2005年07月29日

小泉総理の解散権


 郵政民営化法案をめぐる、参院否決の場合の小泉総理の衆議院解散発言に関しては、さまざまに取り沙汰されているが、僕自身は、ことさら筋の通らない話だとは思っていない。むしろ、いわゆる造反派の非難根拠にくらべれば、比較的よほど筋が通っているかもしれないとも思っている。
 (ま…敢えて言うなら、憲法の記述自体に不備がある面もある。)

 一言で言えば、「国民の信を問う」手段として、(参院否決の場合)今回については、全般的状況からそのタイミングがそうおかしなものとは思えない。
 (これは、制度的に許されるかどうかという話であって、解散の判断が適当かどうかということはまた別)

 総理大臣(正確には内閣)の衆議院解散は、三権分立における、行政府の立法府に対するチェック機能であり、逆に立法府は内閣総理大臣の指名、不信任決議を行うことができる。これは、誰しも学校で習ったとおりのことだ。

 参院否決で解散など聞いたこともない、と造反派は言うが、(まず聞いたことがあるかどうか、過去に例があるかどうかなどということ自体そもそも論理的ではないが)、「参院否決だから」解散であるとか、「参院否決を根拠に」解散であるなどと近視眼的に関連づけるからおかしな話になるのであって、行政府が国民の信を問うべき状況というのは、より全般的な状況から判断されるべきものだ。

 つまり、現に政権与党内において公然と政府及び党執行部への造反が起こり、一定の勢力をもって堂々と選挙時公約への違背を主張吹聴闊歩しているという状況において、それならば国民の判断を問うてみようではないか、というのは民主主義政体においてむしろきわめて真っ当なことである。

 いわば、「出るとこ出て決着つけようではないか」といったところだが、「出るとこ」とは選挙の場、つまり裁判官ならぬ、国民の審判を仰ごうということだ。

 まず第一に、現衆議院議員を国民が自らの代議士として議会に送りこんだ前回選挙では、与党候補者は郵政民営化改革を党の公約として臨んでいる。今回造反派の一部は、当時も反対論を唱えつつも、目前の選挙に当選すべく(小泉人気にも乗りたいし)、小泉総裁の掲げる公約を認めて党の公認を受け選挙に出馬、勝利している。

 ここで勝利したということは、少なくとも形式的には、選挙という手続きを経て、その公約が国民の裁可を受けたということを意味する。

 しかるに時ここに至り、かかる政府(党執行部)の政策にして選挙の公約であった政策に堂々と反旗を翻し、反対論を公言し、いわゆる造反の立場に立つ議員が、もはや無視し得ない勢力を築くにいたった。

 先に見たとおり既に国民の裁可はいったん受けているのであり、本来であれば、これは造反として処分するのが党としては正当である。
 かつ、参議院での賛成決議、法案成立をもって政府は公約を果たすことができれば問題はない。

 が、参院で否決を見た場合、衆院での再議決ということになるが、先に見た造反議員は、単に造反で片づけるというよりも、一定の見解共有集団として既に大きな勢力をもっているのであり、彼らの立場が文字通り形式的に国民の代表者であるということを考慮すれば、(本来は既に国民の決を受けていたはずのものではあるが)あらためて再度、国民の判断を問うというのは、正しい選択肢のひとつであっておかしくない。

 内閣の衆院解散権とは、民意を背景に議会との間にチェック&バランスを機能させるためのシステム設計であって、例えば綿貫氏は三権分立の観点からも首相を非難しているが、綿貫氏のほうこそ、三権分立の何たるかを理解してもいなければ、選挙における公約の意義をも軽視している。
 選挙後に見解を変えたのならば、むしろかえって再度選挙でそれを国民に問うのが筋であり、当選さえしてしまえば、あとは豹変勝手、選挙では言えなかった自論を自在に主張すればよいということではない。


 が、ここまでは形式的な話。
 ではあるが、少なくともそうした筋道から、僕は、参院否決で総理が解散に打って出ようと、それは何ら非難に当たらないと思う。むしろ制度の「精神」には合致している。

 ただ、いくつか問題はある。

 まず第一に、さきの選挙では総裁自ら、郵政民営化ということを声を大に公約として訴えたが、実際の有権者、国民の側としては、さほどに大きな論点としてこれを見ていない傾向にもあった。(当時から、国民一般にはどうもぴんときていない面が強かった。それは今日においても同様だ)

 つまり、形式的に選挙で国民の裁可を受けたとはいえ、その裁可(信任)のうち、郵政民営化に関わる部分は非常に薄い可能性があるということだ。

 そういう意味では、今回のような経緯で解散するならば、はじめてこの問題が大きな論点のひとつとして有権者にも自覚されることになるだろうが(その意味でも小泉首相の解散という判断は、民主主義の形式的に正当な選択の一つだと思う)、しかし、それは自民党と、例えば造反で公認取り消しの元自民党との間に関しては国民の判断を問うことになるが、現実にはそこでも長い支持のつきあいのある旧自民議員と、急遽擁立の聞いたこともない新人自民党議員との間で、果たして有権者がどこまで郵政問題を基準に判断できるかはきわめて怪しい。
 かつ、実際にはそんなことよりも、自民党と民主党という対立軸の方こそが国民のより大きな関心であって、そうした政権選択選挙では、現総理がいくらあらためて郵政に関して国民の信を問おうとも、郵政民営化などということはやはり霞むだろう。

 このblogでも幾度か述べてきたが、とにかくそもそも、郵政民営化に関して国民の関心と理解を図る努力が無さ過ぎたところに、やはり帰結する。
 必要ならば啓蒙すべきであったし、そうでなくとも十分な理解を図る努力をしっかりしておかねばならなかった。

 もうひとつ、首相の解散権ということがよく言われるが、正確には内閣の解散権ではある。
 本来であれば、政府が政府の政策を国民に問うということであるから、内閣としての解散権で何ら問題ないのであるが、今回の場合は、ともすると内閣内部においてすら見解の相違があるという点で、ややこしい。
 この意味でも、本来は改めて国民の信を問うてしかるべきではある。
 もっとも、国務大臣の任免は総理に権限があるのだから、事実上、総理の解散権ということになり得るのだが。
 首相批判派が何かというと独裁だの専制だのというセンセーショナルな言葉を多用するが、それには当たらないと思う。

 なお、冒頭に、あくまで制度的な是非の問題と、政局的な判断としての是非は別と書いたが、果たして参院で否決に至った場合、衆院解散の判断が小泉総理にとって適切かどうかというと非常に難しい。
 このまま現状で推移すれば(造反派との何らかの手打ちがなければ)、自民党の勝利はそう易いことではないのではないか。

 ちなみに僕自身は、郵政民営化には慎重派だ。
 その理由は、政府が答弁しているような全国一律サービスの維持云々の問題ではなく、日本経済の金融主体経済化に反対する立場からの慎重だ。そうした方面の話は、また別に機会を設けて話してみたい。

 慎重派ではあるが、この秋であれば僕は出馬しないので関係ない ^^;)、いや、一有権者としては、さりとて大局的に判断すれば、投票においてはしかし自民党に投票せざるを得ない。それは郵政民営化云々とは別の問題、むしろ政権選択上の判断からだ。(こうして論点は薄まる ^^;)


posted by Shu UETA at 23:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 天下-その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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