2005年07月23日

MD米Xバンドレーダー配備?


 ネット上ではまだ報道を見つけていないのだが、本日付産経朝刊によると、日米MD強化の一環として、米国の警戒監視レーダーの日本配備が検討されているとのこと。

 この米軍レーダーは、周波数帯にXバンドを採用しているため(高周波数)、位相解析でターゲットの形状まである程度判断することができる。
 米軍は既にアリューシャン列島への配備を決めているとのことであり、加えて日本(おそらく三沢あたりか?)にも配備することで、大陸、半島から米国に向かうの弾道ミサイルの発見、識別、追尾を確実なものにしたいのだろう。
 一方日本にとっても、この情報の提供を受けることができれば、ミサイル監視態勢においては非常に有意義だ。

 しかし、これは軍事情報のやりとりをめぐる集団的自衛権の論争にも関わり得るが、政治は、いい加減にそろそろあいまいな態度、微妙な解釈論に逃げるのではなく、正面から一歩を進めるべきかと思う。(もちろん、情報の交換がそのまま集団的自衛権行使に該当するものとは僕も思わないが)

 ちなみにXバンドの採用によりターゲットの機種判定まで行いたいということは、日本においても検討されていた。近頃その名を耳にすることも多いと思うが、いわゆる将来警戒管制レーダー、FPS−XXにおいても、当初はその予定であったが、予算、周波数行政その他の問題があったものと思う。

 今回米側提案の、この米軍レーダーの配備は、その情報が日本側でも利用できるとすれば非常に有意義だろう。
 先般成立した改正自衛隊法で定められた弾道ミサイル防衛においては、時間的余裕なき場合の判断という重い責任が現場にかかるが、そうした判定においてもXバンドレーダー情報はきわめて有益だ。

 (ちなみに、台湾に対しても米軍レーダー提供ということが先日報道されている。軍事的一貫性のもとにあるものでもあり、また業界の思惑もあるものか…とも考えられるが ^^;)
  台湾、米国から早期警戒レーダーを購入へ(ロイター)

 また米軍は、日本側のレーダー網がとらえた情報の提供を求めてもいるが、日本としては、これを断る理由はなく、米軍との相互情報態勢は日本にとっても有益だ。

 断る理由はなく、と記したが、それは軍事的にはということであって、政治的には、集団的自衛権との関わりで論点となる面はあるだろう。

 先日にも防衛庁長官は、そうした情報提供が集団的自衛権行使にはあたらないとの見方を示している。
 僕も、この問題に限らず、今日の防衛事情において、まして日米安保を機能させるうえで、軍事情報の交換を一切行わないなどということが合理的であり得ようはずもなく、また、侵攻情報であろうとテロ情報であろうと、自国がキャッチした情報を友好国に助言あるいは提供することも必ずしも自衛権などという枠組みでとらえねばならないことでもなく、こうした情報交換がただちに集団的自衛権行使にあたると考えるべきものではないとは思う。

 しかし、反対論者の立場に立つならば、そうした情報交換がシステムとして恒常的に維持されるという点で、他の場合とは異なると言うだろう。

 いずれにせよ、ある種のグレー感は否めないのかもしれない。

 そこで、そろそろ政府は集団的自衛権の行使について、明確に一歩を進めるべきではないかと思う。
 つまり、「保有しているが行使しない」を改め、「行使するが条件を明確に定める」とすべきではないか、と。

 まず、今日の国際情勢、軍事様相において、集団的自衛権的なものを一切否定しては、まず自国防衛が成り立たない(これは日本に限らず米国のような軍事強国とて同様だ。昔とは時代が違う)し、また国際政治的にもあまりにも自分勝手な姿勢となる。

 戦争や軍事力の行使についても、自衛を含めてそれを一切行わないということならある意味で整合性がとれるが、あくまで侵略的な行為、紛争参加といったことを否定するのであって自国防衛を放棄するわけではないという立場に立つならば、今日の国際環境、軍事環境においては、集団的自衛権と個別自衛権を弁別することは困難であるし、前述したように国防を全うするうえでも国際関係においても、愚かなことだ。

 侵略や紛争参加を否定するという精神に立って、集団的自衛権を全面的に禁じるよりも、明確な歯止めをしっかりと定めるべきだと思う。

 先日、米国防総省の日本担当上級部長なる人物が、こうした議論を「無意味な神学論争」と指摘したのも、そうした意味においてだろう。
 「安全保障上の利益がグローバル化している今の世界では、いかなる国家の防衛にとっても、集団的自衛権(の行使)が憲法上許される範囲を超えるかどうかという難解で神学論争にも似た議論は、まったく馬鹿げたものになる。なぜなら、自国を防衛できるかどうかの能力は、他国との集団的防衛と不可分に絡み合っているからだ」と述べているが、今日の様相においては、実にその通りだろうと思う。(もっとも、僕であればもう少しやんわりとした表現を使うだろうが)

 「集団的自衛権議論、馬鹿げている」米国防総省日本部長(朝日)

 軍事の現場においては、米国であれ日本であれ、防衛の任務使命を全うすべく、合理的な策を講じていかざるを得ない。
 そうしたものについて、それが認められないものであれば政治は厳にやめさせるべきであって、中途半端な姿勢で理屈を後付けするような態度をとるべきではない。
 逆に、政治の少なくとも一部(政府や与党など)が認め、指示して現場に動かせていることについて、政治の場で明確に決着をつけるということがなければ、現場は孤立してしまう。
 例えが適切でないのは承知だが、さきの大戦にいたる時期における関東軍をはじめとする陸軍と政府の煮え切らない態度、そうしたことを知らず知らずに繰り返すようなことがあってはなるまい。


posted by Shu UETA at 20:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 天下-安全保障・外交 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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