子供の頃から、数直線というものに、何とも言えない興味というか、引っかかりがあった。それは、大きくなってから知った言葉で説明するならば、まさに「連続体」としての直線、つまりその「連続性」についてだった。
直線というのは、本当に直「線」なのか、もっと言えば、直線は存在するのか、ということにもなるが、わかりやすく乱雑な表現で例えれば、直線は点の集まりであって、アップで見たら点線ではないのか?ということ。それとも本当にそこには何らかの連続性があるのか?
数学では、この稠密性を「濃度」という。
連続体仮説でいう連続体とは、実数の連続体集合としての直線を想定していて、カントールは、実数というものを、数をただ数珠繋ぎにしたようなものではなく、何かさらにずっと深い連続性が存在するのではないかと想定したわけだ。
個人的な連続体仮説に対する取り組みとしては、実数の連続体と、有理数の無限の間に、まだ別の無限集合、つまり指数演算以外の方法で無限集合を作り出す方法を見つけることが非常に魅力的だが、現時点ではまだ方法態度を決めていない。
しかし、個人的直観だが、連続体仮説に関する思索は、現在研究しているポスト民主(資本)主義社会の構想に、何らかの糸口を与えるような予感がしており、両者の連携を取りつつ思索研究していこうと考えている。(この辺りの事情については、また別の機会に)
また、連続体仮説でいう無限とは、ユダヤ教、キリスト教の神の無限との関連が深い(この連関も話せば面白いのだが)。カントール自身敬虔な人間であり、彼の研究をもっとも支持していたのは当時の数学界(彼を異端視)ではなく、時のローマ法王だった。
しかし、いわばこうした世界観で現在壁に当たったままであるわけだが、ここに、日本的な宗教観を注入して考えてみたいと思っている。
古神道は個人的に研究してきたが、その世界観で、連続体仮説に新しい視点を仮設できないか、考えてみようと思っている。
要すれば、さらに武術の発想も援用できないか…とも考えている。
そして現在、これら、連続体仮説、新政治社会体制といった思索のひとつのカギが、「多様性」という概念にあるように思えてならない。純粋な直観であって、そのideaの来歴は不明だが。
(個人の覚え書き的記事です ^^;)