2005年10月06日

戦略入門001


 一応有料マガジンとして過去に発行したものですが、既に1年以上が経過したような過去のものを、こちらにも転載してみることにしました。(あくまで不定期ですが)

 今回は第一回です。



Samurai Magazine vol.004■水曜>戦略戦術危機管理No.01>概論(01)
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04/07/07                       ■ はじめに ■


 水曜日、戦略戦術/危機管理編の第一号をお届けします。

 初回の今日は、戦略とは何か、、、をテーマに送りします。

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           ■ Index ■

            --戦略と戦理--

           1 戦略とは何か
           2 方法を知る




1 戦略とは何か

 戦略とは何でしょう? そう問われたら皆さんは何と答えますか?
 「戦争に勝つための方法」でしょうか。「戦争に勝つための計画」でしょうか。「作戦」と言う方も中にはいるかもしれません。

 おおよそその通り、皆さんが普通に思い浮かべるイメージで結構だと思いますが、あえて念のために説明すると、戦略とは一般に「戦いに勝利するための計画や手段」ということができるでしょう。しかし、本誌ではさらに広義に拡げ、これを「戦いにおいて目的を達成するための方策」と説明します。

 この場合「戦い」とは必ずしも戦争のような闘争型のものとは限りません。それは、ライバルとの「競争型」、「競走型」であるかもしれません。
 また、戦いにおける「目的」も、必ずしも「敵をうち負かす」こととは限りません。それは「相対的優勢の獲得」に止まるものであるかもしれませんし、単に「負けない」を狙うものかもしれません。あるいは、もし戦略思想をビジネスや人生に適用するならば、それは「相手を顧客にする」こと、「相手の心を魅了する」ことでもあり得るでしょう。

 さて、しかしこのような目的を達するためには、誰でも何がしか「方策」を考えるものです。何であれ求めるものを得るためには、誰だってその方法を考えるのは至極あたりまえ、日常的なことですね。では、その「方策」はそれ自体が自然に「戦略」であると言えるのでしょうか。

 確かに、たいへん広い意味の解釈をすれば、それらは全てある種の「戦略」であり、人はすべからく「戦略的」な存在だと言えます。

 が、しかしここ本誌の上では、もう少し「戦略」の概念を絞っておきましょう。人が折々の目的を遂げるために様々に思案を巡らすことは、単に「思案」の域に止まる場合も多く、それを「戦略」と一括するわけにはいきません。では、何をもって「戦略」は区別されるべきでしょうか。

 「戦略」たる思考の根本は、「最小のエネルギーで最大の効果を得る」ため「合理性の追求」です。これに沿って目的に指向された方策こそが戦略と言えます。

 もう一度、本誌の上における皆さんの意思統一を図っておきましょう。

> 戦略とは、戦いにおいて目的を達成するための方策であり、
> 最小のエネルギーで最大の効果を得るため最も合理的な方策である。


 もちろん、こんなことを丸暗記に諳んじる必要はありません。この言わんとするエッセンスのみを自分のものにしてください。

 * 本誌においてこれからお話しすることはすべてやはり同様に、
  「丸暗記」は避けて下さい。
   それ自体がすでにあなたの戦略眼の成長を鈍らせることになります。
   勝利の秘訣の重要な要素は、戦理の運用能力です。
   杓子定規な言葉の暗記は、状況への臨機応変な戦理適用能力を阻害し
  てしまうことになります。



2 方法を知る

 戦略にはいくつかの公理とでもいえるものがあります。これを戦理といい、戦理とは「戦い方」であるといえます。この「戦い方」を知って戦うことが「勝ち方」を知るということになります。
 戦理とは、人類の長い歴史の中で見つけられてきた「戦いの公理」であり、幾多の先人たちが決死の中で身体をはって学んできたものです。これらの戦理は、長い年月の間に蒸留され、単純にして純粋な形となりました。それゆえにこれらの多くは広い普遍性をもち、ただ戦いの場においてのみならず、人生の様々な局面で活きるものとなりました。

 この戦理を状況に応じて使い分け、いかに運用するかということが、まずは戦略の基本といえます。

 戦理(戦い方)を知らずに戦うということは、労多くして報われないものです。われわれの身の回りでも、「努力すれば報われる」との理想がいかにたやすく挫折していることでしょう。多くの場合、それは戦い方を知らないからです。

 三国志の劉備はご存知でしょう。彼は剛勇の義兄弟、関羽・張飛と共に長年戦いましたが、天下の志も空しく、戦いに連敗を重ねました。人望に優れ、二人の豪傑を手にしながら戦に勝つことができなかったのは、彼らが戦い方、勝ち方を知らなかったからでしょう。後に諸葛孔明を軍師に得てからの戦いぶりの一変は、そういうことではないのか、と言うこともできるでしょう。

 勝ち方を知る、ということのイメージが湧かない人のために、ひとつ短い話を紹介しましょう。使い古された、よくある話ですが、この話で「勝ち方」というものへのイメージをもってみてください。


 A隊が敵対B隊と会戦した。。
 A隊もB隊もそれぞれ500名。

 A隊指揮官は、左右にそれぞれ100人ずつを接近させた。
 B隊は、左右にそれぞれ200人ずつをこれに向けた。
 A隊は、残った300人で正面のB隊100人に突撃、
 これを壊滅させると、
 左右それぞれにBを挟撃して全滅させた。

 いかがでしょう。そんな出来過ぎた話があるか、、、と思いますか?
 しかし、往々にしてこれと全く同じ様なことが、戦場でも、ビジネスシーンでも、国際政治の場でも見られるのです。

 A隊は、仮に各個の戦闘力がB隊より上回っていたとしても(そうでなければなおのこと)500名と500名でぶつかれば、勝ったとしてもかなりの損失を受けるでしょう。

 B隊は、左右に接近したA隊に対して、それぞれを撃破するつもりで相手の倍の兵力を差し向けました。そこで残った100名に対し、A隊はそれに3倍する兵力で急遽突撃します。3倍の戦力があれば、ほとんど犠牲を出さず速やかに勝負を決することができます。さらに、そのままその兵を左右に二分して差し向けると、Bの背後を討つことになり、しかもより多勢での挟み撃ちとなります。
 こうして、A隊は全くの無傷で敵を全滅させる可能性(あくまで「可能性」)を手にするのです。

 (もちろん、あくまで仮想モデルですので、実際には少々運用能力が必要です・・・A中央部隊突入のタイミングを誤れば、左右に放った部隊の損耗が起きますからね。その場合でも、損害を出すのが惜しいだけで、負けるという可能性はまずないですが。)

 これは、敵を分散させ、それを我の優勢で討つという戦理の実現です。
 このひとつの単純な戦理を、眼前の戦場にいかにして実現させるかが、戦理の運用です。

 ではもうひとつ、今度はもっと有名な例を出してみましょう。
 赤穂浪士の吉良邸討ち入り、そして新撰組の戦闘、ここにある共通点といえば、すでに皆さんお気づきですね? それは、3人で1人にあたるという戦法です。
 斬り合いの戦闘の中にあって、三者一体となって一人にあたっていく戦法は、かなりの効果を発揮したと思われます。先ほどのA対Bの例と近いのは、敵に対して3対1の戦力比率を作り出して戦うということです。

 他にも、新撰組は戦理をわきまえた戦闘の例を多く残しています。
 多勢に対し無勢で踏み込んだ際にも、近藤などは屋内の利を十分に生かし、階段や廊下といった場所に自らを置くことで、常に相手一人と自分の一騎打ちとなるように戦いました。そうすると、相手は自らの大人数を活かすことができませんね。

 これらの例も、聞いてみれば非常に単純な手口であって子供だましのように感じる向きもあるかもしれませんが、しかし、ここまでのことをきっちりと考えるか考えないかということで、どれほどの差が生まれるでしょう。
 勝利を得るために、また味方の損害を少しでも減らすために、限られた状況の中でうてるだけの手をうつ、この姿勢こそが全ての第一歩です。

> 戦理(戦い方)を知って戦うことが勝利法(勝ち方)である。



 次回から、より具体的な項目に入っていきましょう。
 テーマは、「根本原則」です。

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posted by Shu UETA at 21:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 戦略戦術 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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