各陣営、積極的に街頭遊説に精を出しているところだが、報道を見る限り(あるいは党自身のHPを見ても)、どうも民主党岡田代表の発言というものは脇が甘いというか軽々しくて、味方ならずともヒヤヒヤする。
自民をこきおろしたい気持ちも、民主政権移行を訴えたい気持ちも当然理解するが、もう少し精緻な発言をしないと、あまりにも突っ込みどころが多いというか、反論し易い、あるいは積極的に理解しようと思っても、論旨をめぐって常に微妙に首をひねらされる。
聞けば聞くほど聞き返したいことが出てくるが、当然質問するチャンスもないので、ストレスばかりがたまる。
これは選挙戦に限らず、平素からの彼の性質でもあるのだが、与野党を問わず、一定以上の立場にある議員の中で、そうした人は非常に少ない。その点、きわめて資質が低いように思えてならないのだが、民主党がなぜ彼をリーダーに据えていられるのか不思議だ。(真面目だから?)
この時点で既に民主党の政権担当能力には疑問符をつけたくもなる。
もし彼がリーダーにふさわしいというならばその感性においてそうであるし、思想的に乖離した党内各派の了解を得やすい薄い人間を据えているに過ぎないのであれば、そうした各派の矛盾は政権を担当してこそより噴出するであろうし。
ごく市井のblogを書いていてすら、何をテーマにせよ、もしあることを言えば当然読者が感じる可能性のある疑問等については極力網羅しておこうと思うものだし、定義が曖昧な言葉を無説明に使用することも通常は避ける。少なくともそう努力はされるものだろう。
昨日の川崎での演説では、「日本がアジアで孤立している、外交も民主党にやらせてくれ」と言っている。
外交も民主党にやらせてくれ、と希望するのはよいとして、「日本がアジアで孤立している」とはどういう意味で言っているのだろう。批判するよりも、その意図の把握(推定)にしばらく首をかしげる。
孤立ということの定義にもよるが、一般的に考えて、日本がアジア地域で孤立しているなど、普通には考えにくい。
また、どういう「孤立」なのかわからないにせよ、それが一義的に「よくないこと」と決まるものでもない。(かつての「英国の孤立」は積極的な選択だった)
とはいえ、日頃の言動から概ね推測はできる。
たとえば、過去の戦争問題で日本(小泉政策)はアジア中の反感を買っており、結果としてアジアで孤立している、とでもいったことだろうが、そうであれば、それは実に認識不足、もしくは中韓の代弁に過ぎないのではないか。
「孤立」などということには、現実面と感情面があるだろうが、現実面では、中韓をはじめさまざまなアジア諸国と現に太い経済的パイプで密接不可分な関係にあり、政治的にもあらゆる域内の活動に重要な役割を果たしている。中韓との間でさえ、いかに摩擦ありとはいえ、政治的にもきわめて濃度の高い対話と交流が行われている。この状態を「孤立」というのはいかにも適当でない。
では、より感情面、印象面ということで考えれば、欧州ほどの文化的同一性、政治的均質性を持たないアジアにおいて、どの国が「孤立」だなどと考えることじたい無理があるが(ある意味、それぞれの国がそれぞれに「孤立」しているようなものだ)、敢えてあげよと言われれば、むしろ中国こそがアジア諸国の感情面で孤立していると言う方がはるかに適切だ。
また、民主党HPでは横須賀での演説を紹介し、
「(岡田代表が)『小泉首相は郵政選挙だと矮小化し、国民の目をあざむいて投票に持ち込もうとしている』と鋭く指摘」と意気込んでいる。
だが…
民主制において議員間の政策紛糾に際し国民に是非を問い得るという枠組みの中で、今回の経緯を踏まえた場合に、政府がこれを郵政選挙だということが、筋道にそった当然のことでありこそすれ、何故に「矮小化」になるのか、そしてそのどこがどれほど「鋭い」指摘なのか首をかしげずにはいられない。
むしろ、紛糾にいたった政策の是非を国民に問おうという機会に便乗して、これを政権選択選挙と解釈するほうが、本来そもそもを言えばむしろ拡大解釈と言われてもしかたのないところだ。(いや、これはその論法によればむしろ、ということであって、政権選択を問うことが悪いと言っているわけではない。だから本当は藪蛇なのだ)
今回のこの記事については、僕は民主党のあら探しをして言っているわけではない。(いつも言うとおり、民主党のためにだって良いことではないはずで。誰か何か言ってやれる人は党内にいないのか…)
論戦は結構、しかし、個々の言葉や発言の意味をよくよく考えもせず、ただ相手を罵ればよいということでは、子供の喧嘩だ。
なんとなく悪く言ってやりたい、ということでは困る。
自民側の「郵政選挙」位置づけを批判するにも、他に妥当な批判切り口はあるし、論戦なればこそ、相手が反論しにくい指摘をしなければ。互いに何か(相手を悪く)言い合えばいいということではないのだから。
先日急遽発表の、郵政の「対案」とやらにしても、以来、「100兆円を民間に流すという本当の改革」をやると日々演説しているが、それが「良いことである」というのは国民の共通了解事項というわけではないはずで、その部分を説明説得しなければ、ただ「100兆円」というインパクトだけを狙った軽薄なものと勘繰られても仕方のないところだ。
(これは今日のテーマではないので措くが、例えば今の市場に100兆円もが流入することが本当によいことなのかということも、本来はきわめて重要な論点になるはずだ)
仮にも政権を狙う大政党の代表であれば、もう少し個々の発言(ましてや政見演説なのだ!)に精緻さがほしい。少なくとももし自分が反対派であれば何と反論するかくらいのことは考えないと。それは今、今日からでも実行できることだ。
民主党も、自分たちのリーダーというものをもう少し真剣に考えてもらわなくては、独り民主党だけではなく日本政治の質としても恥ずかしい。
小泉首相は、単なるパフォーマンス屋的に揶揄されることが多いが、きわめて短い言葉でさえも、岡田氏の言葉のようにその言わんとすることをこちらがさまざま推測してみるという必要はあまりなく、かつ、すかさず突っ込みを入れられるような脇の甘い発言も滅多にない。
これらのことこそが、岡田氏がいかに「真面目」「よいひと」という印象を与えながらも、いまひとつその発言が人々の心にしみ通っていかない理由でもある。
しかもこれは発言姿勢の問題であって、自身の姿勢でいくらでも努力できることであり、裏返せば、故にそうした努力のない姿勢が、政治家として上質の人間ではないことを証明してしまっている。
とにかく誰かの批判記事などというものは気分の良いものではないが(書きながら僕とて気分が悪い ^^;)、しかし公人ゆえに批判されるのはいたしかたないものだし、公人ゆえに僕も批判しておかないわけにはいかない。
この事実がすべてを語っているかと。
ちなみに、僕は岡田の言説はもう笑い話のネタにしかならないと思ってますので、最近は、岡田がテレビ等にでると、彼の目の動き(泳ぐことが多い)を観察してます。
そうですよね…
きりがないとはわかっていながら、ついつい指摘せずにはおれないんですよね。^^;)
僕は支持者じゃないからまだしも気楽ですが、ほんと、民主党支持者にせよ党員にせよ、もう少し苦言を呈したほうが、いやせめて助言をいろいろしてあげたほうがいいのではないかと思いますよ。(いや、それをしててあれなのかもしれませんけどね)
この一点だけを見ても(しかも大きな点だし)、民主党を熱心に支持できる心理が僕には理解しにくいです。消極的選択という層はともかく。
彼自身に加えて、党首脳部も無能というか、ネクストキャビネットのメンツをみると、首をかしげたくなるメンバが多いですから。あのメンバを民主若手の生きの良い議員に換えるだけで、多少ましになるのではないかと思うのですが。
う〜む… ある意味、チャンスを活かしきれない民主党かもしれないですね。^^;)
要は議員全般のの資質が低いため、そのリーダも資質が低いと言うことでしょうか?
はっじめましてっ
そういう結論にたどりついたとして、
すると、
結局はそれを選んでいる国民の質、つまりは国の質というところに帰結するのですが、
しかし、すると、
決して例外的というわけではなく数十年にわたりそういう状況があるということは、単純に国民の質の問題というよりも、制度に何らかの瑕疵があるのでは、ということになりますよね。
マクロでみれば、人心というものは制度によって大きく影響を受けるものですので。
と、僕などは常々考えているところです。
それで、「ポスト民主主義」と言わないまでも、「ポスト現行民主主義制度」といったものをさまざま考えているところです。
議員の権利を笠に着て利権(表:今回の郵政法案に対する動き。 裏:個別の予算、補助金等を自分の有利なように曲げる。)を食い物にする事を職業とする利権議員は与野党問わずまだ蔓延っており、政策がまともな議論にならない根元でしょう。
往々にして、与野党問わず、実力者という?古手議員に多い。顔からして、利権議員と言う顔をしている。(亀井、古賀、小沢ーーー)こんな議員が選ばれている限り利権政治は変わらないのでは?
> こんな議員が選ばれている限り利権政治は変わらないのでは?
しかし選んでいるのも有権者、そこで、何か異なるインセンティブが働くような制度を構想したいものだと思います。