2005年09月20日

自分の過去に触れる、音楽


 何んでだろう、ふと、気が向いて、ということがあるけれど、
 僕は昨夜急にブルーハーツが聞きたくなった。
 一応ベスト盤をmp3で持ってる。
 軽い気持ちで聞くうちに、いつしか聴きながらいろんなことを考えた。

 ブルーハーツなんていえば、
 僕が高校から大学の頃にかけてのバンド。
 古い。

 僕は基本的に、それが栄光であろうと失態であろうと、あまり過去をあれこれ振り返るほうではないのだけれど、時々ふと過去の自分の心境というか、何か原点のようなものに触れたくなることがある。
 そしてそれは、不思議と、音楽というものによって最も再現される。


 僕は相当に楽天的にも強気にも、夢と目標と直感だけを指針に、わりとメチャな選択と人生を送ってきている。
 安閑安穏安居を捨てる果断は僕の取り柄なので(場合によって短所ともなっているが ^^;)

 そう、強気だし楽天的だし自信家なんだけれど、実は鈍感ということとは無縁で、いつだってある種の不安感を胸の底には持っている。その不安感は、僕にとっては必要な緊張感、テンションの供給元のひとつでもあって、それなりに重要な機能を果たしていると思うのだけど、何かのはずみや何か周期的なものでバランスが揺れると、不安感が良きテンションとしてではなくそのまま茫漠とした不安感として意識に表出することもある。
 (もっとも、そう大袈裟なことではなく、深刻化するようなことはついぞ無いのだけれど)

 そうした時(だと自己分析しているのだけど)、今の自分の原点の頃の心境を思い返してみることは、大きなエネルギー源になったりする。

 高校から大学の頃といえば、文字通りに夢と野望に燃えていて(そりゃ、もちろん今もであるにせよ)、ただでさえ自信家の僕が一層いま以上に自信に満ちあふれ、夢を大きく掲げていた頃だ。
 その頃の自信というものは、ものを知らぬ故、世間も知らぬ故によるところも大きかったはずだけど、ずっと僕が注意してきたことは、いかに多少ものを知るようになり、世間を知り、仮に世知辛さを知ったとしてもなお、全っったく何ら懲りもせず、冷めも醒めもせず、世間ずれもせず、変わらずにいることだった。(そして良くも悪くも今のところ成功している ^^)
 (万事「懲りないっ」ってことは僕の信条のひとつでもある)


 過去の原点の心境に時折触れてみるということは、ますます炎を燃え立たせておくのに役立ったりする。

 それを理性的に頭で思い返そうとしても、それはどうも嘘くさい、なにかそらぞらしいものになりがちだ。
 妙に自分で自分を無理に鼓舞しようとでもするかのように。

 ところが、何か当時のモノ、コトに触れると、当時のことがさまざまと思い返されて、理屈でなく、自然に当時の心境などが向こうから甦ってくる。

 ここから先は個人差もあるのだろうけど、僕の場合には、音楽がいちばんのようだ。

 頭で考えてみると、むしろ当時読んでいた本などのほうが余程よさそうに思えたりするけど、しかし実際には、書物というものは時期が移るとまた考えることや感じることも異なってきがちでもあり、ひどい場合には、かつてあれほど感銘を受けたというものが、今見ると随分陳腐に思えたりということすらある。
 これは、映画等についても、ある程度いえる。

 しかも、そうでなくとも、本や映画に比べて音楽は気軽だ。一曲だとせいぜい数分、十曲でもたいてい一時間には満たない。

 音楽というものは不思議なもので、ある時期の曲を聴くと、そのころの生活や思いの全てが乱雑に甦ってくる。そこに、当時の心境のリアリティというものもでてくる。

 僕の場合は、夢や野望的なことと、恋愛というものが一緒くた、セットになって一時期の記憶を構成していることが多いんだけど、その時々の音楽はまるであたかもその縫い糸のようだ。
 (僕の中では、夢も恋も、野望も恋愛も、天下も彼女も本質的には同じもの、だから歌の中でもそれらはいつだって言い換えられる)

 僕は洋楽派なので、「聴く」というほど聴いたものはたいてい洋楽なんだけれど、不思議なことに、しかし時代の心境は、そんなものよりも、ただ街中やテレビ、FMで聞いていたに過ぎないような、いわゆる流行歌的なもののほうが、より多くのものを乗せている。
 あるいは、当時自分のバンドで演奏していたものなら洋楽も。

 僕は自覚的にも青臭いガキだったんだけれど、さらに、80年代から90年代の初めというものは、青臭い歌が多かった。
 僕はそうした青臭さを自分の中で無くさずにいたいと思っていたんだけれど、それでもさすがに、こんなの大人になったら聞いてられないんだろうなあ、なんて予測していた。

 ところが、
 どうやらそうでもないんだね…
 僕は未だに、ちゃんと、青臭い。

 そんな青臭い僕が、当時の青臭い歌を聴いて、もっと青臭かった僕を思い出しながら、そうして、俄然再び炎を燃え立たせる。

 音楽というのは不思議だ。

 そして、過去ではなく いま聞いているような音楽は
 10年経って懐かしく聴くとき、今のどんな心境を思い出させるのだろう



 
   リンダ リンダ / ブルーハーツ

 もしも僕がいつか君と出逢い話し合うなら
 そんな時はどうか愛の意味を知ってください


 愛じゃなくても
 恋じゃなくても
 君を離しはしない
 けして負けない強い力を
 僕は ひとつだけ持つ



 
  人にやさしく / ブルーハーツ

 やさしい歌が好きで
 あなたにも聞かせたい


 人は誰でも
 くじけそうになるもの
 僕だって今だって


 叫ばなければ
 やりきれない思いを
 大切に 捨てないで


 人にやさしく
 してもらいたいんだね
 僕が言ってやる でっかい声で言ってやる
 がんばれって言ってやる


 やさしさだけじゃ
 人は愛せないから
 なぐさめて あげられない

 期待はずれの言葉を言うときに
 心の中では
 がんばれって言っている
 聞こえて欲しい あなたに



 
  トレイントレイン / ブルーハーツ

 世界中に定められたどんな記念日なんかより
 あなたが生きている今日はどんなに素晴らしいだろう
 世界中にたてられてるどんな記念碑なんかより
 あなたが生きている今日はどんなに意味があるだろう



 
  キスして欲しい / ブルーハーツ

 どこまでゆくの 僕たち今夜
 このままずっと ここにいるのか
 はちきれそうな 飛び出しそうな
 生きているのが 素晴らしすぎる

 キスして欲しい
 キスして欲しい
 キスして欲しい
 キスして欲しい

 二人が夢に 近づくように
 キスして欲しい


 もう動けない 朝がきても
 僕はあなたの そばにいるから
 雨が降っても 風が吹いても
 僕はあなたを 守ってあげる

 教えて欲しい
 教えて欲しい
 教えて欲しい
 教えて欲しい

 終わることなどあるのでしょうか
 教えて欲しい


 どこまでゆくの 僕たち今夜
 このままずっと ここにいるのかい
 はちきれそうな 飛び出しそうな
 生きているのが 素晴らしすぎる

 キスして欲しい
 キスして欲しい
 キスして欲しい
 キスして欲しい

 二人が夢に近づくように
 キスして欲しい

 キスして欲しい

 キスして欲しい



posted by Shu UETA at 17:55| Comment(2) | TrackBack(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
こんにちは!
「音楽」という言葉をみてなんでだろう・・・
三島由紀夫の「音楽」という小説を思い出しました。「音楽」が聞こえなくなってしまった女性のお話なんですけどね・・・。音楽の波動って、人間の波動に近いんじゃないかな〜と思います。だから、そのときの心境にらせんのようにからみつくんだと思います。織り込まれるといってもいいのかな?(また勝手な想像ですけど)といいながら、難しいことなど考えず、気楽にそのときの気分で楽しんで聞いてるんですけどね!ではでは、失礼します。
Posted by T・T at 2005年09月24日 14:43
> T.Tさん

 「音楽」は僕も読みました ^^)
 三島由紀夫の文章は大好きなので。

 そう、「波動」というところに何かカギがあるんだろうなと僕も思います。
 音楽の記憶というのは、どうも明らかに映像や言葉の記憶とは脳内での扱いが異なるようにも感じられて。

 モノというのは何であれ、存在としては波動の形をも持っているものだけど、人間がそれらを波動として取り扱うことは基本的にはなく(あるいは難しい、もしくは意図的にコントロールし難い)、しかし「音」に関する記憶は、「音」というものの性質上、当然「波動」として記憶され再生もされるという点で特殊なのかな…と考えたりもします。

 もちろん、単に僕が音楽を好きで、その時々の生活の相当に中心的な位置を音楽が占めている故かもとも思いますが。
Posted by Shu at 2005年09月27日 02:12
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