、目指されている。(もっとも、上手い下手のレベルはあるが)

 3の相互補完という着意は、今回のバレンタイン戦略の核ともいえるもので、ある意味、球界の革命的新機軸と言うこともできるかもしれない。

 パリーグファンには一般に知られるように、マリーンズでは、あらゆるポジションが複数体制だ。
 ファーストは、福浦、李、フランコ
 セカンドは、堀、西岡
 ショートは、西岡、小坂
 サードは、今江、初芝、フランコ
 外野は、サブロー、ベニー、フランコ、李、大塚、井上、諸積
 キャッチャーは、里崎、橋本

 これらは、よくあるように単にレギュラーと控えという意味での複数体制ではなく、ほぼ全員にレギュラー出場の機会を与え、日によってスタメンもポジションも入れ替わる。
 したがって、チャンス場面で出てくる代打は、ベニーでありフランコであり李でありという、その日にスタメンでないだけのレギュラークラスであり、あるいは例えば西岡がスタメンでない日には、チャンスランナーとして盗塁王西岡が代走で登場する。(こうした敵ピンチの場面でのこうした起用で相手バッテリーがどれほどの精神的揺さぶりを受けるか…実に贅沢なベンチワークだ)
 ちなみに、昨日のプレーオフ最終戦では、最後には今江がセカンドにつくシーンまであった。

 キャッチャーの二人も、ほぼ交互出場だが、里崎は3割打っているし、橋本と里崎二人で83打点をあげている。(通常各チームのクリーンアップレベルになる)
 かつ、相手チームは、マリーンズ投手を分析するのにも通常の倍の労力を強いられる。なぜなら、レギュラーキャッチャー二人と投手の組み合わせて配球も変わるからだ。しかも、過去にたまにあったような、投手との相性で捕手が決まるということではなく、どの投手にも両捕手が組み合わさるので、文字通り倍のデータ分析と予測パターンを考えねばならなくなる。かつ、むろん試合途中でも交代してくる。(今頃はタイガースがこうした分析の面倒な目に遭っているところだろう ^^;)

 さらに、これは抗堪性ということにもつながっている。
 他球団では、やれ主力選手が故障だので誤算だっただの、不利になっただのということが言われるものだが、本来、戦いというものの本義にたてば、長丁場の戦いでそのようなことは織り込まれていて当然ではある。軍隊はもちろんのこと、普通の職場でさえ、優れた組織ではそうしたことは考えられているものだ。しかし、なぜか野球界では長年、そうした着意が不思議と弱い傾向があった。
 (ちなみに軍隊でいえば、さきの大戦における日本帝国海軍の「ワンセットの決戦戦力」の末路を想起させる。)

 今年のマリーンズでも、実はそうした「誤算?」は相次いでいる。が、目立っていないし、言い訳もされていない。なぜならば、補完態勢が整っていたからだ。
 昨年3割30本100打点を超えた主砲のベニーが故障で登録抹消になった時にも、フランコと李とサブロー、大塚の外野陣は万全、いずれも怖いバッターで通っている。(平素いつも5人で回している)
 このプレーオフにおいてすら、小坂が第1ステージで故障するということがあったが、堀と西岡で二遊間は問題なし(いつも3人でまわしている)。
 ついには第2ステージ最終戦で堀までが故障したが、すかさず早坂(ファーム盗塁王)を送り込み、ヒットもファインプレーも見せた。
 そういえばプレーオフ直前にはキャッチャー里崎が風邪で寝込んだが、第1ステージは橋本で問題なし(ロッテのキャッチャーは二人で交代制)。

 バレンタイン監督は、これらの選手をまんべんなく交代でスタメン起用しながら、全員に実戦感覚を絶やさせず、ボロ勝ちのような試合では常に、決して忘れず、マメに若手を交代起用して実戦経験を積ませることを怠らない。これは実に徹底している。(今年注目された今江や西岡といった若手コンビの登場も、昨年のこうした経験を踏まえつつ、もとより偶然の幸運では断じてないのだ)

 思えばこれだけの長丁場、ケガも出ればスランプとてある。選手個々の立場ではそれをいかに防ぐかが着意されなければならないが、監督の立場では、それらを織り込んでおくのは本来は当然ではある。
 そしてボビーの場合は、上記のような施策を続けてきた結果、主力のケガにも強く(というか、ベンチメンバーの9割方が全員スタメンであり主力だが)、チャンスの場面に送る代打代走もレギュラー同等の選手、という恐ろしいチームに育ててきた。

 一方例えばホークスは、「レギュラーと控えの能力差があまりにも大きい」ということが方々で言われ、また、城島のケガに泣き、それを不利といい、松中、ズレータ、バティスタの不振に泣き、彼ら中軸が打たねば勝てないとまで言いも言われもした。
 昨日の2チャンネルでのホークスファンの書き込みには、「小坂がケガをし、堀がケガをしてもまだ早坂が出てきてヒットを打った瞬間に、勝てないと思った。マリーンズはいくらでも繰り出してくるが、ホークスはもう繰り出すものがない」といったものがあったが、ある意味今回の対決の特徴の一端を言い当てている面もあるのではないかとも思う。

 そして少なくともマリーンズが、誰かが不調だから負けるとか、誰かが打たないから負けるということと無縁であることは事実だ。

 もちろん、これはホークスのスタイルが劣るということではない。それはまさに「スタイル」、思想の問題であって、選択に過ぎない。チームの勝敗はいずれかについてしまうが、思想やスタイルそのものの優劣とはいえない。いずれのスタイルにも利不利があり、またチームの状況次第で選択も変わってこよう。ボビー着任時に、松中や城島のような選手はロッテにはいなかったのだから。
 ただ、僕らの仕事等においても、こうしたスタイルの選択ということには状況に応じて明確に着意をもちたいものだ。

 スタイルに優劣は言えない、と書いたが、しかし僕個人の感覚では、ただし、主力選手の故障や不振を「不運」のように言うことは、指揮官には許されないものとは思う。そうした態度であれば、それは劣った態度であると僕は躊躇なく言うだろう。
 スポーツだから良いが、戦争やビジネスならば、「不運」ですまされる類のことではない。そしてそのスポーツであっても仕事は戦いであり、監督とは、「結果として」勝ち残ることを使命としているのだから。


 さて、上記がチーム構想、戦法構想的な側面だが、それと双璧を為すバレンタイン監督の大なる特徴は、メンタル管理の手腕だろう。

 ロッテの主力選手は、皆が言ってきたとおり、優勝はおろか、優勝争いの経験さえ皆無であり、ただでさえ誰しも固くなるというプレーオフ短期決戦への影響が懸念されていた。
 ところが、どのような報道から聞こえてきたものも、毎日の試合解説者の口から語られたのも、マリーンズ選手の明るさとリラックス振りだった。固くなっているのは常に、優勝争い経験に長じた西武選手でありソフトバンク選手だった。
 昨日の、いよいよ後がない最終決戦の試合前において、フジTVの内田恭子アナでさえもが、これが一体これから最終決戦を迎えるというチームなんだろうかと驚いた、として「すぽると」で語っていた。

 ボビーはプレーオフまでも期間中も常に、「野球を楽しめ」と言い続けてきた。
 マスコミに対するコメントも終始一貫、そのコメント姿勢は貫かれていた。それは、「楽しい試合をお見せする」「エキサイティングな試合になる」「この時期まで野球ができるということほど楽しいことはないと選手には言ってある」といったものだ。
 そして選手の誰にきいても、監督からは「楽しもう!」と言われているという。
 4番サブローは、活躍した試合後のインタビューでも、「楽しんでいればプレッシャーなど感じない」と明るく答えている。

 言葉というのは不思議なもので、いかに単純なことであっても、人はそれを繰り返し繰り返し、繰り返し繰り返し聞くことで、本当にそんな気になってくるというところがある。
 「野球を楽しめ」、場合によってはこれほど月並みな言葉もないくらいかもしれないし、また、そう言われたからといって、はいそうですね、じゃあ楽しみます、という具合にはなかなかいかないものだ。
 だが、しかし、ボビーはこれをシーズン中ずっと言い続けてきたのだ。いや、一昨年秋の来日以来だから、もう丸2年言い続けてきているのだ。短期決戦に際して急に言い出しているのではない。
 そして、もちろん、これもスタイルのひとつに過ぎない、そして重要なのは、このスタイルつまり文句がバレンタインその人のキャラクターにしっかり合致しているということだ。
 前記のようなサブローのコメントには、そうしたことがついには選手個々に浸透しているさまが感じられる。

 プレーオフ前にも、ボビーは、初戦の重要性だの、相手投手がどうであるだの、敵味方の利不利だの、そうしたことは全くに近く語っていない。もちろん訊かれはするので、「3つ勝つことが重要だと思っている」(第1ステージ前では「二つ勝つことが重要」)という言い方をしていたが、終始それで通していた。
 あとは「マリーンズは誇りのもてるチームだ」「勝つ力はあると思っている」「プレーオフを楽しむ」、終始一貫これだ。

 前回監督時から同じだが、選手を批判することはしない。褒めるのは大好きだ。
 しかも、単に批判しないというだけでは済ませ難いほどに、それは報道陣のインタビュに対しての言葉でも、実に慎重に周到に言葉が選ばれる。

 ここほ非常に重要だ。
 最近はメディア戦略などということもいわれるが、メディアの向こう側に監督が着意すべきは、選手と他チームとファンだ。こと戦略上は、自選手と他チームに絞られるし、より重要なのは自チーム選手だ。
 ここで、彼は非常に慎重だ。

 ある人の言動に気をよくするとか悪くする、傷つくだのというのは、究極的には実にそれを受け取る側の問題に過ぎない。同じ言動に対して何も感じない人は感じないし、喜ぶ人は喜ぶ、勝手に傷つく人は傷つく。
 しかしだからこそ、そうした影響を避けようと思えば、単に自分の基準だけで発言し、「そんなつもりで言ったのではない」とか「それで傷つく方がどうかしている」なんてわけにはいかない。その言動の適否などということを争っても意味はなく、指揮官(監督)が気にするべきは「結果として」の影響の適否だ。
 ある言葉がいかに他意のないものであっても、「結果として」ある人が気に病んだり、自信を喪失したり、過度のプレッシャーを受けたり、その他あらゆる良からぬ影響を受ける可能性があれば、それを局限すべき場合がある。
 その点、バレンタインの試合後のコメントは実に周到で見事だ。(僕はオフィシャルのメールマガジンをとっているので、シーズン全試合コメントを見ている)

 野球ファンの人は何人もの監督を見ながらよくよく承知だろうけれども、不用意な発言をする監督というのは多いものだ。特に最悪なのは、マスコミに選手への愚痴を言う監督だ。あまり野球に興味のない人は、素朴な常識感から、えっ、そんな人いるの?と思うかもしれないが、いるというより、たくさんいるし、いた。^^;) まあ…ロッテで言えば前任の山本監督はそういうタイプだった。

 さて、それは極端な例。だけど僕は、相当な周到さということを言った。言葉の影響は受け取る者次第だから、とも言った。
 そこで、(決して誹謗するつもりはないし、王さんは前述のような悪い例の監督ではないが)逆の例として、昨夜の王監督の敗戦後のコメントを引いてみたい。

 「シーズン中と違い打線の得点力が落ち、苦しい戦いになった」

 これは、全くその通り、僕らが見ても見たままであって、何もおかしい発言ではない。
 もちろん、なんら不当な発言でも、誰かを指弾するような調子でも全くない。
 (あえて言えばむしろ、「シーズン中」と対比することで、待たされた期間のせいで調子が出なかった、という方向への思惑がにじむ)

 さて、ところが、ただでさえ責任感強い松中には、これが鞭となって身を打つ思いを感じずにはいられない可能性も高い。
 彼は今プレーオフ20打数1安打。
 そして昨年プレーオフでは19打数2安打、大ブレーキと言われ、昨年敗戦の責任を背負い込んで、今年は相当な覚悟でプレーオフに臨まんと、ただ一人プレーオフまで11日間無休の自主トレを行った。
 自主トレ中も、「昨年は自分のせいで監督にも選手にもスタッフにもファンにも、みんなに迷惑をかけたから」とコメントしていた。(取りようによっては傲慢な発言でもあるが、現に世間にはそうしたムードがあったのは事実であり気の毒だ)
 そして万全に整えたといって試合に臨んだ。が、誰よりも固かった。思いの強さがパフォーマンスを邪魔しているとしか言いようがない。
 昨年はシーズン三冠王、今年はシーズン二冠のその松中が聞く、「シーズン中と違って打線が…」の言葉は、いっそうの自責の念に結びつかずにはいられないだろう。

 これは一例、そして誰が見ても何ら他意のないコメントなのだが、バレンタイン監督とは、この程度の微妙なものまであり得ないような周到なコントロールを自らの発言に課している。(故に面白さを欠くきらいはあるが)
 しかし、今年の松中の追いつめられ具合は、昨年のこうしたことからも生まれ、そして今年のこれは来年にもつながる恐れだってある。もちろん、そうした鞭がプラスになる者もいれば、そうでない者もいる。もしプラスになるならば、それこそコントロールして意図的にそう言葉を扱うべきだろうが…

 ちなみに、これも例として、マサヒデが9回に4点リードを失った試合と、その翌日にも負けて連敗になった試合のそれぞれ試合後のバレンタイン監督のインタビュを引いておこう。
 (特に連敗になった日のインタビュは、まるで勝った日のようなインタビュだ ^^;)

 
 ―9回のソフトバンクの攻撃をどう見たか?
「9回は相手が攻撃するべきことをしたように見えた。いい当たりはなかったが、四球を選ぶなどやるべきことをやっていた。」
―小林雅の出来はどうだったか。
「ヒットは打たれたが、中断などでリズムが崩されたと思う。」
―連投の疲れはなかったのか?
「疲れていたかどうかは分からないが、マウンドではスピードがあった。」
―プレッシャーがあったのか?
「小林雅は誰よりもセーブを挙げている。何をするかは分かっているはず。」
―プレーオフでの初黒星だが。
「チームには負けはつくだろうし、うちはもう一つ勝つ目標がある。明日は小林宏で勝つことが出来るだろう。」
―今日の敗戦が悪い流れにならないか?
「ひとつ負けただけ。ソフトバンクは、まだうちのような立場になりたいはずだ。」
―小林雅は明日以降も使うのか?
「使う。ケガや病気以外は、彼の仕事をしてもらう。」
―9回に小林雅を交代させることは考えたのか?
「考えなかった。」




 
 ―いいゲームだったが振り返ってどうか。
「プレーオフらしいエキサイティングな野球だった。ファンの皆さんもお金を払った価値があったと思う。最高のプレーを見せてくれた。」
―小林宏は好投したがズレータに被弾した
「小林宏は気持ちを全て出し切って投げてくれた。誇りに思う。ズレータにも決して悪いボールではなかった。そこそこいいボール投げていたが、手の届くところに投げてしまったということだ。」
―後がない状況になった。明日の先発に期待は?
「特に後がなくなったとは思っていない。五分になっただけ。どちらも初戦のピッチャーが先発して投げ合うことになる。」
―5回表、大塚のバント失敗が響いたと思うが。
「バントの場面は難しい場面だったが、相手ピッチャーのフィールディングが良かった。ただ、大塚ももう少しいいバントが出来たかも知れない。」
―明日は大一番。プレッシャーがかかると思うが。
「春のキャンプからずっと楽しもうと言って来た。この時期まで野球が出来る最高の楽しさを味わっている。明日は全力を尽くして、全身で最高の楽しみを味わってくれるはずだ。」




 ボビーの言葉の特徴は、
 決して自分を語らず、
 必ず選手を褒め(褒めるポイントが的確であること)
 敗北には相手の出来を褒め(個人名も頻繁に出して褒める)
 選手を意識して周到に言葉を選ぶ

 そして、指導は個人的に行う。

 彼の頻出単語は、「スバラシイ」だ。
 ビールかけでは、ボビーに頭からビールをかけながら、選手たちが「スバラシイ」「スバラシイ」とボビーの口まねをしていた。^^)

 もちろん、報道関連の話は一例であって、ボビーは常にベンチのムード、選手のムードを良い状況に保つべく着意している。
 自信を持たせること、楽しませること、喜ばせること。

 一方で、王監督の玉に瑕は、こうしたチームのメンタル面の問題だと僕は常々思っている。
 (もちろん、それも王さんのキャラ、人の良さ、人間味であるのだけれど)
 先の報道コメントの一件はあくまで先の話のための例であって、たいした問題ではない。

 そうではなく、たとえば、相手チームへの意識の過剰ということがひとつ。
 昨年、マリーンズはまだ今年ほど完成に近づいているわけでもなく、まだそんなに強かったわけではない。(現に4位だったのはご存知のとおり)
 ところが、春先からただ一人、ロッテを危険視している人物がいた。それが王監督だ。
 キャンプ中から、「今年のロッテは強くなるんじゃないか」「ロッテは要注意だ」「ロッテには油断してはならない」と言い続けていた。(もちろん、それがやがての将来を予見していたということでは卓見だが)
 しばらくすると、今度はホークスの投手たちが主軸打者が、王監督と同じことをコメントし始めた。
 そして開幕。
 王ホークスはシーズンを通してロッテを苦手にし続けた。
 今年はロッテとソフトバンクが10勝10敗の互角であったことは有名だが、昨年はロッテが余裕で勝ち越しているのだ。(何度も言うがロッテは4位)

 昨年秋、西武とのプレーオフに際しては、「西武は短期決戦に強い、要注意だ。」「西武はいい投手がいるから気をつけないと」と言い言いしてプレーオフを迎えた。

 今プレーオフは…
 「プレーオフ第1ステージはテレビ観戦しないほうがよい」と早々に通達した。理由は、既にシーズン中戦ってきた相手だし、テレビを見るとかえって意識するからよくない、ということだった。
 しかし選手の中に(例えば杉内)「でも一野球ファンとして観たい」という声もあがり、「絶対に観てはいけないというわけではない」と軌道修正。(ちなみに結局は、報道による限りほとんど皆が練習後にテレビ観戦していたようだが。王さんも)
 僕ら野球素人でも(いや、素人ゆえに?)、そ… それが既にめちゃくちゃ意識し過ぎでは? と思うのではないだろうか。
 (人間的には、実に愛すべき人柄ではないかと思うけれど)

 また、報道コメントも強気と弱気の交錯が振り子のように振れて、一貫性が全くない。
 まだ一試合もする以前に、(なぜか)「もし初戦に負けても一敗するだけであって、あと三つ勝てばいい」という妙に不思議なコメントをしたと思えば、「短期決戦では初戦が重要、ロッテ戦なら杉内」と言ってみたり、「休みの前(最初の二日間)を一勝一敗以上でないと苦しい」と言っていたが、連敗すると、「二連敗して追い込まれたくらいのほうがちょうど良い」とコメント。

 最後のコメントについては、もっとも、連敗してしまった以上、もはやそうでも言うしかないのだが、つまりは、あとでそんなハメになる前言をする不用意さということに、僕らは当然気づく。
 つい先日に、先に二敗したら不利だと言っていたのに(ロッテは3戦目からローテが元にもどって渡辺俊、小林宏が出てくるし当然だ)、負けて急に「連敗の方がやりやすい」ではあまりに付け焼き刃で、説得力を欠いた鼓舞のための鼓舞の言葉として虚ろになる。

 そこで、バレンタイン監督を思い出すと、(たしかに面白さは欠くが)最初から最後まで、ただ「三つ勝つことが重要」としか言っていない。そして「楽しもうっ」と。
 シンプルにも過ぎるが、これらの言葉は、何が起こっても最後まで決して撤回する必要のない言葉だということに気づく。

 王さんは基本的に人が良すぎるのだろう。
 思わぬ問題発言をすることもあるが、それも全てそこに源するのかもしれない。
 以前、球界再編渦中にあって、ロッテとダイエー(当時)の合併が噂された折も、王さんは「あんなチームと一緒になっても、向こうは誰もスタメンに入れないよ」と笑い飛ばしたものが、王さんはオフレコだったつもりらしく、報道されてから真っ赤になって怒っていた。(まあ…真っ赤になって怒りたいのはこちらの方だったが、今回の勝利で許そうか。あははは。ちなみに当時(昨年だしね)と今とロッテのメンバーは同じだ ^^;)

 これもパリーグファンなら周知のことだろうけれど、試合中のベンチにあっても、王監督の表情の一喜一憂のさまはスゴイ。^^;)
 見るも哀れなほど悲壮な顔をしていたかと思うと、チャンスには満面の笑みで大喜び、また不利になると気の毒なほど悲痛な表情になる。
 僕は、必ずしも喜怒色に表さずということが不可欠要素とは思わないし、逆に一喜一憂がキャラとして愛すべき雰囲気にも、組織の元気の素になることもあり得ると思っているが、王監督に限っては、ちょっと組織的に許容限界ギリギリかも…しれない、とは思う。
 というのは、やはりそれがベンチのムードに与える影響が大きいからだ。指揮官のむっつり悲壮ぶりは、リーダー格の選手はもちろん、それぞれ個々選手の心境にも相当の影響を与え得る。(これも、それが吉と出ることも当然あるのであって、ことほどさじ加減とは難しいものだが、これは経験で空気を察するわざを身につけていくしかあるまい)

 言ったとおり、必ずしも「色に表さず」である必要が絶対的にあるとは僕個人は思い詰めていないが、ちなみにバレンタイン監督は試合中は何があっても表情も態度も不変だ。試合が終わったときは、勝っていればそこからはあの満面のボビースマイル炸裂だが。
 西武の伊東監督も、終始淡々としている。第1ステージ初戦で、試合開始早々、西武先頭打者が俊介の初球をホームランした際にも、伊東監督は通常どおり憮然ともいえる表情だった。もちろん、バレンタイン監督も変化なし。

 僕は、昨年今年と続けてのホークスの本番での固さは、王監督のメンタル面に関わるこれらさまざまのところからも何程かの影響を受けているのではないかと考えている。
 昨年も今年も十分な強さを持ちながら、それが発揮されていない。それも一発勝負ではなくて、それぞれ5試合を戦っているにもかかわらず、だ。
 それは(たびたび例に出して申し訳ないが)松中に如実に見てとれる。だって、去年は三冠王、今年は二冠王、それが19-2に20-1というのは、単に不振であるとか第1ステージを待たされたせいだとかいうことだけでは説明しにくい。

 しかしもちろん、こうした云いは、王監督がダメな監督だということを言っているのでは毛頭ない。
 これほどの優勝経験を持ち、現にレギュラーシーズンを制しているわけで、それが無能な監督の下で成されるはずはない。
 ただ、僕個人は、王さんの手腕の特徴は主としてチームづくり、戦力造成と、正道に則った尋常な戦術判断にあると見ている。これがホークスを強くしているのであって、他要因で弱くしている面があっても、強さの要素が優っていればそれで良いことだ。
 しかし今回のように真に実力伯仲している戦いの場合は、たまたま「弱くしている面」が顕在化して凶とつながる場合もあり得るということだろう。(戦力格差があまりなければ、短期決戦に向いているタイプでない可能性はある)


 ボビーの特長の最後にあげておくべきは、やはり戦術の知悉ということだろう。
 誰もが認めるとおり、ボビーは、およそありとあらゆる戦術知識と運用経験を頭に詰め込んでいる。
 ゆえに「何をしてくるかわからない」というのが今のマリーンズの形容のひとつとなっている。
 ランナー1塁で単にバントという可能性はロッテでは低い。さまざまな手を駆使してくる。
 走者1、3塁ならば、ダブルスチールで点もとってくる(1塁ランナーが2盗でキャッチャー送球のタイミングで3塁ランナーホーム突入)
 スクイズとて、忘れた頃にしかけてくる。
 守備であっても、投手が投げるタイミングで内野手が前進ダッシュしたりジグザグ機動したりして、相手バッターにプレッシャーを与える、あるいは気をそらす、ということも今ではすっかりマリーンズのお家芸となった。
 この点については、ことここに筆舌を尽くして尽くしきるものでもない。
 興味のあるひとは、ぜひ、観戦して楽しんでもらいたい。



 今回のプレーオフ第2ステージで最も印象に残った諸点は、
 良い面では、マリーンズの層の厚さ、それを造成してきたボビーへのあらためての感動、
 そして、相手バッテリーの心を攻める揺さぶりのうまさ、
 悪い面では、やはり例の4−0でリードの9回裏、小林雅英の失敗だ。

 良い点については、上述したとおりなので、悪い面での印象について。

 僕は、やはりボビーにも多少の上滑りがあったのではないか、と想像してもいる。
 なぜなら、いつも通りの野球をして西武にもソフトバンクにも勝ってきていたロッテが、わざわざ4点リードでマサヒデを投入する必然性に対する疑念からだ。

 ご存知のとおり、セーブ記録は9回1イニングならば3点差でしかつかない。
 したがって、一般的に、ストッパーの登場は、リード3点以内という場合が普通であるし、あるいは必勝の決意で同点での投入だろう。(もちろん、格別の状況によっては、このように画一的ではないが)

 そして少なくともマリーンズでは、ストッパー小林雅の投入は、リード3点以内の最終回というのがお決まりだった。(わずかにそれ以上での点差で投入もあったが、投球間隔が長くなった際の調整登板だった。)
 再び例の試合を思い出すと、点差は4点、それまでの継投上も特にソフトバンクが勢い付いている気配も全くなく、むしろ意気消沈がありあり、勝利に徹する上で、ストッパーの投入が求められる状況ではないし、よしんば9回に急にホークスが勢いづいたとしても、その消火にこそストッパーが必要になるだろう。(繰り返すが、少なくともマリーンズは平素そうして戦ってきた)

 ところが、あえてマサヒデを投じたい言われも思いつく。
 あれは、勝てば(そしていかにも勝ちそうだった)優勝という試合だった。
 優勝のマウンドは、やはりリリーフエースの雅英で決めるるのがサマにもなるし、何より、うちの必勝パターン、勝利の方程式の現示でもある、と。

 もちろん僕のかってな想像に過ぎないが、しかしここに「勝負とは関係ない思惑」が入り込んでいた可能性もあるのではないかと僕は思う。
 (当然、真に勝利のため、ここは小林雅でないと危険だと考えた可能性もないとは言わないが…しかしそれも「ふだんどおり」「常態」でないことは同様だ)

 そして次に、コバマサ本人の胸中。
 敵に追い上げムードすらない状況での、しかも4点ものリード、かつ昨日まで連日危なげなくセーブに成功している。
 「これは勝ったな」「優勝だ」との思いは、いやでも胸中にわき上がっていただろう。
 奇しくも当日の試合前のインタビュでは、「今日は気楽に行きます。ビールかけを想像しながら投げますよ」とコメントしているが、むろん冗談であるにせよ、果たして事実がどこまでこれから遠かったかは疑問だ。^^;)

 優勝後の特番では、本人自身、4点もあるから最初は1〜2点くらいいいかな、くらいの気持ちでリラックスして投げた、それが抜き差しならなくなってきて、今度は逆にいっぱいいっぱいになってしまったと話していた。

 雅英は、史上最速150セーブをあげた際に、こう言っていた。
 これまで150セーブした人たちは、みんな優勝や優勝争いをくぐり抜けての記録だ。自分はそれがないので、何としても優勝したいのだ、と。

 今回の失態は、戦う者としては、たしかに失格だった面は否定できないだろう。武術でいえば、「残心」を欠いたともいえる。
 そしてそれは一人雅英だけではなく、あの日あの時のロッテメンバーは、皆してそうだった。ベンチでは皆が顔を緩ませ(リラックスの「緩」ではなく)、顔ほころばせて身を乗り出し、今か今かとベンチを飛び出す態勢だった。(いや、わかってる。それは本当は無理もないのだ。みんな人間だもの。そして相手は弱っていたもの)

 しかし、雅英がかつて言っていたとおり、こうした経験を通じて、彼は間違いなく守護神として大きく成長したに違いない。そしてそれはメンバーたちもだ。昨日の優勝の際には、最後まで、選手たちの顔に緩みはなかった。

 しかし、あの日のあのベンチにあって、ボビーと高橋コーチはさすがだった、今にして思えば。
 まあボビーはいつもの通りの無表情だったが、高橋慶彦コーチ(守備走塁コーチ)は、無表情というより憮然として、あたかも苦り切ったごとくの表情をしていた。
 古い野球ファンなら知っているだろう、「走れタカハシ」とも名を馳せた、そして文字通り塁間を自在に馳せまわっていた広島カープ往年の盗塁王だ、むろん優勝も日本一も経験している。(選手晩年にはロッテに所属し、現在は走塁エキスパートとして、バレンタイン野球における選手の走塁能力を育て、かつ西岡をお気に入りの弟子にしている師匠だ)
 (まったく余談だが、ロッテ攻撃時、1塁コーチはその高橋コーチ、3塁コーチはロッテ往年の盗塁王にして首位打者もとった西村ヘッドコーチ。このセパ二人の盗塁王に両脇から見つめられるバッテリーの居心地は非常に悪いと聞く。投手のクセを何か気づくたびに、高橋コーチはランナーに何か耳打ちをする、それがまたどうにも気味が悪い、ということだ ^^;)

 さて、かく言う僕も、あの日のことは決して生涯忘れないつもりだ。
 実は僕も同じだったのだ。(戦っているわけじゃないけど、でも気持ちは戦っているつもりだったから同じことだ)

 というのも、僕はあの日、優勝を確信しながら、9回表の間には既にblogの優勝記事を書き、あとは優勝と同時にクリックをひとつするだけの状態にし、しかも決定シーンを(テレビ画面なのに ^^;)撮影する準備までして、携帯を構えていたのだ。なんと間抜けな図だろう。しかし間抜けであってもそれで優勝してればノープロブレムだったわけだが…

 僕はマサヒデの甘さを思うとともに、それ以上に、自分の甘さも呪っていた。
 久しぶりに心の底から感じた自己嫌悪だった。
 だから僕は他人のことは言えないのだ。そして、だから僕もあの日のあの試合のあの場面は生涯忘れないぞと決めた。
 マリーンズではファンは26番目の「選手」だということになっている。だから、あの日、僕は彼ら選手と同じ体験をして、同じく肌身で学んだつもりだ。(頭ではわかっていたことだけど。それは彼らも同じだろう)
 この僕の自戒も、それがいつか天下のために役立たんことを。^^)v
posted by Shu UETA at 22:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 戦略戦術 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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