こういう報道をみかけた。
中国 ネット掲示板に「テロ賛美」殺到
概要はこうしたものだ。
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教育、報道をはじめ各方面にわたる中国当局の統制、また各種情報検閲はきわめて計画的に徹底しており、必ずしも中国国民を一概に愚かと決めつけるわけにはいかないが、その乗せられ振り、世論の容易な一極化という傾向は、実は中国政府にとっても非常に危険な要素となりうるだろう。
実はこうした構図というのは、今春に続いた反日デモや暴動と同じような点がある。
それは、上記報道記事にも指摘されているとおり、中国当局の宣伝(国民教化)活動が一定の成果をあげた結果、場合によって中国当局の都合を越えて暴走し、当局が沈静に躍起になるというものだ。
傍から見ていてさらに気になるのは、中でも大学生等の、若く、かつ比較的知的階級に属する者たちの、当局の教化に対する呆気ないまでの被影響振りと、暴走してコントロールを失うまでの容易さだ。
まずひとつには、かくも容易に世論が一極化し、かつかほどに容易に暴走するという点で、一般的な先進国にくらべ、中国の大学の学生の知的レベルの低さということも疑われる得るし、あるいはまた、以前のサッカー試合での暴徒化や今回のテロ快哉のように、ざっくりと民度の低さということもできるだろう。
ただ、このあまりに単純な若者たちの性質は、中共政府にとってもきわめて危険な要素だろうと思う。
当局は、戦略的計画的に国民の教化ということをすすめ、コントロールしてきたという自負も、コントロールしていく自信もあるのだろうが、果たして、人心というものは、中でも集団心理というものは、真に人知によってそう易くはコントロールしきれるものでない。それは奇しくもかの国の歴史自体が最も証明しているところでもある。
そうした両刃の剣を、これまで何とか制御してきたが、近年は国民(しかも知識層)の上述したような軽薄さの度合いが進んでいるようにすら見える。
ただでさえ中共の政体は来世紀を迎えることはあるまいと僕は考えているが、その動乱の一部は、政府自らが手塩に掛けて育成(生産というに近いが)してきたこの単純にして容易に知的凶暴化する国民によって引き起こされることになるのではないか。
さて、われわれ近隣諸国、中でも潜在的に仮想敵として中共に想定されているような国は特に、こうした中国社会の模様を単に興味深く眺めるのではなく、また、あらぬ動乱の種と心配するのみでなく、より積極的には、いざというときの情報戦戦略策定の資として常続的に観察を続けておかねばならないだろう。
上述したような中共政府にとっての危険とは、むろん、場合によってはわれわれがそこを衝くべきポイントでもある。
加えて、これまでも指摘してきたことではあるが、そうした情報戦のオペレーションを実施するために、平素よりネットシステム内に、また中国国内市井の要所に、仕掛け及び要員もしくはパイプが整備されているべきなのだが、今日のわが国の態勢では到底夢のような話だろう。(が、中国や北朝鮮は戦後長年、そうした整備をわが国国内で営々と行ってきている)
こうした企図を担当すべき機関、部署というものからして現在のわが国には無く、強いて言えば外務省といったところだろうが、本来であれば、情報戦を担任し得る機関の設置整備、もしくは、国防省(防衛省ではないことに注意)を整備して、攻防ともに情報戦の各省横断的コーディネートをすべきものである。
これは、たとえ今回の記事で仮に想定したようなこちらからの能動的アクションを排除するとしても、防御的情報戦においても、いやそれであればなおのこと、必要な施策だと思う。
情報戦については、また別に記事を立ててもよいのだが、少なくとも、情報戦=ネットワーク戦というものではない。ここでは、そうしたハッカー戦はもちろんだが、心理戦や経済情報戦、宣伝戦等を含んだ広義の意味で情報戦という用語を使用している。