2005年08月07日

mixiのコミュニティ機能


 最近ここでしばしばSNS・mixiの話題に触れている。
 本来ならばmixiという閉じた空間の話はその空間の中ですればよいのだけれど、僕はmixiの日記機能を使わず、mixiでもこのblogを表示するようにしている(かついずれか一方しか選択できない)ので、少し迷ったけど、この話もある程度はmixiに限定されない面もあるので、あえて書いてみることにした。

 それは、mixiの「コミュニティ」機能について。

 mixiに入っていない、あるいは関心がないという人には申し訳ないけれど、多少は面白い話でもあるかもしれない。
 (関心はあるが現在招待されていない、しかしどうしても入りたいという人は、僕にメールください)

 mixiには、「コミュニティ」という、さまざまな、膨大な数のテーマに関する掲示板機能があって、「参加」を選ぶことによって、その「コミュニティ」のメンバーということになる。
 これは、一見、かつてのパソコン通信における、例えばニフティサーブの「フォーラム」のような、あるいは参加だのメンバーだのということを除いて掲示板ということでは2ちゃんねるのような、そうしたイメージもあるが、実は、これらとは全く異質の機能があり、むしろそれこそがmixiにおける「コミュニティ」参加の意義となっている。
 ということに、僕も最近気づいた。

 実は僕は、紹介されてmixiに入ってからかなりのあいだ、ほとんど放置していた。
 好奇心のある僕のことなので、最初はいろいろコミュニティ(以下、「コミュ」)も見て回り、面白そうなものもいくつか見つけたものの、どうもあまり惹かれなかったのだ。

 その理由は、
 まずひとつには、コミュには実にくだらないテーマの面白いコミュから、ある程度真面目なテーマのコミュまであるのだが、いずれにせよ、必ずしも多くのコミュで、さほど熱心な議論のようなものが行われているわけではないということだ。

 コミュによっては、書き込み自体が、月に数件しかないところも多い。しかしそれでいて参加メンバーはすごく多かったりする。

 あるいは、はなから何かを話し合ったり情報交換できるようなテーマではないコミュも多い。しかし参加者はたくさんいる。
 例えば「寝るときは横向き」というコミュで、何の情報交換があり、何の話し合いがあることか。^^;)

 僕は多少首をひねりつつも、とりあえず、「国際安全保障を学ぶひと」だの「保守主義」といった真面目なテーマのコミュや、僕が大好きなテレビの「どうでしょう」と、「どうばか@関西支部」のコミュ、そしてファンとして「千葉ロッテ・マリーンズ」や「The Police」のコミュ、に入った。

 しかし、いずれも、とりたてて積極的に参加する何かがあるわけではない。
 最初の二つなども、テーマは立派だが、何か有意義なことが話し合われているわけでもない。たまにバラバラと単発的な書き込みがあるくらい。

 もちろん、とりたてて面白いわけでもなく、mixi自体に友人が多く参加していたわけでもなく、僕はすぐに足が遠のいた。

 しかし、この時点で僕は大きな勘違いをしていた。
 「コミュ=フォーラム」的な、議論や意見交換する掲示板としてコミュを見ていたのだが、これは、よくある、知らず知らずに勝手な自分のイメージで物事を見るということだった。

 mixiにおけるコミュは、むろんそうした機能も持っているし、そのように使っているコミュもあるが、しかし、それはあくまでもメインではない。むしろ、名刺機能、自己表現機能こそが、(mixiのそもそもの意図はどうあれ)参加者によって受け入れられているメイン機能なのだ。(これも参加者個々の自覚するとしないとを問わず)

 僕は(しばしばそういうことがあるのだが、そしてそれに素直に従うのだが)、最近になって、ふと虫の知らせというか、気が向くところがあって、再度、素(す)からmixiを遊びに行ってみることにした。
 せっかくなので、ひとつには、仲間や友達を増やしたいなという観点をもって。

 そこでいろいろコミュものぞいてみて、多少の書き込みをしたり、いろんな人のページも見に行ったり、ということをしているうちに、上記の重大な誤解に気づいたわけだ。

 各コミュのページに行くと、「参加」というのをクリックすることでメンバーになるのだが、「参加」という言葉ゆえに、それをフォーラム的なものと考えると多少の敷居というものがある、そこで、「参加するほどでもな…」という躊躇もあらわれる。
 僕の友人でも、いろいろ見て回っているようだけれど結局一つ二つしか入っていないというやつも多いし、その入ったものをみると、実際にそのテーマで彼が話をできるようなもの、関心が深いものに厳選されている。

 この「参加」というから大袈裟なのであって、実は、多くの一般的なmixiユーザーの意識の中で、この「参加」とは、文字通りの「参加」のほかに「表示」という意味が非常に大きくある。

 mixiでは、コミュに参加すれば、自分のページに参加コミュが表示される。しかも、それは各コミュのトレードマーク的な小画像(正方形のバナーと思えばいいだろう)がきれいに並ぶ形で表示される。

 いま奇しくもバナーという表現をしたけれど、「表示」という意味ではまさに「バナー」なのであって、この「表示」という意味では、そのコミュに参加することは、なにもいちいちそこでの情報交換に参加したり議論したり、何かを書き込もうなんて意欲とは関係ない。
 はなからそんな気などまるでなくとも、自分のページにコミュのバナーが表示されることで、「自分は国際安全保障を勉強しています」ということや「自分は○○高校出身です」だとか「自分はロッテファンです」「自分は寝るときは横向きに寝ます」「彼女はAB型です」とか…そういう一種の自己表現ができるわけだ。

 現に、(mixiの会員ならわかるだろうけれど)そうでなければ考えられないコミュというのが実は大部分だ。
 「その他」というカテゴリなどを見ていくと、コミュの名称自体が既に何らかの宣言の形になっているものが実に多い。

 「禁煙しません」もあれば「禁煙します」もあれば、「喫煙は法律で禁止すべき」だってある。
 そこでさほどなにがしかの有意義なことが話し合われているわけでもない。

 よくHPで、ちょっとした主義主張を表明するバナーをつけたりすることがあるけれど、まさにそうした機能を持っているのが、mixi内におけるコミュの表示だ。
 この機能があるということ故に、パソ通のフォーラムや各種掲示板システムとは全く異質なコミュの特質が生まれてくる。

 そう考えると、皆が気軽にばんばん「参加」して自分の参加コミュを増やしつつ、かといってその大部分にさほど、あるいは全く、参加していない状況の理由がわかる。
 また、コミュの画像がカッコいいから参加するとか、テーマは興味あるけど画像がカッコ悪いから参加はやめておくとかいうことが語られているのもうなづける。
 (僕自身、自分のページにこれが出るのはちょっとな、ということが、テーマだけでなく画像についてもある)

 mixiはやはりまさにコミュニティなのであって、人と人の交流、友達の友達との出逢い、新たな同好の友人づくりといったことがテーマなのであって、その際に重要なのは、「名刺」たる自分のページであり、人のページを見るときには、その人が自身で書いたプロフィールの文章もさることながら、その人のページにあるその人の参加しているコミュを、いわば主義主張や関心を表すバナー的なものの集合として見る、そしてどんな人なのかというイメージを持つ。
 逆を返せば、だから自分のページがどのようであるかということが意識され、自己表現ということが意識される。すると、自分はこうなのだというコミュを置きたくなるし、自分のセンスにあわない画像はイヤだという心理も生まれる。

 人間の根本は自己表現ということであって、生きる意味も自己表現にある、さらに言えば、生まれてきた意味すら自己表現にあるというのが僕の信念だ(このblogでは「words」カテゴリでの古い記事にしばしば表出していたと思う)が、ネット社会ではここ15年来、自分のHPづくりということがあり、近年ではより簡易にblogということがあり、個人の自己表現ということが(良きにつけ悪しきにつけ)存分にできる環境ということもネット社会の特徴だと思う。
 SNS、たとえばmixiは、それをさらに容易で記号的な形で楽しめるという点で、多くの人を引き込んでいるという面もあるのではないだろうか、と最近思っている。(そもそもmixiの開発者の意図がそこまで及んでいたかどうかはともかく)

 しかしもちろん、やはりコミュは議論機能も情報交換機能も持っているのであって(ただし議論機能は弱いと思うが、しかし情報交換機能は強いといえる)、人それぞれ、表示的意識のコミュと、情報交換意識のコミュという使い分けがあるようだ。

 僕も現在では30近くのコミュに「参加」ということにしているが、そのうち、自身が書き込んで積極的に参加しているのは二つくらい(少なすぎるかもしれないが ^^;)
 そして、ROMとして読むことで情報源としているものが、5つ前後。(これは、自分が答えれる質問があれば書き込もうというくらいの意識はあるが)例えば、僕であれば「神戸市東灘区」コミュや「芦屋市」コミュといったもので、美味しい店の情報やどこの病院がどうだったとか、そういうことを読んでいる。
 その他の大部分は、少なくとも今のところは、軽くいえばファッション、もう少し真面目にいえば「宣言」であり、一種の自己表現だ。

 僕は青色がすごく好きなので「blue」というコミュにも入っているが、そのコミュでは文字通りに書き込みは皆無だ。誰も何も書き入れてない ^^;) だけど、その青い画像、青が好きだというコミュを表示するためだけに、多くの人が「参加」している。例えばこれは象徴的な例だ。つまり「参加」とは「宣言」であり「表示」に過ぎない例。

 あるいは、僕がロッテファンのコミュに入っていて、それが表示されているだけで、そのコミュに何ら積極的に参加していなくとも、僕のページに来た人は僕がマリーンズファンであることがわかるのであって、そこにはそれで既に同好の人との交流の可能性は生まれる。

 しかし平素読むだけのROMを決め込んでいるコミュでも、記事を読んでいて面白そうな人がいれば、気軽にその人のページを見に行く。そこでさらに興味を持てば、その後何度か行くかもしれない。
 すると、mixiの「足跡」機能によって、相手は僕が来たことがわかるから、相手も僕のページを見に来たりする。
 そこで相手の日記が面白ければ、何かコメントしたりもする。
 そうやって、交流の幅は広がっていく。それが、mixiだ、というよりSNSだろう。

 そうした交流の可能性が幅広くあるのだが、しかしその際に大きな判断要素となるのは、つまりその人がどんな人なのかということをどれほど感じ取れるかは、その人のページの情報量による。
 その情報としての価値の多くを、参加コミュ一覧もが担っている面もある。

 自分のページに情報がないということは、原理的には、そうした他者からの関心を拒絶しているということに(そのつもりはなくとも)結果的にはなり得るだろう。しかし、プロフィールの文章などを立派に仕上げなくとも、誰であれ、その人の友達(マイミク)やその人の参加(表示)しているコミュの一覧で、ある程度、あるいは下手な文章以上に、自己を表現している(してしまっている)ことになる。

 して「しまっている」ということについては、それ故にコミュ参加を躊躇することもある。
 面白そうではあるが、それがバンっとページに表示されては誤解を招きかねないようなコミュタイトルもあるので ^^;)
 しかしその場合には、単に「お気に入り」に入れておくという手がちゃんとある。


 文中何度も僕は「開発者が意図したかどうかはともかく」と書いてきたけれど、これが完璧に意図的だとすれば、たいしたものだと思う。
 どのような道具、ツールであれ、それぞれに長短、使い道ということがあるものだけれど、mixiのようなSNSも、ネットワークコミュニケーションのただ新しい媒体というだけでなく、それ相応の特徴というものを踏まえれば、用途によって他と使いわけるツールのひとつと言える面もある。

 僕もまだこれを使い倒しているようなヘビーユーザーではないが、現時点での僕の感触としては、通常の掲示板や自身のblog等に比べて、特定の興味の対象というより、より全人格的、総合的興味傾向を踏まえての、友人づくりに向いているような気もする。(もちろん相対的強弱であって、それは他でもできるし、逆に特定興味につっこんだ同好の仲間をmixiで見つけることもできるだろうけれど)
posted by Shu UETA at 23:45| Comment(4) | TrackBack(0) | 思索 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
なるほど!!

僕は「マイページの『コミュニティ一覧』に表示されるコミュを任意に選択できたらいいのになあ」とぼんやりと思っていたのですが、なぜ自分がそのようなことを思っていたのかが記事を読んで解りました。自分がどのコミュに参加しているかを表示するのは「自分はこんな人間ですよ」というメッセージを送ることだったのですね。

初対面の人物同士が最初にする会話は、たいていお互いの共通項を(趣味、出身地、所属など)探す目的でなされると聞きますが、mixiにマイページを設置することはその作業の情報発信側を自動化していることになるわけで、友人探しにはうってつけですね。面白い。
Posted by at 2005年08月09日 00:30
> 暁さん

 散々スカイプで話した後でわざわざここでコメント往来するのもなんですが、あはは ^^;)、でも確かに、mixiのコミュには通常の意見交換や情報交換の他に、そうした宣言的、自己表現的意味が、自然発生的であれ生じていますよね。
 そう気づくと、参加者たちの振る舞いが非常に腑に落ちるんですよね。
 無論、いくつか少数のコミュで実際的参加をしているという前提なくして交流は広がりにくいとはいえ。
Posted by Shu at 2005年08月09日 09:03
今日はコメントDayということで、立て続けのコメントですみません。この記事も前から気になっていたもので(^^;)

まずは暁さん、お久しぶりです。お元気ですか?

さて、コミュニティ機能がもっている役割に関してのShuさんのご意見ですが、なるほどと納得させられました。と同時に、僕の指導教授が、こういう現象を“iconization”と呼んでいたのを思い出しました。自分自身のiconとしてのコミュというのは、至ってネット的であると同時に、現代的でもあると思います。

僕を含めて、現代の若者は自分を表現するために服装やアクセサリーなどの手段を使いますが、特徴的なのはそれをiconとして使っているところだと思います。それはiconであるから、初めから相手に自分を特定させることを目的としています。他人はそのiconを見て、「あぁ、こいつはB系だな。」とか、「この人は裏原系なんだ。」とか判断するわけです。mixiのコミュも、同じ意味でiconなのかなと思いました。

ただiconは、きっとそれだけでは本当の自己表現ではないんですよね。mixiでも、自分のページに表示されたコミュというiconから始まりつつも、如何にそこに留まらないかというのが重要なのかも知れませんね!

長文失礼しました m( _ _ )m
Posted by yt at 2005年08月11日 23:38
> ytさん

 なるほど、iconizationとは実に腑に落ちる表現ですね〜

 仰るとおり、mixiのような場に限らず、いまどきの自己表現感覚って、そうした「お約束」的了解事項としてのiconizationというものが非常に顕著ですよね(よくも悪くも)。

 なんだか西洋宗教画や仏教彫刻の「様式」みたいですね。^^;)
Posted by Shu at 2005年08月12日 00:38
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