女性の就労支援、なかでも出産等後の再就職支援ということは、近年さまざまにその必要性が叫ばれ、政府も何かと手を尽くそうとしている。
たとえば本日の報道でも、政府の新たな取り組みが書かれている。
女性再就職に5つの支援策 政府が課題まとめる(朝日)
むろん僕はこうした方向への努力ということを否定するものではなく、もちろんそれらを重視してもいるが、一方で、ごく一面的な(見たいものだけを見る)視点で、発想や施策が一方的なものになってはならないと思う。
万事につけ、声なき多数者と声の大きい少数者ということはある。
冒頭紹介記事の概要は次のようなもの。
|
あくまで現時点ではこれから検討という課題をあげたに過ぎず、今後の経過を見る必要はあるが、しかし課題としては十分に網羅された、なかなか良いものではないかと僕は思っている。
情報、地域ネット、能力開発手段、さらには起業まで視野に入れているというのは、上出来だ。(今後どう現実化していけるかということはあるにせよ)
冒頭書いたように、しかし僕が懸念しているのは、こうした面ばかりが強調、重視される一方で、逆に、就業しているが本来であればもっと家庭に力を向けたいと考えている人々のことだ。
就業したい、あるいは再就職したいという声は、やれ女性差別だとか、女性の就業障壁であるとか、社会の有り様が悪いなどと声を大に叫ばれるが、上に触れたようなその逆の場合については、経済的理由等による場合が多く、一般的には仕方のないことと諦められ、そう声を大に苦心が叫ばれることはない。
(肩入れし過ぎかもしれないが)こうした人々は、いちいち社会を非難して大声をあげたりしない、よほど恭謙で地道な人々だともいえる。
報道記事では、政府は「女性の意欲や能力が十分に活用されていない」と分析している、とあるが、そして250万人という数字も出しているが、そうした意欲、能力が十分に社会に活用されていないことはもちろんこれを重く見て、道を整備していくべきと思う。
ただ一方で、「女性の意欲や能力が『家庭や教育に』十分に活用されていない」という面も無視してはならない。
再就職を願う人々の意欲や能力を活かす道ということは、社会にとってというよりも、彼女たち個々の求める人生に対するケアという面が大きく(従来述べているとおり、経済的効果などについては僕はさほど重視していない)、一人一人が自分の夢や理想をもって、それに向かって努力できる社会をつくるということの一環として重視したいと僕は思っている。
一方で、本当であれば家庭や教育に専念したいと考えている人々については、そうした願いは、もちろん彼女たちの願いでもあるかもしれないが、同時に、社会全体にとって非常に価値あることだ。次世代の国民の育成という点においても、地域社会の維持という点においても、勤労者の心身のケアという点においても、社会にとって最も重要で、かつ結果的には社会全体の効率を向上させる、重大な仕事だ。
有難くも、そうした意欲をもつ人々が、経済的事情等でやむを得ず就業せねばならないということを、国家としてどう考えるのか。
そして、上記に250万人などという再就職希望者のうちに、ただ家庭の経済的理由でそうせざるを得ないという人々がどれほど混じっていると考えているのか(考えてもいないだろう)。
しかし、例えば税制改革の方向性に見える(専業主婦家庭優遇の廃止など)とおり、政府が目指しているのは、少しでも多くの女性を家庭から社会へ叩き出そうということと、目下のところは思える。
しかも、それは女性の希望を叶えるのだと声高らかに、違った志向をもつ人には余計で厄介なお世話、価値観の押しつけでもあり、また、女性の活力を就業に向ければ向けただけ、その分が足し算的に社会の力を増すなどという実に表面的で低級数学的な(全員を営業職にすれば会社の営業成績が向上するといった)浅慮に基づいている。
パンが食べたい人はパンが食べれるように、米が食べたい人は米が食べれるようにしたいものであって、一部のパン好きの大きな声とパンブームで、全員にパンを配って米を取り上げるようなことをするほど愚かであってはなるまい。
夢のある人はその夢が叶うように、家庭を大切に守っていきたいと考えているひとはそれができるように、そして、大声ばかりを聞くのではなく、声なき声を聴きとっていかなければ。
女性の就労支援も大事、だが、家庭の女性支援も大事に考えたい。かつ、前者は個人の応援、後者は個人の応援+社会の下支えだ。
【関連する記事】