2005年10月06日

空間識失調期


 ちょっと航空関連の雑学がある人であれば、「バーティゴ」なんて言葉を知っているだろうけれど、例えば古い映画だと織田裕二の「ベストガイ」でも描かれていた。

 厳密に言えば正確ではない面もあるのだけれども、まあ一般的に世間では「バーティゴ:vertigo」は「空間識失調」(本来は spatial disorientation とでもいうべきか)を指して使われる。

 空間識失調といえば、日本語的に意味の予測がつくけれど、まあ文字通り、空間識を失調する(これじゃ説明になんないか ^^;)、つまり、空間に対する自己位置の感覚、あるいは逆に言えば自分に対する空間の位置感覚を失う、錯誤するとでもいった感じだろうか。
 例えば、自分の感覚では間違いなく航空機を水平に保っているつもりが、実際にはバンクしている等。

 といって、今日はそうした航空関連の話をしようというわけではなく(僕も操縦職種ではなく、「ちょっと航空関連の雑学がある人」に過ぎないし ^^;)、
 人というのは、人生…というか生活においても、好不調の波的に、あたかも「空間識失調」的な状態に陥るものだよなあ、という話。


 どういうことかというと、
 人は、自分自身で、調子がいいなあって時期と、どうも調子が悪いな…という時期を感じたりするものだけど、「調子が悪い」時期というのは、空間識失調的な状況にも陥りがちなのではないか、と。

 調子が悪いというのは、もちろんいろいろな状態、種類があるだろうけれど、体調が悪いとかそういうことではなく、単になんとなくツイてないことが多く感じられる時期や、どうしてもテンションが低目安定に思えるとか、どうも今ひとつ覇気が湧かないとか、物事が裏目に出てばかりとか、、、まあうまく言えないけれど、自分の波が下にきてるように感じる時期とでも言おうか…

 そうしたことの現れ方(感じ方)というのは人それぞれで、ある程度生きてきた人ならそれぞれ自分なりの感覚というものがあるだろうと思う。

 で、そうした不調期にある時、人は、直感や判断を誤ることが多い。
 僕は例えば六星占術等にさほどの関心はないんだけれど、そこでいわれる「大殺界」の時期には新しいことを始めないほうがいい、あまり動かないほうがいい、というのも、要は「判断を誤るから」ということもあるだろう。
 (ちなみに僕は天王星人だそうで。人に言わせるとよく当たってるらしい。余談 ^^;)

 もちろんまず僕自身を振り返っても、調子悪い時期というのは、まず直感を誤る、そうでなく熟慮しても判断を誤る。
 しかも、そうした誤判断に気づくことは速やかでなく、不調期を脱してから振り返って初めて気づくことが多いから余計に厄介でもある。

 そして自分ではなく周囲の人を見ても、低調期にある人というのは、何故?というような判断を下すことが多い。
 本人が助言を求めてきても、そしてこちらがいかに適切なことを言っても、それが適切であればあるほど、不思議なくらいに受け入れられない。
 たいていは、いかに手をさしのべても、救ってあげることはできないことが多い。
 正直こちらで僕は切歯扼腕することが多々ある…

 それこそ「大殺界」では ^^;)、その時期に新しく彼氏や彼女をつくってはならない、というか、(それでもつくってしまうのだが)良くない相手を選んでしまうのだ、などともいうが、果たして大殺界なるものがあるかどうかは知らないけれど、不調期にはそうした点でもやはり判断(恋愛なればこそ直感というべきか)を誤ることが多い。

 さて、航空機操縦時の空間識失調でいわれるのは、「計器を信じろ」ということだ。
 自分が水平に飛ばしているつもりでも、計器が機体のバンクを示しているならば、いかに感覚的に納得がいかなくて気持ち悪るかろうが、計器を信じて飛ばすのだ。
 計器で水平にすれば、逆に自分の感覚では傾いて感じるかもしれない。気持ち悪いだろう。コミックなどでは大袈裟に描かれることも多いから、登場人物のパイロットが、こんなはずはない、計器が狂ってるんだ、などと葛藤するシーンなどを見たことがある人もいるだろう。

 航空機には計器がついているが、しかし生活において僕ら自身に、計器にあたるようなものはついていない。
 しかし実は、計器となってくれる良き友、良き伴侶、良き部下、同僚、上司というものはいるのではないか。そんなことを思う。

 自分の感覚的に気持ち悪くても計器を信じて飛ぶように、自分の感覚、判断的に気持ち悪くても、信じることのできる人を持っていれば、そしてそれを信じることができれば、大きな脱線や誤判断、事故を避けることができるかもしれない。

 健康に限らず、直感力や判断力ということにも、鬼の霍乱ということがありそうに思えることは、歴史のうえにも散見される。
 多くの場合、優れた計器たる人材を整備していながら、やはりそれらの具申直諌を遠ざけて自分の判断を押し通してしまう場合が多い。もとより衆に優れた実績をあげてきた人物であれば、なおのことそうなりもするだろう。

 さて、しかし人間は主体的に判断し行動していこうとする限り、自分の判断を棚上げして他人の(それもどう考えてもおかしいと、その時は思える)判断に従うのは難しい。例えば重病や高熱だとかでものを考えることができないといったことではなく、現にちゃんとものを考えたうえでの自分の判断なのだから。(まさに計器を見ても気持ち悪くて仕方がないというところだ)
 難しいし、そんなことを続けていれば本当に主体性を欠くことになる。自分の仕事の責任は自分しかとれない、自分の人生の責任は自分しかとりようがないにも関わらず、だ。

 そこで重要になってくるのは、まず、自分がそうした不調期にある時に、そのことに気づくことだ。
 これは、平素自分のパフォーマンスに注意深く生きていれば、何度かの経験を通じることで、実はそう難しいことではない。
 スポーツをやっている(いた)人なら、この感覚はよくわかるだろうけれど、しかし仕事や生活においては自分のパフォーマンスに鈍感な人は多いように思う。(しかし特に仕事など、スポーツ同様の着意があればいくらでもそうしたことに敏感になる)
 まず、自分が直感や判断を誤りやすい不調期、低調期にあることを自分で感じ取ることができれば、そこで自分の操縦方法を変えることができる。

 そして次には、良き計器となってくれる人を平素ちゃんと持っておくことだろう。
 これはもちろん低調期にはできない。正確には、できたつもりがまずい計器を選んでしまいがちだろう。(実際、こうした例は本当に多いように思う。ドツボにはまっている人ほど、おかしな人間のアドバイスに従うものだ)
 一見矛盾するが、平素調子の良い時期には、しかし計器よりも自分を信じてよいのだ。
 けれど、あっ、いま自分は空間識失調気味かも、となったときに、そうした人々の存在がものをいってくれるのではないだろうか。

 僕は学生の頃に、将来、オレが世のためにならないおかしなことをしている時には殴ってくれ、なんて仲間と言い合っていたものだが(ええ、そういう青臭いガキだったんです、僕たちは ^^;)、今さらあらためて、そうありたいものだ…と思ったり。

 そして最後に、これがいちばん難関なのかもしれないが、いざ自身そうした兆候を感じたときに、その良き計器たる人々の意見を受け入れることができるかどうかだ。
 歴史上の優れた人物でさえ、鬼の霍乱かと思えるような場合、やはりもしこれができていたら、と(後知恵ながら)思わされることは多い。

 大殺界とやらで言うように、消極的方法としては、「何もしない」というのがひとつの手だろう。
 しかし、それがある程度効果を持つとしても、実際には、「何もしない」「動かない」という不作為こそが既に誤判断となってしまうこともある。
 それに何より、現実には「何もしない」などというわけにはいかないことも多い。たとえば仕事であればなおのこと活動を止めるわけにはいかない。
 飛んでいる航空機で、感覚を取り戻すまで何もせずやり過ごすなどというわけにいかないのと同じだ。


 他にもうひとつのパターンとしては、計器を信頼に足る他者というより、自分の中につくってしまうという方法もあることはある。

 これは、万事について準備、整備しておくのは難しいかもしれないが、少なくとも重要な判断分野について、思考アルゴリズムを設定しておく、判断基準を設けておくこと、そして、判断力の鈍っている時にも、いらぬ感覚に惑わされず、機械的にそれに当てはめて判断するといったものだ。

 例えば軍隊でいうOR(operations research)の思考プロセスなどは、思考手順をある程度定式化して、判断力の個人差を一定クオリティ以上に平均化するものだが、これを、個人間のことではなく、同じ自分の好不調間の差を補償すると考えるようなものだ。

 わかりやすく下世話な例え話をすれば ^^;)、
 自分の理想とする恋人のタイプを、かくかくしかじかと考えていれば、ちょっと不調期的自覚がある時期には、その理想のタイプをちゃんと守って判断するということだ。これが計器。感覚的にしっくり来なくても計器を信じる、特に明らかに計器の指示に反する相手には深入りしない!しかし、、、はまっちゃうんだなあ。(この点僕は反省材料に不足なし。まあ…それも経験といえば経験ではあるのだろうけれど --;)
 逆に、普通の時であれば、いちいちそんな理想箇条に従う必要はない。むしろ直感は恋愛でこそ大切だ。^^)


 これまでの話は結局、僕の個人的(かつあくまで人生での途中経過的暫定的仮説としての)考えだけど、何か参考になることでもあれば幸い。^^)

 1 自分の要注意期に気づくこと(パフォーマンスチェック習慣)
 2 平素、信頼に足る良き人々をもつこと(あくまで平素に)
 3 要注意期には、そうした人々に耳を傾けること(この時期に新しい計器を追加しない)
 ※ 不調期に直感がするしないというのは愚の骨頂、それが誤つ故に不調期なのだ

 +α 判断のアルゴリズム、基準を平素設定しておき、要注意期にはそれに愚直に従う
posted by Shu UETA at 02:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 思索 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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