2004年08月29日

意識空間の拡大と呼吸

 意識空間の拡大ということには、ある程度注意して訓練してきたが、「秘伝」9月号の高岡氏の記事を読んで、呼吸との関わり、呼吸空間という考え方に惹かれた。


 意識空間というと、通常は、自分の身体そのものとそのごくごく周囲、しかも主として注意の向かう身体の前面、身体の前方空間に偏る。
 この意識空間を、身体全身から周囲のより広い空間に広げていくのだが、こうした訓練を始めようと思い立ったきっかけは、随分以前に読んだ植芝盛平師の教えとされる言葉だった。既に引用元不明だが、当時このように書き抜いてある。
   不期訓練
 暗闇を歩いて帰るときは四方八方に気を配っておかなければなりません。周囲の状況に気を配っておくわけですが、現代人が失ったといわれる第六感を自然に養えるわけです。気配を感じるというやつです。大先生(植芝師)もよく「数キロ先の気配、殺気を感じねばならない」と言われていました。


 自分の場合、たまたま沖縄の離島での勤務を1年半ほど経験したことがあったが、そこの夜というのが、月明かり星明かりの無い日には文字通り自分の手足も見えないようなところであり、飲んだ帰りもそこを最低10分は歩いて帰るということが屡々で、上記のような状態をイメージしやすかった。
 そのため、座禅や剣を構えての立禅の際にそのイメージを持ちながら取り組んできたが、若干の効果を得た後は、壁というか進捗に欠ける状態。(最近はあまりこの稽古もしていない)

 秘伝の今月号は高岡氏の呼吸法を特集に取り上げていたが、その中で、高岡氏が次のような話をしていた。
  こうしたことは厳密に言うと身体意識と呼吸法の関係の問題で、あるい意味では皆さんが構造として描いている身体意識の構造をさらに超えるような呼吸・身体意識現象というのがあるわけです。それを私は亜呼吸空間と呼んでいます。
 まず現実の呼吸の空間があって、その呼吸の外側に通常考えられる身体意識と呼吸の関係する空間があって、さらに外側にもっと広い呼吸と意識が関係していく空間があって、それを亜呼吸空間というわけです。それは最大で宇宙空間まで広がるものなのですが、一般的な武術の間合いでいえば、数十間つまり数十メートルぐらいの空間まで広がるのです。その結果、その空間が全体として自分の呼吸している空間になってくるという現象があるわけです。
 (中略)
 達人と呼ばれるような優れた人というのは、身体意識を自分の身体の外側の空間にまでさまざまな形態で張り巡らせているわけです。その中に相手の身体というのが捕らえられていて、相手の粗野な段階の身体意識というものを自分の身体意識で絡め取っているのです。
 (中略)
 だから相手が身体のレベルではもちろん、意識のレベルで発動しようとすると、それはすべて呼吸に現れるので、その呼吸と身体意識が一体となってすべて伝わってきてしまうのです。そのため、実際に剣や身体の動きがまだ起きていなくても、そのまさに気配というものが、呼吸と身体意識が連動して発動し、達人側にダイレクトに伝わってしまうのです。
 (中略)
 先ほど亜呼吸空間の話をしましたが、動物達も呼吸をしているので、私の亜呼吸空間にその動物達が侵入してくると、その動物の呼吸が身体意識を通して響き合うわけです。
 そうした中でとくにいい経験だったのが、イタチを狩るという経験です。
 (中略)
 つまり目で追うことのできないイタチの動きを捉えるためには、呼吸を使うしかないわけですから。
 (中略)
 この「呼吸を読む」というのは、フィルターに例えるとわかりやすいと思います。(中略)イタチの呼吸は通常のフィルターには引っかからない超微粒子のようなものです。
 (中略)
 そのためには、ゆるゆるにゆるんで亜呼吸空間の中をさまようようにして待つわけです。ちょっとでも自分の意識が粗いと、逆にイタチの呼吸に私がひっかかってしまうからです。


 この手の稽古は、イメージの持ち方が重要(あるいはそれしか手がかりはない)なので、とにかく様々な人が様々に語るイメージを集め、自分なりにイメージをつくっていく必要があるが、今回の高岡氏の話で、意識空間と呼吸空間というものの関係性のイメージを持てたのは収穫だった。特に「亜呼吸空間」という言葉のイメージと、呼吸空間に対象を捉えるというイメージをしばらく探求してみたい。

 実は、偶然か、最近、ベランダに来るスズメをキャッチしようという努力をしていた(遊びだが)。
 小皿に米粒を入れてベランダに出しておくと、どうやらちゃんとスズメが来て食べているようなのだが、いつ見てもいないし、しかし皿の米はきれいになくなっている、というわけで、なんとかスズメの飛来の気をキャッチしようというわけだ。
 自分が平素いる部屋とベランダとの間には、廊下と8畳のリビングがあり、音は聞こえないし、もっともテレビや音楽をかけている時点で既に音には期待できない。
 ところが、数回成功した。イメージとしては、頭の片隅に、ベランダの小皿の周囲の風景をイメージしておくのだが、そうすると、パソコン作業をしていても、ふと、気配を感じることがある。静かに行ってみると、スズメが皿にとまって米をついばんでいる。

 こうした方法とも、呼吸とも異なるものとして、以前読んだものには(誰の話か忘れたが)、時計の秒針の音を集中して聞きながら、だんだんと遠くへ、部屋の外へ、と時計を離していくと、数週間のうちには、家の外に出しても聞こえるようになる、というのがあった。
 これは試していないが、これも、やがては音以外のさまざまな気配を察知し得るようになるとあった。

 それぞれの方法論では、気配察知に至るロジックは異なるのだろうか、それとも、できるようになってしまえば、その可能たらしめている理屈は同じで、単なる登山ルート、稽古法の違いに過ぎないのだろうか…

 さしあたり当面、座禅などの際をつかって、亜呼吸空間というイメージでしばらく試してみようと思う。(呼吸法自体、最近まったく手を付けていなかったので)


posted by Shu UETA at 19:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 武術/身体 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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