2005年08月02日

脅威観と防衛力整備構想


 本日の閣議で、防衛庁長官が05年度版の防衛白書を報告したとのこと。
 中国の軍近代化に警戒感 自衛隊海外展開推進 防衛白書(朝日)他

 新防衛大綱では、安全保障の基本的な考え方として、いわゆる「二つの目標と三つのアプローチ」ということを明示しているが、それはすなわち下記のとおり。

 <目標>
 @わが国に直接脅威が及ぶことを防止し、及んだ場合にはこれを排除するとともに、被害を最小化すること
 A国際的安全保障環境を改善し、わが国に脅威が及ばないようにすること
 <アプローチ>
 @わが国自身の努力、A同盟国との協力、B国際社会との協力

 僕はこうした基本構想を実に妥当なものであると支持している。

 さてそこで、こうした基本的考え方で言及されている「脅威」ということについて少し考えてみた。
 僕は、今日日本が主たる想定とすべきものは、@国内特殊工作等 A弾道ミサイル B島嶼紛争 C国際テロ、であろうと考えている。
 一方で、先日、後輩のメールを読んでいて、こうした分野における警察力と防衛力の境界の曖昧さということについて、再度考えさせられもした。

 今日現在の国際状況、周辺国状況においては、わが国全般を侵攻、支配下に置こうといった他国の侵略はきわめて蓋然性が低い。
 まず周辺国においては、その能力的可能性においても、意図(国益)においても、その両面においてそうしたことは考え難い。

 (ただし、近隣国以外に、きわめて長期的潜在的な蓋然性の中では、その両面において可能性をもつ国がただひとつ存在する。これがどこの国を指すかは皆さんご明察のところだろうが、今日のテーマではないので措く。が、故にこそその国との関係ということには常に馴れず緩まず、戦略的対応が必要だ。特に長期的には、経済的要因に特に注意が必要だろう)

 さて、そうした侵略の蓋然性が低いとして、ではどのような侵攻態様が想定されるべきか。

 まず中共及び朝鮮については、米国を相手とする場合の、米国の同盟国としての日本攻撃ということが想定し得る。

 この場合の攻撃趣旨は、@日米離間、日本の厭戦を狙うこと A日米の戦力発揮基盤を破壊し、戦力削減を図ること、であろう、日本の国土に対する支配欲ということとは無縁だ。戦略眼的にいえば@は意図、Aは能力を対象にしている。心技体でいえば、@は心を攻める、Aは体を攻めるということもできるだろう。

 こうした言い方をすると、さも米国が日本の危難の原因であるかのように短見されるおそれもあるが、使い古された表現によれば「日本は盾、米国は矛」ともいうとおり、日米共通の利害に対する役割分担によるに過ぎない場合が多くなる。
 たとえばそれは台湾海峡有事であり、北朝鮮の核武装であり南侵であり、といったさまざまなケースが考えられる。

 そこでこうしたわが国攻撃態様がどのようなものになるかというと、
 @においては、要は日本人を心理的にへこますことであり、正義よりも善悪よりも、損得、命あっての物種だという方向へ向けることであって、今日の日本人気質からすると、いかなる国よりもそれは容易であると観察されているだろう。
 ここでは軍事的合理性よりも、国民心理的インパクトということが重視され、多分にテロ的な手法が採用されるとともに、弾道ミサイル等の使用も考えられる。(一方でいわば正攻法ともいえる航空機侵攻や陸軍部隊の着上陸ということは考えにくい。目的に比して軍事的合理性を欠く。つまり「わりにあわない」はずだ)
 攻撃対象は、人命であり、生活インフラであり、さらに、何がしかシンボリックな事物になるだろう。(さらに金融をはじめとする各種経済・社会・行政システムに対するハードキル、ソフトキルもあるだろう)
 さらに重要なのが、これと並行して行われる、反米、反政府、反戦等を中心とした騒擾の惹起である。

 Aにおいては、米軍基地、自衛隊基地、産業基盤、軍事利用可能な空港・港湾設備、陸上交通結節等の破壊がテーマとなり、ここでは各種の手段が想定されるが、ここで前提としている近隣国の特性からすると、中でも特殊工作的なもの及び弾道ミサイルが主力手段となるだろう。
 なぜならば、まずコスト、費用対効果(必ずしも経済的意味のみでなく)的にも、能力的可能性においても、例えば航空機による航空侵攻や、海上を侵攻しての大規模着上陸作戦などは、彼らの能力においては全くわりに合わないし(こうした正攻法では自衛隊の戦闘力、練度は無視できない。しかし鋭鋒は避くべしというのが常道だ)、目的に照らしてもコスト過剰となる。
 そこで、特殊工作活動とミサイル攻撃を主としつつ、いくつかの要所に最低限、通常的軍事力を指向するということになるのではないか。

 さて、仮にこうした仮説を前提にするならば、ここでは実は自衛隊にできることがきわめて限定されるということに気づくだろう。
 自衛隊の対処し得ることは、ミサイル防空、基地防衛に限定されるといっても過言ではない。(各種施設等の警備は陸上自衛隊が対処能力を有するとしても、標的が明らかでない限り、単純に数の点でカバー不能、かつ国情特性から、脅威が顕在化してからの派遣となり、間に合うことはなかろう)
 他はほとんどが、公安、警察の範疇となる。

 ただし、基本的に軍の工作部隊と警察では、仮に警察が捕捉、対峙に成功しても、武力的に警察に勝ち目はないだろう。
 敵が一定の規模であれば多数の警察であれ無力であろうし、敵が単数もしくは少数であっても、これも事前に標的が明らかでない限り、実際に現場を発見することになるのはその区域を割り振られた少数の警察官に過ぎないということになるだろう。

 しかし、警備的事項に自衛隊を使用することに対しては、まだまだ政界においてすらアレルギーが強い。
 原発の警備計画策定において自衛隊の出動を構想した際に、当時自民党の野中氏が「一生懸命やっている警察に失礼だ」などということを声を励まして言っていたのも記憶に新しい。

 仮に警察が大々的に自衛隊とタッグを組んで対処するとしても、基本的には、既に国内に浸透している工作員の活動を掣肘することはきわめて難しい。

 そこで例えば日本海側の原子力発電所などが大々的に防護対象として取り上げられ、さまざまに対処計画なるものが練られているが、多少厳しい言い方をすれば、それは日本側の単なる現実逃避と自己満足に過ぎない面も多々ある。
 つい先日には福井、鳥取両県の対処計画が閣議決定されていたが、かの計画も、こうした意味ではある種の勘違いに基づいている。

 まず第一に、工作員はその時に来るのではなく、今日も既に常に国内に浸透し、長年にわたり営々と活動基盤を固めてきている。各種の破壊工作も定期的に実地演練を行ってもいる。
 「日本海側」などということに何らの意味もない。
 (もっとも、有事が近づけば大規模な増援が分散的波状的に行われるだろう。それを水際で防ぐだけの監視態勢、情報態勢を整備しておくことには意味がある。ただしおそらくは、わが国当局が情勢緊迫を発令し、情報活動強化を発令するよりも以前に、こうした活動は行われるだろう。故に平時の態勢こそが肝要だ)

 第二に、原子力発電所は、その電力供給量からも、また破壊による周辺被害の規模においても、なるほど上記@Aの目的に適うだろうが、原発施設の破壊などということは、一般に想像されているほど容易なことではない。施設外部から工作員が使用可能な兵器で攻撃破壊するのはかなり困難であり、もしこれを必達任務とするならば、それは内部への浸透ということを考えるだろう。(そしてそれに対する努力も今日平素から行われていると見るべきだ)この場合には、有事の「数による」原発警備など大した意味を成さぬだろうし、また、そもそもそれら有事警備を相手にしてまでその原発を破壊しなければならないほどの理由は敵にはない。

 実に悲観的な話をしているようだが、しかしこうした脅威の想定からも、僕は国防省の設置整備が本来であれば必要であろうと思う。
 上述に見たような想定では、自衛隊と警察の担任範囲の境界が非常に曖昧となる。かつ、そこでの縄張り争いは文字通り日本の死活問題になる。

 また、先に少し言及した、「騒擾惹起活動」というものは、ある意味で武力攻撃よりも破壊的なダメージを国家に与え得るものだが、たとえば敵のこうした活動への対処ということは今日の日本ではほとんど有効に対処が検討されてはいない。
 一方で近隣国は、こちらでも営々と長年にわたり準備を進め組織を整備しているのであって、こちらについては、各種の左翼系、あるいは今日では市民系の各種政治的活動などでその氷山の一角を現に目の当たりにしてきてもいる。
 たとえば教科書採択をめぐる一部教科書の採択阻止活動などは、明白に海外勢力(それも訓練を経た情報戦要員を含む)の活躍が目立つのであって、本来であれば、今日のテーマのような視点からも注視しておかねばならないことだ。

 こうした、防衛と治安・警備ということは今日ますます脅威の態様として不可分化がすすんでおり、そうした事態に対する対処企画を各省各機関横断的にコーディネートする組織の必要性が高まっている。
 防衛庁は、基本的に武力事態のみを対象とすべき組織であって、国防ということを総括的に構想する(それが許される)組織ではない。
 また、仮にそれが許されるとしても、いずれにせよ「庁」が各省を統制するということは組織力学的に困難だろう。
 そこで「国防省」(防衛省ではない)の整備が待たれると僕は主張しているところである。
 百歩譲って、そうしたオーダーを与える対象として国防省なるものを整備しないとしても、何らかのそうした機能を担う中央機関の整備が必要だ。

 現状であれば、僕が日本侵攻を考える立場にあるとしても、日本屈服に陸海空軍など必要ないと豪語するだろう。
 工作活動のみで容易に日本は降伏もしくは崩壊させ得る。
 ゲリコマ的戦闘員、施設技術及び爆破工作員、情報戦要員(騒擾オルグ等含む)、これらの要員のみで可能だ。
 とりわけ中共にでもしてみれば、今日日本を生かしておいてやっているのは自分たちだくらいのことは考えているのではないか? ^^;) 既に政治にもメディアにも相当に浸透している。市民活動でも幾多の演練を積んできてもいる。
 (異なる意味では、もちろん米国とてそうした意識はあるだろう。すると…日本とはいずれにせよ、自分で生きているのではなく他国から生存を許されている国に過ぎないのかもしれない。もっともこれは極端に悲観論だが ^^;)


 ここまでは、日本侵攻というよりも日本の厭戦、脱落を求めるための攻撃態様を考えたが、一方で、国境付近における島嶼紛争ということは、今日においても可能性は残っている。
 この場合の敵は、前述したような日本の厭戦を狙う策も採りつつ、対象地域(島嶼)への正攻法的侵攻を行うことになるだろう。
 これに際しては、文字通り武力攻撃事態として、自衛隊がその戦力をもって防衛にあたることになるだろう。
 このとき日本側の弱点となり得るのは、現在までの政府方針による、敵策源地攻撃の禁止だろう。
 日米安保が正しく機能して、文字通り米国が矛となってくれれば良いが、例えばこと中共との関係では、時の国際政治状況において米国がどのような判断を下すか、予断はできない。
 敵は当該地域はもちろん日本側の戦力基盤を攻撃しつつ、優位な物量で波状的に戦力を指向してくる、一方で日本側は現地で次々と新手を迎え撃ち続け、決して敵の戦力発起地点を攻撃できないということでは、いかにも防衛を全うすることは困難だ。軍事的には、人類史上例を見ないほどの愚かな防衛作戦となろうことは言うまでもない。(もちろん、政治信念的にはある種の意義があることは承知している)

 次に、日本に対する直接の攻撃事態ということからより大きな視点に転じると、例えば国際テロ活動対処に代表されるような国際安全保障環境における取り組みは、当然日本自身の安全保障と切り離して考えることはできない。
 また、米国との関係ということにおいても、浅慮から迂闊に関係を変更することにも慎重でなくては、やはりわが国の存立に関わってき得る。


 いたってざっくりとした記述になったが、こうしたことから、僕は次のように考えている。

@国防省の設置整備と国防に関するコーディネーションが必要
A工作員対処の抜本的見直し(法整備含む)
B情報戦能力の整備
C純物理的軍事能力の保有、整備は、島嶼紛争の独力対処能力を基準に量的削減は可
Dただし前項のためには、防衛作戦における敵策源地攻撃の許容と装備の見直しが必要
E国際協力軍事活動参加能力の整備(集団的自衛権に関する制限撤廃、国際協力における軍民両需パッケージ整備含む)

 ただし、国防、安全保障においては、一にも二にも、まず外交能力こそが重要であることは言うまでもない。
 同時に、だからといって外交破綻を想定しないのは愚かであるし、また外交にも見せ金、見せ武器は必要だ。


posted by Shu UETA at 18:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 天下-安全保障・外交 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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