2005年09月12日

民主党への提言(後)


 (前編のつづき)


(2) 反自民をidentityにしない、反自民の卒業

 反自民へのこだわり、これが野党根性の根のひとつだ。
 すべての判断基準を反自民においているかに見えるのは僕だけではないだろうし、国民大多数も無意識的にそうしたことは感じるものだ。
 本当に国家を判断基準に置いているならば、自民の言動を一から十まで非難する必要などないはずだ。政策議論はもとより、たかが首相の所信表明演説にさえ全項目全否定なんてことは、普通に考えれば異常だ。
 どうせ何でも批判するから、本当に批判すべきことにおいても説得力をもたないということは、かつての社会党を見ていて皆わかっていることではないのか。

 こうしたidentityの持ち方は、政策論争や選挙戦においても、とかく「反応的」態度につながっていく。
 戦いには主導の原則ということが言われるが、主導性の確保なくして、つまり状況や相手の行動に反応的に対処するばかりでは、勝利は覚束ない。

 むしろ今こそ心機一転、あらためて真の政権準備政党を目指すべきだ。
 主体的に政策を研究し、与党と見解を同じくし得る部分については賛成し力も貸し、認められないことについては議論を戦わせ、国民の信を問う。

 しかし、民主党も個々の議員を見ていくと、決して反応的になるのではなく、主体的に政策を研究している人はたくさんいる。
 ところがなぜ党全体としては、かくも反自民的姿勢が相当に一貫しているのか。
 それが、「寄り合い所帯」事情というものだろう。

 小沢氏から横路氏まで、ということに顕著なように、民主党の政党としての節操の無さは、これはもう否定は難しいだろう。右から左、ここに共通するのは反自民の思いだけだ。
 なるほど、従来の自民党政治における利権癒着や族議員の跋扈など、ただ自民政権でなくなるだけでも「政治がよくなる」と言い得る事項があるのは事実だろう。そこを指しての「反自民」という「理念」であって、単なる感情的な「反自民」などではない、民主党員はそう言うだろうし、熱心な支持者の多くもそう言うだろう。

 しかし、民主党の言葉を借りれば「もっと大事なことがある」というのも事実であって、民主の言う年金であれアジア外交であれ、男女共同参画であれ少子高齢化であれ、それは政治システムのクリーン云々とは些か次元の異なる話だろう。
 いや、悪しき自民体質を放っておけというのではなく、それはそれで糾弾し続ければよいのだが、しかし政党としての中核理念はそういう次元のことであってはなるまいということだ。
 (この点で、(あくまで現状の)民主党から出ようという新人候補者を僕は軽蔑している。自民党ではなく民主を選ぶ候補者も、社民ではなく民主を選ぶ候補者も、政治理念や哲学ということでは希薄な人間を想像してしまうからだ。全く信条を異にするし小なりといえども社民や共産を選ぶ候補者に対して僕は軽蔑という言葉は使わない)

 しかし、民主には反自民をidentityにせざるを得ない事情がある。
 それは、党内の統一感の維持だ。政治的思想信条を相当に異にするグループをいわゆる数合わせ的に抱えている以上、そこで外部にidentityの根拠を求めるのは自然な経路だ。
 それは中国共産党が国内統治に反日を不可欠とするように。

 そこで、僕が言うような反自民の卒業ということを実現するためには、ある程度、思い切った党内整理が必要なのではないか。
 ものは考えようであって、大きく数を減らした今こそ好機と考えられないこともないだろう。だって、今にも政権を交代できそうな勢力があれば、現実的にまず政権を取ろう、そのためには一つたりとも議席を減らすまい、数合わせもやむを得ないということにもなりがちだが、ここまで勢力を減らしたのだ、かえって気持ちよいくらいだ。
 そこでへこんで政権準備政党の自信を失って強い野党化を目指すなんてことを言わず、ここは党内を整理して、あらためて精強な本格政党を目指すべきだ。

 党内整理というのは、本当に政策理念、政治的信念を共有することができるのか、再度洗い直すべきだ。国会を経た決議案ならともかく、たかが党内政策でさまざまな思想立場の機嫌をうかがった八方美人の継ぎ接ぎを行うような中途半端はやめるべきだ。
 そういう意味では、今回の自民党における小泉総裁の勇気を見習うべきかもしれない。信念、理念の点で折り合わない面々の寄り合い所帯を返上するべきだ。
 民主党はリベラルだといわれるが、正直、リベラルでは済まない傾向の議員も無視できない、、、どころか相当の党内勢力を形成している。かと思えば、口の悪い人間に言わせれば極右とも言われかねない議員もいる。
 もういい加減、軽薄な近道や手練手管を捨てて、いったん政党というものの本質に立ち返ってみるべきではないか。
 ここをいつまでも「反自民」で接着し続けていれば、どうしたって党のカラーは「反自民」を脱っし難いだろう。

 接着剤にはもうひとつ、「二大政党制への憧れ」というものがある。


(3) 真の二大政党制への準備

 民主党はとにかく二大政党制ということを常々標榜し、信念している。
 しかし、一般に他国で言う二大政党制というものは、ただ大きい政党が二つあるということではなく、それが国家にとって有益に機能し得るということが大前提となっているはずだ。(当たり前で恐縮だが、それはあくまで手段であって目的たり得ないものであるはずだ)
 米国であれ英国であれ、二大政党の双方は、民主党のように相手政党のやることなすこと非難するような幼稚な政党ではないし、国家の大方針を一転するような根本的改変を気軽に公約するような政党でもない。

 かつての冷戦下においても米国は何度となく政権党が交代しているが、冷戦下における米国の戦略が政権交代の度に変更されるようなものではない。

 真の本格的二大政党となるためには、国家の根幹的な部分、大戦略、大方針を共有した上で、その実現手法をめぐって争われるべきだ。
 そしてこの共通認識を共有せずに、過度の政策にブレーキ役を果たし得るのが、中〜小規模政党であり、共産党に言わせれば「たしかな野党」というものだ。あるいは公明党のようにキャスティングボードを握って政権に連立参加し得るような政党だ。
 そうした意味で、僕は二大政党制よりも二大政党+中小党というほうがさらに健全な体制であると思うし、日本はそうなり得る土壌があると思っている。

 さて、ここで民主が目指すのは、二大政党の一方なのか、それとも確かな野党なのか、キャスティングボード政党なのか。そこをまずしっかり認識すべきだ。

 そこで二大政党の一方を目指すというのなら、もう一方の大政党との間で、ある程度の国家戦略を共有すべきだ。
 そのためには、自民党との間でいくつかの重要テーマについて真摯な議論の積み重ねと、結論への到達、その共有という活動が行われるべきだ。
 そうしたことを目にしてこそ、国民は民主党に対しても自民党並の安心感をもつことができるし、ある種の信頼感にもつながっていく。

 既に自民党側からは何度もそうした誘いが民主に向けられているが、なかなか民主はこれに乗ろうとしない。(年金問題しかり)
 その年金もそうだが、今後の憲法議論は実に良い機会だ。この機をいかして、日本のめざすところ、大戦略の共有に向けて努力すべきだろう。
 それは何も自民に巻き取られるということではないのだ。国家戦略レベルでまるで異なるような政党間でころころ政権が変わるようでは困るのだから。そんなものは二大政党制などというものではない。そうではなく、一定の土台の上で、手法や個々の政策をめぐって議論し、争えばよいのだから。

 いくつもの報道で、羽田氏の「二大政党において一方だけが大きく票を減らすなどあり得ない」とのコメントを見ることができるが、あり得ないことが現にあったということは、命題か前提いずれがに矛盾があるのだということを考える必要があるだろう。背理法だ ^^;) 僕は知らないがもしそうした命題が一般的に正しいのであれば、前提の方、つまり二大政党などではないのだということを考えてみなければ。そしてどうすればよいかを考えなければ。


(補) 新党首について

 以上の前提に立てば、新党首はまず左派グループからだと進展しにくいだろうと思われる。大方針の摺り合わせも、従来型野党化の防止も、反自民卒業も困難ではないかと想像される。

 一部には小沢氏の名も取り沙汰されているが、近年の氏は、右派左派手打ち妥協路線の筆頭であるので、僕が提案するような形での正常政党化には進まないだろう。
 また、(まだ詳しく精査していないが)どうやら小沢グループは大きく議席を減らしているようだ。若手が軒並み落選しているうえに、あの藤井氏を含むベテランも議席を失っている。したがって、小沢氏の力は党内で弱まっている可能性が高いのではないか。

 菅氏は意欲的だとの一部報道もあるが、即戦力でいくか若手でいくかという判断が前者に決着すれば、菅氏の就任は大いにあり得るのかもしれない。
 この場合には、野党化傾向がむしろ強まる可能性もあるように思う。民主党の野党的性格は草創期において大部分彼によってもたらされた面も大きい。そのあたりの抜本的戦略について氏が考えを変えていなければ、この機にますますその傾向を強めてしまう恐れも大きいのではないか。(もちろん、それは過去からの推測、今度はわからないが。四国遍路も行ったし ^^;)

 若手実力者は党内に多い。もし引き続き若手路線ということならば、報道では前原氏などの名もあがっている。
 そうした保守系若手実力者層は、党内の相当の一致を受けて就任するよう、そうでなければ引き受けないつもりで着意してもらいたいと思う。
 でなければ、ある程度の痛みがともなうような立て直しはできないし、(寄り合い所帯の悪い面に振り回されて)大いに行動を制約される。
 また、優秀な若手であれば、今カードとして切るには惜しいかもしれない。ただし党内の全面的バックアップが得られるのであれば、その限りではないが。

 僕自身は、実は鳩山氏あたりが良いのではないかと考えているが、僕が見た報道のいくつかでは、氏は消極的であるとされている。
 僕が民主党員であったなら、既に先週中から、鳩山氏擁立に向けて動いているだろうが… ははは。




 最後に、その他、民主党支持者と自民党に向けて。

 民主党支持者の方々にも、反自民ということを卒業すべきだと言いたい。
 そして、支持者であるならなおのこと、もっと党に注文をつけるべきだ。(この点、自民党支持者を見習うべきだ。自民支持者は、党のやるたいていのことには常に不満をあれこれ言っているものだ ^^;)

 僕は極力客観的になりたいと願っているし、つとめて民主党の立場にも立って観察してきてもいるが、例えば本当に岡田氏の代表振りには納得がいったのか、民主党の党内面々の理念の懸隔振りは本当に気にならないのか、与党が何を言ってもいちいち非難するさまを見て、あるいは自慢のマニフェストも、ほとんど常に自民党を念頭に置いた相対的なものに過ぎないことに、何ら忸怩たる思いを感じないのか、、、より主体的に、自民の存在など関係なく民主党を評価し、納得がいかない点は声をあげ、普通の国ならぬ「普通の政党」を育て上げていってほしいと思う。


 自民党は、今回の大量議席にかかわらずそれでも引き続き、国家戦略、大方針の議論に民主を引き入れるよう努めてもらいたいと思う。年金問題も憲法も、そのよい機会だ。

 万年与党にこだわる必要は全くない。
 近年毎度のように取り沙汰される「風」ということには敗者としても勝者としても重々思い知るところがあるだろうが、民主が政権をとった際にその政権運営の至らなさを笑って見てればよいということは、日本のためには断じてあり得ないだろう。


 ここ最近の選挙と今回の選挙を見ると、日本の有権者は段々と、既に政党などよりはるかに、二大政党制への準備ができつつあるようにも思える。
 自民支持者、民主支持者が存在することは、米国民に共和党支持者と民主党支持者がいるのと同じだ。そうした固定的支持者層がいることとは別に、選挙によって国民の判断が両党のいずれにも向かい得るということは、わが国においてもこれからはもはやある程度言えることかもしれない。

 (※今回の記事は基本的に民主党の立場に立ったものであって、僕はことさら二大政党制の推進支持者というわけではない)


posted by Shu UETA at 21:44| Comment(4) | TrackBack(0) | 天下-その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
素晴らしい。
敗北は国民の不理解とか言っている議員に読んでもらいたいですね。

民主党ですが、選挙に関して一つだけ評価していることがあります。あの党は、国政選挙(前回、前々回)に関して言えば、その土地の人間を擁立している割合が確か少なかったはずです。今回の自民党の刺客候補(最近は落下傘候補と呼称しているんでしょうか)と一緒で、外から候補を送り込んでいたわけです。

国政選挙に関しては、全政党にこれを徹底して利益誘導型の選挙から脱却すべきと考えています。ちょっと厳しいかもしれませんが、同じ選挙区での立候補も不許可ぐらいに徹底するとなお良いかなと。利益の確保は地方議員にまかせておけばいいのです。
そうすれば、国民の側も、国政選挙の時は国全体の方向だけを考えれば良いことになるし、地方選挙の場合は、地元に役だってくれる人を選べば良いわけで、焦点がはっきりしてわかりやすくなります。
これは、地方分権の教科、道州制の導入などの時に一緒に考えて欲しいと思っています。
Posted by toybox at 2005年09月13日 07:29
> toyboxさん

 民主党ではありませんが、引退したといいながら暗躍跋扈を続けていた野中氏も、さすがにへこんでいる様子でしたが(地盤後継者も落選)、やはり「国民がめくらましにあっている」なんて怒ってましたね。^^;)

 ところで、落下傘型ですが、なるほど民主党ってそういうイメージありますよね。
 しかし地元禁止というのは、難しそうですね〜
 国民意識的にも。

 一方で、僕は最近standpointさんから教えてもらったのですが(恥ずかしながら全く知りませんでした)、
 古代アテネでは、選挙区について、「都市部」「郊外」「山間部」の三種を組み合わせてひとつの選挙区を構成するという工夫をしていたことがあるそうです。
 つまり各選挙区の地域特性の均質化する狙いでしょうけれども、結果的に、地理的に遠隔の地域がひとつの選挙区とされるわけで、そうすると副次効果的に、特定地区への利益誘導ということが相当に意味を喪失する可能性がありますよね。
 ひとつのヒントとしてなかなか考えさせられているところです。
Posted by Shu at 2005年09月13日 08:01
なるほど
>古代アテネでは、選挙区について、「都市部」「郊外」「山間部」の三種を組み合わせてひとつ
興味深いですね

ところで、こんな話が掲示板にのってました:
テレ朝の朝のスーパーモーニングで池袋のおばあさんが、
『地元は区議がやれば良い。国会議員は国の為にやって欲しい。』
と述べたシーンが流れた

裏はとってませんが、池袋のおばあさん素敵:-)

制度によらず、このおばあさんのような意識が一般的になってくれれば、地元議員が国政にというのは全然かまわないと思います。僕の制度によって強制的に意識を変えるというのは、ある種傲慢でしたね。ちょっと反省。
Posted by toybox at 2005年09月13日 18:47
> toyboxさん

 いえいえ「反省」だなんて。
 僕も思いは同じです。
 ただその素敵なおばあさんは少数派なんでしょうね…
 しかし、とは言っても、明らかに意識変化は起こってきていますよね。
 いわゆる無党派層とか若い世代は、地元利益なんて意識は薄いと思いますし。
 今回の選挙だって、地域ではなく国政に対して国民が判断した結果でしょうから。

 少〜しずつであっても、しかし実はちゃんと良い方向へ動いているような気も、します。
 楽観かもしれませんが ^^)
Posted by Shu at 2005年09月13日 20:18
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