近藤孝洋著
実はこの書を読んだのはかれこれ一と月ほど前。
すぐにも記事を書きたかったのだが、なかなか深みがあり、考えさせられる本で、果たしてどういう切り口でレビューしたものか…と、なかなか取りかかれなかった。
現時点でも、内容をうまく表現し難いが、お薦めしたい本であることには変わりなく、とりあえず紹介してみることに。
特に、体術、フルコンタクト系を嗜む人にとって、おもしろいのではないか…
とりわけ、空手をやる人にコメントを聞いてみたいなと個人的には思う。
( > skyboy)
さて、うまく総括し難いので、順を追って紹介していこうかと思う。
顔面へのパンチが見切れる者は、実際のパンチが飛んで来る前に気に反応して自然に体が避ける。修行の足りない者は気が飛んで来るのが分からないから打たれる、気功とはこの様なもので教えられずとも修行すれば勝手に身に付くものだ。--- 格闘技に気の闘いは付きものであり、極言すれば気を会得していない者など一人も居ない! 皆、何らかの形で気を理解し会得している。 その会得や理解が浅いか深いかだけの違いだ。 気を感知する能力は誰にでもある。 |
これがまず本書の大前提となる。
こうした、本書なりの「気」をどうコントロールするか、というのがテーマのひとつ。
人間が本来、誰しも持っている防御のバリア 顔面に狙いをつけられた時、不快な圧力を感じて、それと分かる。 腹を狙われた時、不快な圧力を感じて、それと分かる。 |
これなどは、そうした感触を理解できるひとは多いのではないだろうか。
特に、なんらかの武術、格闘技を嗜んでいるひとならば。
ある程度武術の修行を積んだ者は皆、気に対する知覚能力を持ち、それ故に「敵の意の起こる時」や「念の生じる所」が無時間で知覚され、不意を打たれるという事がない。 これが即ち、格闘技に長じた熟練者を、 「最初の一発で倒せない」 その最大の理由である。 |
したがって、いかに相手のそれを知覚し、かつこちらは相手の知覚に触れないか、ということがポイントとなり、そうしたテーマにそって、本書ではさらに具体的な方策や、訓練法などが提示される。
なお、本書の前書きには次のようにある。
本書を執筆するにあたり多くの精神世界の著作を参考にさせて頂いた。末尾にそれらの本の名を掲げさせて頂く。 武術の伝書は難解にして、その真意を汲み取るには自分だけの能力では不可能であった。一行も内容がわからなかった伝書が、これらの本の助けにより明らかとなったのは、私にとって何よりもうれしい事である。 秘技妙術の世界は、見えざるものと大いに関わりがあり、その不可視性によって今までそれが手に触れる近くにありながら、手に届かず、極く少数の名人達人の掌中の玉であった。しかし予想不可能な力は、現に我々の手の届く範囲にあり、望めば誰でもがそれを得られる。 その不可視の存在に気づいた人は、その感覚を通じて、誰もが想像を絶する威力を持つ精緻な秘術の世界へ入れるのである。 |
そして、巻末には、カルロス・カスタネダのシリーズが筆頭に並んでいる。
またそこに掲げられてはいないが、本文中には、神智学からの引用がみられる。
こうした分野の書物に触れたことがあるひとなら、さらに本書の理解は容易になると思う。
ここを見ると、多少怪しげな雰囲気を感じる向きもあるかもしれないが、あくまでも、本書に語られる内容は、具体的かつ論理的なものであり、超常現象的な話に偏ったいかがわしい書物ではない。
本書では、剣術の夕雲流(せきうんりゅう)の例、伝書の引用が多分にある。剣術(剣道ではない)を嗜む人ならば、夕雲流を知らぬ人はないと思われるが、多く、おそらく史上最高の境地にいたった流派ではなかろうかと評される流派である。しかしながら、後に失伝し、既にいくつかの伝書が残るのみである。(幕末の白井亨なども、随分苦労して伝書を研究している)
今日では、甲野氏の研究などが有名であるが、本書では、甲野氏とはまた異なった視点で分析されており、実に新鮮な感動があった。甲野氏はあくまでも身体運用面から分析しているが、本書の著者は、上述したような「気」の一種の運用面から読み解いている。
この二者を両輪として考えることで、より夕雲流の実際に近づけるのではという感触を得た。
著者は、こうした作業において、上記の精神世界分野の文献が役立ったと言っているのだが、自らの狭い世界内の常識に固執せず、幅広く知見を他に求める姿勢が、すでに好感できる。探求者とはかくありたいもの。
さきほどの、相手に知覚されない動き、かつ相手をいかに知覚するか、ということをひとつのテーマとして、技法、稽古法が述べられているが、鍵となる考え方に「気の粗密」ということがある。
自らの身体における意識の偏在をいかにコントロールし、活用するか、あるいは、相手の意識の粗密をいかに察知するか。こうしたコントロールが、陰陽論を引きつつ解説される。
他には、「刺激に対するパターン化した反応」の利用、かつ自分がそれを排すること、ということについても触れられていたが、個人的にはまさに思わず膝を打つ心地で、実に納得がいった。
これは武術に限らず、人生への取り組みとしても非常に示唆に富んだものだと思う。このblogでは以前、「7つの習慣」という本を紹介したことがあったが、同書においても、こうしたことが(無論武術などとは無関係に)述べられおり考えさせられたことがある。
人間は、刺激と反応の間に「反応の選択」という自由を持つ、がしかし、それを行わず、ただただ反応的に生きている人が多い、と。
また、西晋一郎博士の「天の道人の道」においては、これが「十字街頭」という言葉で表現されていた。
そもそも武術における技法とは、哲学にまで昇華できるものが多いが、ことにこの話に関しても、洋の東西、また分野を問わず語られている真理として興味深い。
些か脱線したが、気(身体意識)の偏在とコントロール、これらの知覚を養うべく、個人的に現在さまざま工夫しているところである。知覚面では、主として座禅に取り入れつつ、我が家を訪れるスズメとネコを相手にもしつつ、練っている。コントロールについては、居合において工夫しているところ。
なお、高岡氏の呼吸に関する話も参考にしている。
しかし個人的に現在は体術系のことを休んでいるので、その方面の人に本書の内容を試みたうえでのコメントをきいてみたいものだと思っている。(>
skyboy ^^;)
「極意の解明―一撃必倒のメカニズム」
【関連する記事】
(本日初めての訪問なので)
「極意の解明」と「7つの習慣」の類似性については、
私も思ってましたが、本のマイナー性?もあって、
まさかほかに同じ感想をお持ちの方がいようとは思いませんでした!
ちなみに、私は近藤先生の講習を受けたことがあります f(^^;)
はじめましてっ
> 「極意の解明」と「7つの習慣」の類似性について
> まさかほかに同じ感想をお持ちの方がいようとは思いませんでした!
全く同感、僕こそ新鮮な驚きですっ
実にうれしいです。
何かを見聞しても、単にその分野だけの話としてとらえるのと、他の分野のさまざまと照らし合わせたり、他への敷衍や応用を考えたり、という姿勢を僕は大切にしたいと思うのですが、おそらくkenさんもそのような発想のできる方なのでしょうね。
近藤先生の講習をお受けになったとは、うらやましいですね、興味も津々です。
僕もせっかく神戸にいるので、一度ご謦咳に触れてみたいものです。
武術/身体操作系の記事はなかなか頻繁に書けないのですが(自らの進展具合にもよりますし ^^;)、どうか今後ともよろしくお願いします。
何かありましたらメール等もぜひお気軽に寄越してください。^^)
極意の解明凄かったですよ!
この本いたるところに活用ができるし、モーツアルトやボビーフィッシャーに通じるものがあります!エジソンにもつながるかも・・・
でも、理解するには中々難しい人が多いかも・・・