もともと整数論への指向が強かったのだが(へっぽこ…^^;)、最近は、かの連続体仮説にすっかり魅せられてしまった。
昨夜も眠れず ^^;)
連続体仮説、ざっくり話すと、
まず、自然数を考えたとき、最も大きい数というものは、存在しない。なぜなら、どんな数でも1を足せば、より大きな数になるのだから。
つまり、無限であるということ。
さてでは、自然数以外の有理数全体を考えればどうか。
有理数の無限とは、自然数の無限と同じ無限なのか。
方法はここでは割愛するが、カントールにより、すべての有理数は整数に対応させることができる。つまり、有理数の無限は、自然数の無限と同じレベルの無限であることがわかる。(説明ページ発見自然数と差が認められない集合)
では、無理数の無限はどうか。
仮に0から1の間にある無理数のリストを想定した場合、これもカントールの対角線論法で調べられている。
0から1の間に無限に存在するこれらのそれぞれから、小数点以下の桁を順に一番目の数からは一桁め、二番目の数からは二桁目と、数字をひとつずつ取り出して、それぞれの数字をそれぞれの桁にもつ数をつくり、この新しい数の各桁の数にそれぞれ1を足して、また数をつくる。
するとこの数は、先に想定した無限に数が並ぶリストにあるどの数とも異なる数であるはずだ。この新しい数は、リストにあるどの数とも、少なくともその数から取り出した桁のところでは数字が異なっているはずだから。
つまり、実数全体のサイズは、全有理数のサイズよりも大きいことになる。したがって、実数の無限は有理数の無限よりも大きい無限である。
(自然数より多い実数の集合)
ところで、ある集合よりも大きい集合は必ず存在する。なぜなら、どんな集合でも、その集合のべき集合(全ての部分集合からなる集合)は、もとの集合よりも必ず大きくなるから。
{1、2、3}の部分集合は、{ }、{1}{2}{3}{1、2}{1、3}{2、3}{1、2、3}の8個。
結局、それぞれの要素数(1,2、3それぞれ)が個々の部分集合に対しては含まれるか含まれないかの2通りしかないわけだから、2の3乗で8通り。
したがって、有理数の無限をAとすると(本当はヘブライ文字のアレフだが、フォントがないので)、2をA乗した数は、Aの集合より大きな集合となる。
A自体が無限だが、このべき集合はさらに大きな無限集合となる。
(これを繰り返して、いくらでも無限に、さらに基数の大きな無限集合を作り出せる)
さて問題は、このAのべき集合である集合が、先に見た、Aよりも大きいサイズであるはずの、実数全体の集合にあたるのかどうか、ということだ。
ここで、実数全体の集合というのは、すべての整数集合のべき集合であることがいえる。
なぜなら、すべての実数は、無限の桁をもつ小数であるといえるが、底を2に変換して、つまり二進数にすると、無限に1か0が続く小数になる。この無限の桁数はAであるから、実数全体の集合の基数は2のA乗になる。
Aは無限なのだから、Aに数を足そうが、かけようが、AはAである。
無限にどんな数を足しても無限、どんな数をかけても無限、AにAを加えても、AにAをかけてもAである。
A+n=A A+A=A
A×n=A A×A=A
しかし、さきに見たように指数演算を施せば、集合の基数は上がるわけだから、つまり逆を言えば、それによってしか基数が上がらないのだから、その指数演算によって得られた2のA乗を基数とする集合(実数の集合)は、Aの次に小さい、つまりAの次にくる無限集合であるはず、というのが、連続体仮説。
しかしこれは証明されていない。
いない、というよりも、現有の公理体系では肯定も否定もできない、つまり真でも偽でも、公理体系に矛盾しないことが証明されている。
今日では、決定の公理、super compactといった公理の登場で、集合論に一段落がつきつつあるかに見えるが、しかし、連続体仮説は依然として基本的な疑問として残っている。
新しい公理を用意する必要があるだろうが、どちらかというと、テクニカルな問題ではなく、新しい世界認識というか世界観を仮設する必要があるのではないだろうか…と思う。
とは言え、まだまだ集合論は勉強不足なので、しばらく、集合論の基礎をまずは一通り通してみたい、というのが現時点での方向。
趣味にしても時間がかかり過ぎる(正直、今こんなことに時間を使ってる場合ではないのだが)ので、本当に集中して研究できるのは、おそらく全てやり遂げて隠居した後になる可能性が高いが… --;)
目指せ、伊能忠敬!? ^^;)v
ちなみに…提唱したカントールも、取り組んだゲーデルも、研究中に精神に障害をきたしている ^^;)
無限は面白い。
せっかくなので、無限に関する話を2〜3、そのうち記事で紹介してみたい。