2005年08月10日

一期一会


 昨夜の「江原啓之スペシャル 天国からの手紙」を僕は録画していたんだけれど(ロッテvs日ハムを優先して観たから)、それを今日になって見ていた。

 正直僕はこのシリーズが好きなんだけれど、江原氏とやらに果たして亡くなった人々の霊などが見えるのか、交信などできるのか、はたまたそもそもそのような何らかの死後の世界などがあるのかどうか、そうしたことはまあどうでもよくて、これを見るたびに、僕は人と人のコミュニケーションということを考えさせられる。
 そしていつも、悔しいが涙が止まらないハメになる(この点、一人暮らしは助かるよ、本当に ^^;)

 江原氏にそのような能力がなかったとしても、その言うこと、言葉には、何らかの人間関係の真実がある。
 僕ら視聴者ではなく、番組内の依頼者家族に対しても、京極堂ではないが、いずれにせよ何か憑きもの落とし的な意味では大きな意義をもった役割を果たし得ているのだろう、超常能力などを持っていなかったとしても。


 「問題は、生きてるときに、日頃、どれだけ真剣につきあっていたかということ。あいつだったらこう言うだろうな、もしあいつがいたらきっとこう言うだろうな。そういうことが本当に大切なんです」

 「当たり前なんだけど、やっぱり言葉で伝えることって大切なんですよね」

 と、江原氏は言う。

 そして、残された家族たちには、いつもたいてい、亡くなった家族に、言いたかったけど言ってなかったこと、がある。
 ちょっとした憎まれ口も、「すぐに撤回できると思ってた」「いつでも謝れると思ってた」と。
 それは亡くなった人も同じ。

 しかし僕たちというのは、明日も自分が生きていると、明日も彼が彼女が生きていると、なぜかそう思いこんで暮らしているけれど、本当に、そんなことはわからない。

 一期一会などというといかにもありきたり、
 だけど、本当に、僕はそうした気持ちで僕の人たちと接したいと、思わずにはいられない。
 家族でさえ、朝別れて夕方にまた一緒に団欒できるとは限らない。
 まして恋人や友達と、また元気に逢えるということは、それ自体本当にありがたいことなんじゃないのか、と。

 何のことはない、そして自分自身、誰かとのことなんて関係なく、今日家を出てまたここに戻ってこれるなんて、少しも決まっていやしない。
 誰かとのことも、そして自分の人生についても、結局は一瞬一瞬を真剣に、真摯に取り組んで、味わって、見つめて、撫でて、大切にして、かわいがって、そうやっていきたいなと、こうして時々あらためて思う。

 それは仕事についても同じなんだろうなと思う。ましてそれがライフワークのようなものであればなおさら。

 近道はいつだってある。小賢しい手練手管も、ものは方便ということも、クレバーなやりかたということも。
 猪口才な真似をしても、方便を使っても、誰しも、これは今回限りはやむを得ない、いつでも正道には戻れる、信念ならちゃんとある、そう思う。
 しかし、例えば、本当に今、明日にも自分が死ぬとしても、それでいてなお後悔することはないのかそれは、というと不安になることもある。
 皆んな、まさか自分が去っていくことなど考えていない。ここをしのぎさえすればいつでもフォローできる、いつでも信念にもどれると、そう、無意識に前提している。

 小泉さんは「死んだっていいんだ」と言う。
 軽くパフォーマンスととる向きもあるが…しかし、もし今自分が死ぬとしても後悔なく恥じもしない道とは、小泉さんにとっては今回のような行動しかあり得まい。

 小泉さんの内心はわからない。
 江原氏の能力が真実どうであるかも知ったことではない。
 しかし、僕は僕自身に都合のよいように現象を解釈すればよい。
 僕にとって意味のある解釈は、こうして彼らの言行を自分の身にあてて考えることだ。
 そうすると、僕には、反省すべきことが、たっくさんある。
posted by Shu UETA at 18:57| Comment(2) | TrackBack(0) | 思索 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
そうですね。私のネット上の友人に占い師をやっている男がいるのですが、彼なんか、いかがわしいことをして金を儲けているって非難されるんですけど、私はそれで救われている人がいるんだからいいじゃんと思いますね。
死んだ人に対する後悔、あの時もっとああしてやればよかった、もっと我侭を聞いてやればよかったとか、死人を出したことのある家族ならば必ず大なり小なりそう思い悩むはずです。
でも、きっとそういうことももし霊魂があるならばにっこりと受け止めてくれているのだろうと思います。家族なんだから。死んでも永遠に。
そうした救いにちょっと背中を押してやる、世の中にはそういう仕事も確かに必要なんだと思います。
Posted by standpoint1989 at 2005年08月11日 22:14
> standpoint1989さん

 さすが、おつきあいが幅広いですね ^^)

 このあたり、まさに京極堂の、霊能力者と超能力者と占い師に関する話を思い出しますね。

 しかし、
 葬式というものもそうでしょうけれど、亡くなった方についてのさまざまな思いだとか後悔だとか、そしてそのために霊とか何とか言っても、まず、残された人々の側の心の問題が第一にあるんだと思います。

 そこを見てあげることができれば、霊とか超常現象がナンセンスだの何だのと口角に泡することよりも何かもっと大切なこと(民主党スローガンみたい ^^;)というのは確かにあるでしょうね。

 standpointさんは、非頃の快刀乱麻振りも好きですが、こうしたことを仰る一面も僕は好きですね。^^)
Posted by Shu at 2005年08月11日 22:44
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