2004年09月12日

早期英語教育ブーム

 近年は、子供に対する早期の英語教育熱が凄まじい。
 小学校から、いやいや幼稚園、まだまだ、乳児から、と…
 これは一般庶民のブームだけではなく、文科省までが国策(の自覚はあると思うが)として進めようとしているかに見える。

 今朝の日経には、たまたまその両者の思惑の一端を語る記事がそれぞれ出ていた。

 ファミリー経済「エコノ探偵団」では、国内のインターナショナルスクールの増加と、日本人親の児童入学希望熱について書かれていた。
 インターナショナルスクールとは、都会には昔からあるもので、日本赴任の外国人の子弟のための学校で、準じて日本人の帰国子女が通ったりしている学校である。
 ここに、純粋に日本人であり、帰国子女でもない子供を入学させたいという希望、また実際の入学通学が急増しているという。
 (私が子供の頃も、少数だが既にそうした例は身の回りにあったが)

 理由としては、日本の画一的教育、いじめ問題、ゆとり教育の弊害などもあげられているが、かつ、やはり英語を学ばせるということが大きいようだ。
 私が周囲で聞く話でも、もっともらしい理由は後からつくにせよ、まずは英語が、というところが発端であることが多い(というより、そうでない例を知らないが)。

 記事中では、インターナショナルスクールに娘を通わせる30代の母親は、「子供には海外で活躍する人になって欲しいので、招来は留学させることも考えています」と。(日本の画一的な教育では好奇心がつぶされかねない、とも)

 さて、また同じく今朝の日経社会面では、
 「小学生に”使える英語” 全国にモデル地域」として、
 文科省が来年度から、英語授業に積極的な公立小学校対象に、講師派遣や教材開発等で財政支援する事業開始の記事が。各都道府県でモデル地域を指定、優れた取り組みを全国に広げる。狙いは、小学校段階から子供に「使える英語」を身につけてもらうのが狙い、とのこと。
 (その「子供」が「使える英語」を何に使うのか… ^^;)

 文科省が昨年、「英語が使える日本人の育成のための行動計画」なるものを策定し、小学校の英語教育促進を決めた際から苦々しく思っていたのだが、個人的にはあまり感心できない。

 こうした昨今の潮流に賛同できない気持ちを考えてみると、
 第一に、英語などそう難しいものではないということ。
 第二に、英語教育に意義がないというわけではなく、時間とエネルギーは限られているのだから、他のより必要重要な分野にそれを割り当てるべきということ。
 第三に、英語はあくまでツールであって、ツールを使う目的あるいはツールが必要になるような能力無くして、さほど意味はないということ、
 などが思い当たる。

 まず、英語はそう難しいものではない。個人的感触としては、教育開始を早めるどころか、逆にもっと遅くしてもよいくらいに感じる。
 私個人は、中学時代は英語は常時赤点(当時ある種のポリシーがあり英語嫌い)、さすがに大学の受験勉強で始めたが(一貫校のため高校受験は無し)、その他は特に英語教室の経験もなく、ラジオ講座を愛聴するでもないが、仕事で米国人と話すにも、海外の人々とメールやチャットをするにも、英文献を読むにも、困ったことはない。
 経験から言うと、一般的な大学受験レベルの語彙、文法・構文知識と、あとは洋画でも見て、さらには実際に海外人と会話をいくらかしていれば、文科省が求めている程度の英語力など十分身に付くように思う。あえて言うなら、国語力が支えになっているかもしれないとは思う。
 私に限らず、私の友人で最も英語に堪能な者についても同様だ。
 幕末から明治期の海外への留学生たちも、ほとんど全く話せない状態で海外諸国に飛び込み、相当なレベルの学問を修めて帰国している。
 ちなみに森鴎外などは、ドイツ語その他言語を容易に習得できた理由を、幼少時の素読教育が大いに有効と語っている。
 国際言論人の草分け的な新渡戸稲造も、小学校や中学校相当時から英語を学んだりしたわけではない。
 英語が話せるどの非英語圏の人も言うように、英語はきわめて表現解像度の低い言語であり、文法も発音も単純、まさに国際的コミュニケーション・ツールになるためにあるような言語だ。
 あえて低年齢から始めるメリットとしては、将来の発音の流暢さに多少資するところがあるかもしれないという点か。つまり、海外で俳優にでもなりたい、しかも英国米国人のネイティブの役を演じたいというなら、価値がある。

 次に、さすがの私も、そうした小学校からの英語教育に意義がないとは思わないし、ましてそれ自体は害だとも言わない。
 しかしながら、何事も時間とエネルギーは限られており、何もかもというわけにいかず、優先度に従って割り振っていかざるを得ないとした場合、英語をやるどころか、日本語の国語や算数でさえ現在十分な時間とエネルギーが不足気味である。
 文科省は、現在から将来にわたり深刻な問題となりつつある学力低下の問題と、小学校から英語をやる必要性とをどう天秤に掛けているのか非常に疑問である。
 また学校の外においても、同様である。「海外で活躍する人に」というが、例えばイチロー選手が、子供時代野球にかけていた時間と費用、エネルギーを英語学習に割いていて、今日の彼があるだろうか。野球選手が極端な例としても、では、他のいかなる世界で活躍している人をとらえても、多くの場合同様だろう。

 それから、やや重複するが、先のイチロー選手の例に見られるように、「世界で活躍」などというのは、英語ができるから活躍しているのではない。
 これもやはり、野球選手でなく、どのような人でもそうではないか。英語ができるために世界で活躍している人といったら、真に世界で活躍している人の通訳としてその人に引っ付いている人くらいだろう。
(英語がペラペラのアメリカ人2億数千万人が皆世界で活躍しているわけでも、もちろんない ^^;)
 つまり、英語はあくまでツールに過ぎず、それ以前の何ものかがなければ、国際的活躍などとは関係ない。
 国家レベルで見ても、例えば東南アジアにも英語を公用語とする国々があるが、国際舞台において日本がどのようにそれらの国々から遅れをとっているだろうか。実際にはむしろその逆であるのは、英語力以前の差によるのではないか。
 もちろん、より高度なレベルで、例えば外交官の英語力不足による微妙な誤訳や誤ニュアンスなどからくる大小の危機等はあるだろうが、それはより高い英語力の話であり、小学校で英会話をやったかどうかなどではなく、大きくなってからの勉強量の問題である。

 こうした諸々の思いで、今日の潮流を危惧している。
 ただでさえ、ゆとり教育とやらでダメージを受けている学校教育からまた英語教育に時間を割いてさらに子供の学力不足を助長し、また家庭は家庭で、英語力あるいは個性伸長などといってインターナショナルスクールに児童を入れるなど、不安視せずにはいられない。
 (ちなみに、現行においては、義務教育期間にあって正規の小学校中学校に就学させないのは一応違法である。記事にも指摘あり。)

 最後に、主論から外れる点についても。
 さきのインターナショナルスクールの記事中には、日本の教育は「画一的」「好奇心つぶす」「個性育てない」といった親の声も紹介されているが…
 世界的にみても日本は、科学技術をはじめとする学術、産業技術、芸術等々で十分に独創的成果、創造性を発揮している国のひとつである。
 アインシュタインが独創的であるからといって、彼を育てた国の国民全員がアインシュタインになれるわけではないのと同様、あなたの子供が個性や独創性を欠く大人になったとしても、必ずしもそれが日本の教育制度のせいかどうか…と言ってみたい ^^;)


posted by Shu UETA at 09:35| Comment(4) | TrackBack(1) | 天下-教育・科学・文化 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
こんないい記事にどうしてコメントがついてないんですか?
というわけで、より「早期英語教育」に沿った記事(ものすごい古かった…申し訳ございません)をTBさせていただきました。
コメント欄に、近くのインターナショナルスクール児童の「惨状」が書かれていますのでそちらもよかったらお読みください。

丁度「英語を第二公用語に」と言われていたころの記事だと思います(今は中山氏になりましたので、そんなことにはならないと信じています)。かなりその当時危機感を持ちました。英語はするけど鴎外漱石は国語から外す、なんて!!

わたしも「言うべきもの(こと)」がなければ、道具だけ使えても意味がないと考えるひとりです。
そのためには、まず思考力。そして思考力を養うためには、母国語のマスター。
斎藤孝さんの塾に通わせたい(素読などをするそうです)とは思えども、英語塾に通わせたいなどとはみじんも思いません。

私も、ちょっとですが大人になってから英語とドイツ語を覚えましたし、夫がとにかく英語とドイツ語をマスターしたので、どこをどう見てもまず「早期教育」ではなくて、「理解力」「思考力」が先だろうと思います。
そして、それを理解しない親とその子供(現に学力が低下している)に、非常に危惧を感じています。
少なくとも娘に対してそういう教育はすまい、と強く今は思う次第です。
Posted by ぶんだば at 2004年12月09日 13:25
> ぶんだば さん

 過分なお言葉、恐縮です。
 僕は、ぶんだばさんのようなお母さんの存在に、実に心強い思いがします。

 斎藤孝さんには、僕も常々共感するところが多いです。

 近頃、子供(大人もか…!?)の抽象的な思考力の低下を懸念する声が大きいですが、仰るとおり、思考とは言語によって行うものであり、言語能力の低下があれば、それはそのまま思考力の低下に帰結するだろうと思います。
 僕の好きな数学者に岡潔さんという方(故人)がおられますが、彼も、繰り返し著作で国語教育の大切さを訴え、現代の当用漢字における抽象語の少なさなども危険視しておられました。

 こうした問題に関しては、そうのうち何か大きい動きをつくっていけたらと思います。
Posted by Shu at 2004年12月09日 14:32
岡潔氏の著作に直接触れたことはないのですが、最近読み始めた藤原正彦氏が下記にて触れられています。
http://www.1101.com/watch/
と、こうやって広がっていくんですね。おもしろいですよね!

私は国語学徒なので、特に日本語にはうるさいんです。そして海外に住んだ経験から、外国語をマスターするよりも、日本について知ること、そして「言うべきことを考える力」こそが必要なのだと学びました。所詮外国語は外国語。ニュアンスまでは絶対に母語でない私たちには読み取れないのです。

斎藤孝さんは、選ぶ文学が私と好みが合わないんですが(^_^;)あとは考え方などはとても好きです。娘はまだ二歳なので、当分彼の塾にはいけませんが、とにかく最初のうちに、日本語を知る事は愉しいということを教えていけたらいいなあと思っています。
Posted by ぶんだば at 2004年12月11日 04:03
> ぶんだば さん

 藤原正彦さん!彼も好きなんです ^^)
 サイト紹介ありがとうございました。早速見てきましたが…、彼も多少岡潔さんの影響を受けていることを初めて知りました(数学者どうしですから、あり得ることですが)
 もうひとつ、藤原さんが新田次郎氏のご子息だとは知りませんでした。驚きました。僕は新田次郎氏も大好きだったので。(既に廃刊なので古書店や図書館でしか見つかりませんが、新田次郎氏の「新田義貞」上下巻が僕は特に好きです。新田義貞公は、僕がその遺志を継ぎたいと思っている人物の一人です。先祖でもあるのですが ^^;)

 藤原氏の文章は、ひとつ、僕のblogでも紹介したことがあります。よろしければご覧ください ^^)
 http://rainy.seesaa.net/article/421077.html

 岡潔氏は、函数論で世界三大難問とされたものを解決した人物ですが、紹介いただいたサイトでの藤原氏のお話同様、情緒ということと数学的発見の関連について著作に述べておられます。また、岡氏は、子供の教育に並々ならぬ情熱と方法論を示した人でもあります。いずれ機会があれば、ぜひ目を通していただければ、ぶんだばさんには共感されることも多いのではと思います。
 「情緒の教育」燈影舎 ISBN4-924520-44-6
 「日本の国という水槽の水の入れ替え方」成甲書房 ISBN4-88086-163-4
 などがあります。^^)

> こうやって広がっていくんですね。おもしろいですよね!

 同感ですっ
 これぞ良きネット文化ですよね!
Posted by Shu at 2004年12月11日 17:20
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Tracked: 2004-12-09 13:16
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