2005年10月09日

外務省:対中戦略幹部会


 外務省が、対中外交戦略をより総合的に協議するための幹部会を定期的に実施することにしたそうだ。

 対中政策 外務省挙げ総合戦略 幹部会、定期的に開催へ(産経)

 報道によると、
 
  •  外務省は、対中政策を集中協議するため、事務次官、外務審議官、各局長らが参加する幹部会の定期的開催を決めた。
     従来、中国課が一元的に対中政策を担当してきたが、地球規模で中国が巻き起こすさまざまな問題に対応するには全省挙げて協議する必要があると判断
  •  「中国が国際秩序の攪乱(かくらん)要因になる可能性が強い。『中国問題』は近い将来、世界的な問題に広がる」(外務省筋)
  •  「首相の靖国神社参拝や歴史認識の問題、ODA供与問題、東シナ海のガス田問題などの懸案を日中2国間の視点だけで対処しようとしてきたが、対処できなくなった。世界がいずれ『中国問題』に直面する。中国とはいかなる存在かを根本から問い直す試みだ」と、幹部会設置の意義を説明(外務省幹部)



 実にもっともな認識、着意だと思う。
 さらに加えて、今後の外交は、対一国多次元外交が重要であろうと僕は考えている。




 記事にはさらに冒頭に「驚異の経済成長を続け、急激に軍事力を増強する中国に対し「チャイナスクール」だけでは対応しきれない(と判断)」とあるが、俗に称される「チャイナ スクール」とは、対応も何も、むしろ日本外交にとっては諸悪の根源との観すらあるが ^^;)、果たして今後設置される定例幹部会をはじめとした「外務省挙げて」の総合的対応が、どこまで「チャイナスクール」の独占的主導を低減できるか、注視したい。
 (むろん、そうした専門グループの価値、存在意義を認めていないわけではない。が、どのような分野でも、得てして専門に過ぎる専門家はかえって戦略眼を欠く場合が多いものだし、特に外務省中国課はこれまでの実績が中国の出先機関的傾向に過ぎる。判断のライン系統よりスタッフに位置づけるほうが無難だ)


 一方、これまでも折々触れてはきたことだが、
 今後の外交戦略というものは、単に外務省での一元化ではなく、互いの国家機能、分野のさまざまな次元においての多次元外交を行うべきだと僕は思う。
 そこでは、外務省が外交の専権を失うということではなく、それらのコーディネーションと掌握はやはり外務省が行うべきではある。

 これだけではちょっとわかりにくだろうが、
 例えば、
 今日、日米関係や日中関係、日韓でも日露でも対EUでもよいが、そうした国家間関係においては、政治、経済、軍事、文化といったさまざまな分野があり(その中にさらにさまざまな分野がある)、また政官、民間企業、市民といったさまざまな主体がある。
 そして、上述したようないずれの国との間においても、はるか昔のような素朴でシンプルな時代とは異なり、今日では、その分野ごとに、分野と分野でまるで異なる安定度、緊張度、友好、摩擦対立ということがあるのは周知のとおり。

 例えば日米関係は良好であり、国際的にきっての友好国であるというのは一般的認識である(そして無論間違っていない)が、個々の政策分野ごとにみれば、一例だが今日なら牛肉問題では相当な緊張関係にある。
 対中関係は良好とは言い難い面が強いが、しかし、経済関連ではチャンネルと次元によっては蜜月のような関係を維持している部分も多々ある。
 日韓関係とて決して良い状態とは言えないまでも、市民の往来、文化交流、企業経済の密接度は政治的外交温度とは全く異なる。
 日露には依然として領土問題が大きく立ちふさがっているが、エネルギー、経済分野では双方ともに割り切って別の親密性を模索している。

 さらには、これは特例だが、中国に関しては、日中関係とひとことに言っても、文字通りに中国国内の地理的地域差というものも甚だ大きい。

 新聞やニュースを見ていると、誰しも素朴に感じることがあるのではないか。
 国と国の仲の良さとは一体なんだろう、と。
 あるニュースでたいへんな親密振りと関係者の笑顔がこぼれる一方で、また別の分野では全く別の部署の関係者がにらみ合い、非難声明や非難行動をとり互いを強く批判する。

 昔のようなシンプルな時代とは異なる、とさっき書いたが、今日の国際社会では、もはや国と国はさまざまなレベルで複雑に相互依存、あるいは少なくとも相互関係をもっており、旧来伝統的な表玄関(外務省や国務省)を通したいわゆる政治的外交関係(協商とか同盟とか中立とか敵対とか)だけであらゆる関係をくくることはできない。

 そこで(得意の ^^;)些か乱暴な表現をすれば、
 イメージとしては、一国の中の各分野や各次元をあたかもそれ自体ひとつの国とみなすようなアプローチが必要なのではないか、と僕は思っている。

 例えば、いつの時代であれ外交戦略においては、対立国を周辺国との同盟で囲い込んだり、あるいは少なくとも平素から友好国を増やして自国の国際的安定を図るといったふうに努力されるものだが、他国の中の諸機能諸レベルを個々にそれぞれひとつの外交対象国と仮想することで、現実にひとつの対象国についても、内部の仮想個々を組み合わせた外交戦略をさまざまに構築することができる。
 さらには、現実の国家の枠を超えて、例えばA国、B国、C国にそれぞれ分野1、2、3…があるとすると、対A国の分野1に関わる外交(A−1としよう)において、A−2、A−3との外交関係を利用するのみならず、B−1やC−1をも利用して組み立てることができるだろう。

 もっとも、こうしたことは本質的には何も真新しいものではなくて、はるか昔から、外交といえば自国と相手国の内部のさまざまな要素を勘案して作戦され、取引もされるものだ。
 しかし、今日ほどに国家の機能や諸分野が個々複雑に国際的に相互関係してくると、かつ、国家の機能が肥大して、国家といえども自らの各分野に常に統一的コントロールを徹底し難い時代では、より意識的にそうした「みなし仮想国外交」的な多元外交の着意をもつ必要があるのではないか、ということだ。

 少し話の目先を転じて、
 歴史ものが好きな人や、古今の合戦や戦争の話、そしてそこで見られる戦略や戦術に興味のあるひとでも、例えば「調略」ということについては、あまり今日に適合できる種類のものではないと考える傾向が強いように思う。
 調略といえば、戦国時代ものなどではしばしば重要な役割を果たしているが、つまりは、相手国(家)の有力家臣などを口説いて味方につける、裏切らせるといったようなものだ。

 今日のような国家体制で、なるほど誰かを裏切らせれば戦争や特定分野での競合に勝てるというものではなく、軍のある指揮官を裏切らせれば兵士もろともこちらにつくというわけも、とある大臣に利をぶら下げて抱き込めば、交渉でこちらの味方につく、というわけもない。(スパイ活動等における情報提供者というレベルではあり得るが)

 が、しかし、個人単位では考えられぬとしても、特定のグループ、分野ということでは、「裏切り」は無理でも、こちらとの利害の一致ということは十二分に、普通にあり得る。
 今日のような非常に大きくなった国家、社会の内では、内部のさまざまな集団、利益共同体が、独自の志向性をもって活動している。
 例えばいわゆる「業界」といったものはそうしたものだし、政界の中においても我が国でいうところの「〜族」というものは、いずれに国にもそれぞれのスタイルである程度存在している。(現に今日の外交作戦では、相手国の政治中枢において積極的にロビー活動を行うのは常道になりつつある)

 そうした個々の仮想国、集団を、外交対象として個々に認識し、仮想という以上、あたかも通常の国のごとく平素から関係を構築し、パイプを整備し、情報を収集し、交渉、利用するという着意だ。

 その場合、そうして拡大した仮想外交は、外務省という正規ルートだけではなく(というより外務省の名が出るだけで事実上相手は正規に外交マターと受け取り、構えることになる)、各省庁に分散して行われる必要も出てくる。
 さらに、理想としては財界、企業、NGO等も活用できれば申し分ない。

 そうしたものを、外務省がコーディネート、統制するわけだ。
 つまり、あくまで外交機能に関する下部組織を、組織横断的にもつことになる。ここでは、指揮系統というより統制系統というものになるだろうが。
 今日の外務省を見る限り、能力的に手に余る気はするが、場合によっては、外務省の統制ではなく、省庁の上にそうした外交戦略機関を設置するという方途を考えることもできるかもしれない。

 特に中国に関しては、各種のそうした多元外交チャンネル、情報チャンネルを整備すべきだとここでも常々書いてきているが、中国という国はとりわけそうした国内諸集団個々との関係整備が重要だと思う。先にも述べたとおり、分野だけではなく地域についても該当する。
 中国の中に、複数の国があるかのイメージで個々に外交(情報)関係を構築し、それらを組み合わせて対中外交を企画するべきだ。

 ごく個人的ではあるが、中国は今の形では10年ももつまいと僕は考えている。
 いずれ分裂の動きが出た際に、日本はただ傍観するというわけにはいくまい。その際に日本が親しい関係を築くべきは大かた南部の方だろうか、いずれにせよ、各種のチャンネル、キーパースンを整備しておかねば。

 もちろん、先にも述べたとおり、中国に限らず、主たる国についてはいずれの国であれ、そうした多元外交イメージが有益だと思う。
 ちょうどEUはイメージをもつ良い例になるかもしれないが、例えばEUとの交渉については、当然ながら英仏独などの有力国に工作するだろう。それがEUでなく米国やロシアであれ、実は似たような構造はあるものだ(各州という意味ではなく、各分野、各業界といった諸集団)。ただし、EUの例では英独仏に外務省が窓口しても違和感ないが、ひとつの国の中の各要素にアクセスする際には、それに応じた部署がアクセスするほうが気取られないだろう。


 最後に、これらのことは、逆に自らの守勢に立って考えれば、国内各省庁の外交戦略的意思統一ということの重要性にも思い当たる。よりシンプルにいえば、国益観の統一性とでもいおうか。(それがある程度共有されていてこそ、各プレイヤーの自律性が有意義となる)
 さきに調略の例をあげたが、それこそ戦国ものをはじめ過去の戦史をみれば、調略を受けたり、国内での対立、不和不統一などといったことが物理的戦闘以上にどれほどの威力をもって国を亡ぼすかということは明らかだろう。
 ところが今日でも、往々にして、国益よりも省益(益まで言うと語弊としても、メンツやプライドなどはあり得る)ということは起こり得るのだ。やはり生身の人間の組織であるから。
 さらに政治家には文字通り「利」や名誉欲ということも、そして経済界にはやはり営利上の判断というものがあるのは当然だ。


posted by Shu UETA at 19:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 天下-安全保障・外交 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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