2004年09月01日

幸田露伴「蒲生氏郷」より

 幸田露伴の「蒲生氏郷」
 つくづく、まだまだ自分は「ナマヌルイ」と思う。
 気合を入れなおさねば。


  蘆名を逐って会津を取ったところで、部下の諸将等が大いに城を築き塁を設けて、根を深くし蔕(ねもと)を固くしようという議を立てたところ、さすがは後に太閤秀吉をして「くせ者」と評させたほどの政宗だ、ナニ、そんなケチなことを、と一笑に附してしまった。云わば少しばかり金が出来たからとて公債を買っておこうなどという、そんな虱ッたかりの魂魄とは魂魄が違う。秀吉、家康はもちろんの事、政宗にせよ、氏郷にせよ、少し前の謙信にせよ、信玄にせよ、天下麻のごとくに乱れて、馬烟や鬨の声、金鼓の乱調子、焔硝の香、鉄と火の世の中に生まれて来た魂魄はナマヌルな魂魄では無い、皆いずれも火の玉だましいだ、炎々烈々として已むに已まれぬ猛炎を吹き出し、白光を迸発させているのだ。言うまでも無く吾が光をもって天下を被おう、天下をして吾が光を仰がせよう、と熱り立っているのだ。(中略)
 諸老臣の深根固蔕の議をウフンと笑ったところは政宗も実に好い器量だ、立派な火の玉だましいだ。


  埒は明いた。秀吉は政宗を笠懸山の芝の上において引見した。秀吉は政宗に侵掠の地を上納することを命じ、米沢三十万石を旧のごとく与うることにし、それで不服なら国へ帰って何とでもせよ、と優しくもあしらい、強くもあしらった。歯のあらい、通りのよい、手丈夫な立派な好い大きい櫛だ。天下の整理はかくのごとくにして捗取るのだ。惺々は惺々を愛し、好漢は好漢を知るというのは小説の常套文句だが、秀吉も一瞥の中に政宗を、くせ者ではあるが好い男だ、と思ったに疑無い。政宗も秀吉を、いやなところも無いでは無いが素晴らしい男だ、と思ったに疑無い。人を識るは一面に在り、酒を品するはただ三杯だ。打たずんば交りをなさずと云って、瞋拳毒手の殴り合までやってから真の朋友になるのもあるが、一見して交を結んで肝胆相照らすのもある。政宗と秀吉とはどうだったろう。双方共に立派な男だ。ケチビンタな神経衰弱野郎、蜆貝のような小さな腹で、少し大きい者に出会うとちっとも容れることの出来ないソンナ手合では無い。嚊(かかあ)や餓鬼を愛することが出来るに至って人間並の男で、好漢を愛し得るに至ってはじめてこれ好漢、仇敵を愛し得るに至ってホントの出来た男なのだ。


  氏郷は法令厳峻である代りには自ら処することも一豪の緩怠も無い、徹底して武人の面目を保ち、徹底して武人の精神を揮っている。いわゆる「たぎり切った人」であ、ナマヌルな奴では無い。蒲生家に仕官を望んで新規に召抱えられる侍があると、氏郷はこう云って教えたということである。当家の奉公はさして面倒な事は無い、ただ戦場という時に、銀の鯰の兜を被って油断なく働く武士があるが、その武士に愧じぬように心掛けて働きさえすればそれでよい、と云ったという。もちろんこれはまだ小身であった時の事で有ろうが、訓諭も糸瓜も入ったものではない、人を使うのはこれで無ければ嘘だ。(中略)言うまでも無く銀の鯰の兜を被って働く者は氏郷なのである。


 まだまだ なまぬるい
 もっともっと気迫に燃料をくべよう

cover
ちくま日本文学全集 幸田露伴


posted by Shu UETA at 11:05| Comment(2) | TrackBack(0) | 武士道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
幸田露伴さんの作品はイイデスよね。
貴殿は呼び捨てするぐらいの仲なんですか?
Posted by kanipan at 2004年09月01日 17:35
> kanipanさん

 はじめまして、コメントありがとうございます。

 幸田露伴(さん?)は、文体が大好きです。
 明治、大正、昭和にわたって著作活動されてますが、それぞれの時期ごとに、いろいろ工夫や変化があるところも面白いです。

 ちなみに、ご質問(あるいは皮肉?)ですが、私の場合は、基本的には、歴史上の人物はたいてい敬称は省いています。蒲生氏郷も織田信長も家康も坂本竜馬も…
 個人的な感覚で歴史上というよりはまだ近く感じる場合は、敬称をつけます。
 また、今日の人々については、いかなる場合にも敬称を略すことはありません。
 逐一「敬称略」とは表示しませんが、もしまた当ページお訪ねいただく際は、そう理解していただければ幸いです。
Posted by Shu at 2004年09月03日 14:12
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]


この記事へのトラックバック
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。