知事会の義務教育費削減案に強く反発 森前首相
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この記事だけで森氏の真意を知ることはできないが、ここに見える点に関しては、私は基本的に賛同である。
氏の発言では、「権限」という言葉が使用されているため、例によって省間による縦割り権限闘争のような誤解を与える怖れが無きにしもあらずと思うが、権限というよりも、文科省であるか総務省であるかという問題は、教育問題であるか地方分権問題であるかという問題であると言おうとされているのではないか思う(少なくとも私はそう考えている)。
「何から何まで総務省が書いたものだが、この人たちに教育の根幹に触れることまで決める権限はない」とあるが、それは、(総務省が)地方分権としての扱いで全国知事会に投げ、結論を出させる前に、それが果たして真に地方分権の問題なのかどうかを確認するプロセスが欠けているということではないか。現に私はそのように考えている。
教育、就中義務教育という問題が、地方自治の範疇だとは、私には思えない。
むしろ、外交、防衛、食糧、エネルギー、科学技術等と立派に並んで、広義の安全保障の範疇であると私は考えている。もしこうした観点に立てば、そのような事項が地方自治の範疇とはなり得なくなる。
地方自治の本旨に照らすと、住民自治とは、「住民自らが自らの地域のことを考え、自らの手で治めていくこと」とされ、団体自治は、「地域のことは、地方公共団体が自主性・自立性をもって、自らの判断と責任の下に地域の実情に沿った行政を行っていくこと」とされる。
また地方分権推進委員会の中間報告では、分権の目指す社会が「身のまわりの課題に関する地域住民の自己決定権の拡充」であり、「住民主導と男女協働による民主主義」の実現であるとされた。(なぜ男女協働が関係あるのか不明だが ^^;)
しかし、教育は、「自らの地域のこと」や「身のまわりの課題」なのだろうか?地方公共団体がどのように「自らの責任」などとれるのだろうか?
今日から将来にわたりますます、国民の教育というものが国家の存立に重大な力を持つであろう時代に、国家が教育から手を放すことがあってはならないと思う。
地方分権化を進めても、国家としてのナショナルミニマムは示す、というのが現在のスタンスだが、しかし金の切れ目は何とやらではないが、金を出さないところに関与が減っていくのが自然の流れだ。
また、これからの時代こそ逆に、義務教育がミニマムだけを求めるべき時代ではないと私は考えている。
さらに、義務教育費を国が負担しなくなれば、必ず、財政的に困窮する自治体は出てくる。そのような自治体が現水準を維持することが不可能になるのは目に見えており、それで果たしてミニマムが維持できるのか、そして、維持できないとしてもそれは国ではなく「地方公共団体が自主性・自立性をもって、自らの判断と責任の下に」選んだ政策である、とするのか。
教育行政の主体を地方に移した場合、唯一私がメリットとして考え得るのは、地域による多様性という点である。多様性は結局は地域を超えて政策の淘汰にもつながり、また輩出される人材が多様化されることにも意義はある。
しかし、国家の責任による教育行政の土台の上で、各自治体が多様性を発揮する余地を設ければよいのであって、逆に、各自治体の責任としておきながら国が多少の口をはさむという方式のほうが筋が通らない。
また、教育は本来地域の問題であるという従来からある根強い論調にも疑問を感じている。
教育は地域に密接したものであり、日本は東西に非常に長くて立地条件も違い、地域地域で文化、生活様式も違う…云々の意見も多く聞くが、教育の目的の中で、それらのことが主であるのか疑問である。それは従として、国家の教育行政の中で地域教育の余地として設定すべきことではないのか。
さらに、今日ほど(そしておそらく今後も一層)狭くなる空間の中で、そして地域を越えて人の流動の活発な社会環境の中で、どれほど地域の独自教育が必要なのか…もしそれを言うなら、むしろ全国どこに行っても通用する教育こそ必要なのではないのか。
江戸時代ではあるまいし、今は、人々が凡そ生国で生涯を終えるような時代ではない。
そうした教育項目を否定するつもりはないが、それを主目的とするのはいかにも疑問であり、国の教育行政の枠内でそのような地域教育は十分可能だと思う。
今回の全国知事会の議論の経緯では、賛成派の多くの知事が、単に財源の入手と権限の拡大という二点に惹かれているように、私には見えた。
都知事や長野県知事は、自治体の財政状態により、教育の地方格差が生まれることを大いに懸念して反対意見を表明していたが、もとより東京都が他自治体に比べて教育財源不足に陥るなどあり得ない。都知事は、単なる都知事としてでなく、一政治家として日本全体を見渡しての懸念を行っていると思われる。しかるに、他の多くの知事は、どこまで日本のことを、教育のことを考えているのだろうか…
と、ここまであたかも自信たっぷりであるかのように書いてきたが、正直、この問題に関しては、自分の見解にまだ自信はない。
義務教育という概念自体が、変遷して来もし、かつさらに変化する必要をも感じており、個人的にまだ細部研究中であることに加え、地方自治に関しても未だ素養浅く、現在勉強中の分野である。
よって、異議であるとないとを問わず、もし見識をお持ちの方がいれば、大いに学ばせていただきたい。
しかし、いずれが是であろうとも、少なくとも、森氏の指摘するとおり、「とにかく分権」といった雰囲気と、財源問題に踊り、本質的議論から遊離しつつある現状が問題を含んでいることは間違いないと思う。
【関連する記事】
なんじゃそりゃ!>男女協働
まるで今は男女協働じゃないような言い方ですなぁ。
それはさておき、地域密着型の教育なんてのは、せいぜい「私たちの札幌」とか「私たちの北海道」ぐらいの副読本で小学生あたりのときに勉強するので十分かと(実際に、その副読本で勉強した覚えがあります)。社会見学とかでも良いし。
妄想かも知れませんが、地域によっては変な偏向教育されたりするのは、まっぴらごめんです。
純粋な利権争いであれば良いのですが、うらで変な圧力団体とか動いていないですかね、私もちょっと気をつけてみたいと思います。
いや本当に、あの部分に「男女協働」が入っている意味が不明です… 策定過程で何らかの軋轢のもと一言盛り込まれたのでしょうが…
以前他の記事でも少し触れたのですが、各地方、各地域に権限細分化されるほどに、従来の紛争現場が無数に増え、かつ各地域では対抗ノウハウにも乏しそうなので、そういった混乱も心配です。この地方分権の件とは別に、文科大臣構想では、各学校に学校運営に関する権限を大幅移譲する案が出されていましたから。すると、学校の数だけ戦場は増えます。 ^^;)