2005年08月31日

各党党首色紙


 記事にするのが遅れたが…先日の日本記者クラブでの党首公開討論に際して、参加各党首による決意表明の色紙というものが、Sankei Webで掲載されていた。
 6党首が色紙に決意 党首討論で披露
 著作権等に関わることは重々承知のうえだが ^^;)、共同通信配信のその写真をここにも下記に紹介してみることに。

 一瞥していろいろに思うところ感じるところもあるし、さまざまつっこみどころもあるのだが、我が身を省みて、やはり自分もあまりみっともない真似を将来することのないよう多少の研鑽は必要だな、などとも考えた。^^;) 
 (それは必ずしも「きれいな字を書く」ということではないが、しかし自分なりの「風味」は出したいものだ)


sei081-1.jpg

 ざっと眺めれば、皮肉なことに(とするのは僕の主観だが)綿貫氏の「至誠」が最もそれらしい、ありていに言えばまともな字でもある。(もちろんそれと小泉総理のものと)
 綿貫氏、ということでもあり、なおさら僕は「字は人を表す」などとは思わないが ^^;)、しかしそれにしても社民党福島氏などはどうだよ…と感じずにもいられない。^^;)

 教養なき時代、ではあるが、そしてもとよりそれが政治家の商売では断じて無いとはいえ、古い時代の政治家たち(そして政治家に限らずいわゆる名士たちはと言うべきだろうが)は、こうしたものはそれなりに立派に書いていたように思う。
 それは単に上手な字ということではなくて、一般的にいう上手い下手とは別の次元で、人柄風味であり、気骨気概であり、エネルギーであり静寂でありとそれぞれ「味」もあったように思う。(そういうところにおいてこそ「字は人」たり得るだろう)
 選ぶ文言にもそれは現れようし。

 が、しかしまあ書も文化に過ぎない、そしてそれは文化として消え衰えつつある今日であるから、そうしたことは批判には当たらないのだろうとは思っているけれど。

 字を別にして、
 しかし社民党福島氏や共産党志位氏は単に党の選挙キャッチフレーズを書いているに過ぎないが、それが党首として求められた決意表明としてふさわしいものか、首をかしげたくなる。
 そもそも色紙に書くようなことですか…と ^^;) (もちろんこれも文化的なとらえ方に過ぎないのだけれども)
 何故に、こうしたこととて最大限に良きアピールの機会ととらえないのだろう。それとも、そう認識した上で選んだものがこれなのか…
 もっとも、思想立場的に既にそうした伝統的事物事柄には寄り添いたくないということもあるのだろうが。

 神崎氏は微妙だ… これは公明党のキャッチフレーズではあるけれど、党首の決意としてリアルにそう感得しているのだろうという気もしないではない。わからないけれど。

 岡田氏がここに「もっと大事なことがある」とでも書けば大いに笑えたのだが、しかしさすがにそれほど間抜けではない。^^;)
 (しかしこれは記事にある「政権交代」ではなく、「交代政権」としか読みにくいのだが(署名も左にあるし)何らかの常識が僕にないだけなのか…)

 小泉氏の「立炎天下」は、記事では単に「全国遊説で郵政民営化への支持を求める決意を込めた」とされているが、もっと深い意味も込められているだろう。まさに今の状況ではないか。


 討論でも、福島氏などは、日頃常々の主張であってもいちいちたどたどしく手許の紙を読むばかりで、何が討論かとも思わされるさまだったが、本当に、器ではないのだろうなと感じさせられる光景だった。
 もっともこの点は、岡田氏も紙を読むシーンが多過ぎではとも思ったが。特に数値が入っているなどというわけでもないのに、それくらい顔を上げて自分の言葉で言ってくれよ、と。
 そのせいというわけではないだろうが、討論のレベルも非常に低いもので、有権者が何かをそこから得られるようなものでもなかった。

 いつから、なぜ、日本の政治家はこんな様子でことさら恥ずかしくないというレベルになってしまったのだろう(しかも党首レベルだ)、色紙などは些末なこととして措くにせよ、だ。

 僕はディベートなどという競技は人間品性の点においても民主主義的議論における悪弊助長の面でも、大嫌いだが(個人的に苦手ではないものの ^^;)、しかし彼らのさまを見ていると、国民教育一般には反対であるとしても、こうした道に進む人々には必須必修であるのかもしれない。

 神崎氏などは元検察官だったと思うが、やはりこうしたことは何ら苦にならないのだろう(発言シーンを一部しか見ていないので何とも断言できないが)
 小泉総理は、こうした点ではさすがだ。総理の余裕ばかりが目立った結果に終わったように思う。色紙もまともだ ^^;) 今回の公開討論なるものを見る限り、政治家らしいといえば小泉総理とせざるを得ない。(仮にも党首を集めて、政治家らしいのらしくないのといわねばならないのも哀しい話ではあるのだが)


 と、いたって雑談であるが、とはいえ他人のふり見て我がふりなおせとも言われるところ、僕もあらためて我が身に照らしていろいろ考えたところ。


posted by Shu UETA at 12:12| Comment(2) | TrackBack(1) | 天下-その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
このお気持ち、僕も良く分かります。僕なんかだと、やっぱり偉い人(笑)は達筆であるべきだくらいは思ってしまいます(^^;)
思うに、教養や伝統というのは文化的な蓄積ですから、字が書けないということは、その人物に内なる蓄積がないという印象になるのだと思います。
まあ、政治家に教養を求める時代ではないのでしょうが、それにしても福島さんはちょっと酷いですね。素養なり、嗜みなりなどと言うことを煩く言うのは、もう古いんでしょうか(^^;)
Posted by yt at 2005年09月03日 04:22
> ytさん

 多重投稿の件はこちらこそ何だか申し訳ないですね。seesaaではしばしばありまして。^^;)
 特にご指示なくとも、拝見の上、多重分は削除しますので、以後、お気になさらず放置しておいていただいて結構ですよ。^^)
 (重複分及び削除願い分のコメントを削除したことについての話です >all)

> やっぱり偉い人(笑)は達筆であるべきだくらいは思ってしまいます(^^;)

 や、同感です。本文では相当に薄めて表現しましたが。あはは。

> 思うに、教養や伝統というのは文化的な蓄積ですから、字が書けないということは、その人物に内なる蓄積がないという印象になるのだと思います

 ああ、なるほど、さすがうまく表現されますね。そういうことなんでしょうね、たとえ無意識的であろうとも。

 仮にも国家の指導者を目指すからには、名実ともに名士らしく、内面外面の充実とその善き発露を見せてほしいなと思います。

 で、あらためて自分を振り返りもするわけですが。^^;)
Posted by Shu at 2005年09月03日 07:26
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選挙戦〜各党党首色紙揮毫に滲む表意
Excerpt: 8月も最終日ですね。 心なしか日暮れの早さを日々感じ、子供の頃、夏休みの終わりに愁いを感じていた自分と、今の自分に変わりのない事にニヤリとしてしまうのでした。もしかすると、条件反射なのかも知れません..
Weblog: sea_shore
Tracked: 2005-08-31 13:47
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