前記事の続き
- 科学智とその応用は人の道を端的に実現し、人為を極度に現すものと見られるが、天意は全であり人智は部分的を出ないから、警戒すべき所がある。
- 科学智は分析綜合を以て其の大体の性質とする人為を最も極端に作用らかしめたものであるから、比較的全体的である智によって導かれなければ、全体的には天意をよく体認して天道の中の人道を全くする事の出来ぬ恐が多い。
其の結果、大いに人生を利する如くして却って天然に背き、従ってまた人生にも不利をもたらす場合が生じる。
- 天は元来増減無く、真はもと万古であるから、大いに利するは大いに損し、厚く積むは深く失う意味が常にある。
- 故に、人間意志の端的なる現れといふべき思索は、たとい部分的たるを免れずとも、比較的には天意の善に参するともいうべき所の照明によって始終導かれることを必要とする。
- 天は無量の真を蔵するが、総て真はまた至って単純である。
人智はこの尽きざる真から力量相応に見出し、人の意志は、かく見出せる所を実にする。
- 此の理を見ての上に人の道を尽くすのが、天の道の中にあって人の道を実にすることであって、安国の道であると共に人の天分を尽くす所以である。
- 故に、思索は直観によって、科学智は道徳的照明によって、導かれ統べられて初めてその価値を発する。
- 天の無尽蔵は無一物の如くであり、極多は極少裡に具わるという理に順応して人の道を行えば、これ成功の道であると共に、永く失わざる道でもあり、また失っても失わざる意を保つことができるであろう。
人間に於けるすべての発展の過程は矢張此の理に順うことに外ならぬ。
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- 天道が人道として実にせられる過程は歴史である。
真に力強き実現は只歴史のみであり、歴史こそ意志を最もよく現し、歴史は意志の見地から初めて真に理解せられるものと知るのである。
- 歴史とは只変化の表面的継続ではなく、一貫である。
一とは常住を意味し、貫とは作用を言う。 常住の体なければ作用は只の変遷に過ぎず、作用なければ常住者は死物となる。
- 常住の一は天の単純を意味し、極少を意味し、極少の極を無とする。
変化窮なきは天の極多を意味し、無尽蔵を意味する。
- 故に天の道の中にある人の道は、一以て之を貫く所の歴史に於て最もよくその実を成す。
- 人の道は勤むるにある。勤むるは終始一貫である。固く執って失わざるは意志の精髄である。
功の速かならん事を欲し、朝に起こして夕に廃するは薄志弱行である。怠の一字は人の最も畏れ悪むべき所である。
- 一箇の思想に歴史があり、一生の学業に歴史があり、一家の富にも歴史があり、一門の興隆に歴史があり、一国の文化に歴史がある。
歴史あるものにして初めて根底あり、真実であり、永続的である。 人の道が天の道の実現たり得るは歴史に於てである。
- プラトンは天地万物の創造と時の出現を異名同体の如くに言ったが、万物の発現は自然的歴史であるとせば、歴史即、時である。
- 時は漸進するもの。故さらに急ぐことなく、故さらに遅れることなく、また其の時を失っては取り返しのつかぬもの、其の時を得ざれば功なく害あるものである。
霊薬も時を経過せねば効を奏せないし、修行も時節到らねば開悟を得ない。 功を急がず、しかも怠らず、其の時を失わず、時々に務め、刻々に勉めて、人にあるものを尽くして天にまつのが人間的歴史であり、実在的時間である。
- 意志は実に時間と親密である。
- 故に歴史は人為でありながら天造の趣きがあり、人為を超越せる如くであって実に人の努力による。
- 長養ということは大事である。
天意に順って無理非道を行わず、或いは力に誇って人為を弄し過ぎることなきを主意とする。
- 二宮尊徳翁は、吾が道は天地開闢の道であるとし、古葉をかき分けて天照らす神の足跡を尋ねると言ったが、これは天神の国土民人創造を直ちに建国の歴史的事業と見たので、天造人為の合一、天道人道の一致、即ち天の道の中にある人の道こそ我が建国であるとしたのである。
而して自分の開墾救民の仕事も、此の天人合一の建国精神に則り、其に参加すると信じたのである。
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posted by Shu UETA at 21:03|
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