2005年07月05日

(名将言行録) 指揮官は驚かず

「名将言行録」48号関連記事

 マガジン48号では、上杉謙信が陣中に味方の裏切りに遭った際の颯爽奮戦のエピソードを紹介しましたが、特に「名将言行録」の淡々とした筆致もあって、一見してさほど大きな感慨を抱かない向きも多いかもしれません。けれども、こうした様子は「危地」における優れた指揮官の真骨頂であるともいえます。

 この点について、少し考えてみましょう。

 窮地にあっては皆が指揮官の顔を見る、ということは常々言われることです。
 予期せぬ危急の際に、部隊を恐慌に陥らせるか否か、士気を喪失させるか否か、それは部隊指揮官のあり方によって大いに左右されるものです。

 あるいは、これはそうした文字通りの戦地でなくとも、つまり軍隊における話でなくとも、ビジネスの場においても同様だということは、うなづかれる方も多いかもしれません。それは、恐慌というよりは、「パニクる」とでもいうべきでしょうか。また、士気の低下ということはやはりそのままビジネスにおいても同じ言葉で言えるでしょう。
 職場においても、部下を持つ立場に就いたことのある人なら、何らかのトラブルが発生した場合に皆が、はっとこちらの顔を見るという状況は思い浮かぶのではないでしょうか。
 あるいはスポーツの場においても似たような状況はあるでしょう。

 危急にあって部隊が恐慌に陥るのを防ぎ支え、士気戦意を支えるものは(平素あらかじめの部下教育ということを除けば)その場にあっては指揮官の指揮と統御のあり方に尽きるといえます。

 部下が一斉に指揮官の顔を見る、そんな時、その時点で部下はある線上に不安定に立っています。
 士気と気力を失うか奮い立たせるか、恐慌に陥るか落ち着くか。
 その際に指揮官が見せる表情と態度が、部隊のメンタリティの向かう先を一瞬に決してしまうことすらあります。

 そこで、古来指揮官には「泰然自若」ということが尊ばれるのでしょう。

 今回の謙信のエピソードにおいても、仮にも3千もの(味方と思っていた)兵が、しかもこちらの陣中深いところで突如本陣に突入してくれば、将兵が慌てふためくのも無理はありません。まさに今にも恐慌状態に陥らんという線上に危うく立っていることでしょう。ここで恐慌状態に堕ちれば部隊は潰走瓦解となります。
 そこで謙信の様子は、「士卒驚く所に輝虎少しも騒がず、自ら采幣を執て猛威を奮ひ、士卒を励まし、」と描写されています。

 こうした力を見せつける指揮官としては、あるいは織田信長やナポレオンも思い出されます。
 両者ともに、すぐれた戦略眼、戦術眼の持ち主であるだけでなく、戦場において兵士の士気を鼓舞する気色の卓越ぶりがさまざまに伝わっています。
 信長が現れると兵は奮い立ち、劣勢の前線も一気に持ち直すと。
 また、ナポレオンは自身が存在した戦場ではついに生涯敗れることはありませんでした。


 こうした、危地における泰然自若ということについて、われわれがせめて心がけ得るのはどのようなことでしょうか。

 僕は仮に次のような着意が考えられるのではないかと思っています。(天性のものは別として、誰もが心がけ得ることとして、ですが)

 ひとつは、まず少なくとも外面的には驚き慌てふためくまいという平素からの自戒。
 次には、あらかじめさまざまな危険の可能性を心中に想定しておく危機管理的な想像力。
 そして、「今」できることに集中すること。
 最後に、「気概」であり「闘争心」。

 順に簡単に言葉を足しておきましょう。

 まずは何よりも、部下の前で驚き慌てふためくさまや、落胆意気消沈するさまを見せまいという心がけも大切でしょう。内心がどうであれ、表面的には努めて動じることのない風ということです。
 一般によく言われることがこうした着意と思われます。

 ちなみに、とは言っても人間である以上、内心の動揺を一切表に出さないということは難しいものです。
 そこで、二つの着意があろうかと思います。

 ひとつは、冷静を装う努力よりは、「笑う」ほうが簡単だということです。悩み事を考えまいとするよりも、別のことを考えようとするほうがまだしも簡単であるように、ただ表情を出すまいとするよりは、「笑う」ということを「する」ことのほうが簡単です。自分の内に多少の天の邪鬼を育て、ピンチではとりあえずニヤリと笑うという習慣をつけてみる価値はあります。
 目指すは、「不敵に笑う」です。^^)
 そして、人間の性質として、「行為」が「心理」を誘導するということがあります。笑ってみせることで、実際に自分自身の緊張を解き落ち着きを取り戻す効果もあります。

 もうひとつは、その内心の動揺そのものをいかに小さくするかということですが、それが、以下の第二点、第三点です。

 二点めは、危機を極力「読み筋の危機」の範疇に収める努力です。
 つまり、事前にさまざまな可能性、危険性を考慮し、危機管理的想像力を逞しくして、起こり得るさまざまな危険への対応を考えておくことです。これは、このblogでもよく取り上げる「心の下づくり」ということの一環でもありますし、また、今回のテーマを超えて、そもそも危機管理という発想においては必ず必要な着意ではあります。
 楽観的に過ぎて全く予想外の事態が出来した場合と、あらかじめ万が一と考えていたことが現実に起こってしまった場合では、心の揺さぶられ具合は全く異なってくるでしょう。

 ちなみにこのことは、個々の作戦ごとにそうしたことを行うというだけではなく、平素日常の中に、そうした習慣を持つことができればなお良いでしょう。
 たとえば今回の謙信のエピソードにあるような味方の裏切りなどということは、その場その場の合戦の陣立てごとに考えるだけではなく、かの戦国の世であれば、一般的事項として、戦の場でそうした裏切りがあったらどうなるか…ということは平素から何度も想像しておくべきことでもあります。
 あるいは、「他人の振り見て我が振りなおせ」などと言われるように、他人の経験の中に、あるいは書物の中に、さまざまに自分を当てはめて思考を練っておくということも、平素の習慣です。

 三点めに言う「今」に集中する、「今できること」に集中する、ということは、過去(既に起こったこと)を呪うのではなく、未来(結末)をあれこれ考えて不安になるのではなく、「今」何ができるのかということに思考を集中することです。
 信長は本能寺に明智の叛旗を確認した際、躊躇なく「是非に及ばず」と言ったといわれますが、まさに、過去(既に起こったこと)はもはや是非判断には及ばないものです。
 謙信の越中攻めの陣における二の宮の裏切りについても、その場でその行為をあれこれ考えても、怒っても悩んでも、何にもならないものです。
 「もはや是非に及ばず」とは端切でよい言葉です。頭のどこかに置いておき、トラブル出来の際には思い出したいですね。

 最後には「気概」「闘争心」をあげました。
 今回のエピソードに見るまでもなく、ただでさえ謙信とは平素から実に気概あふれる武将ですが、人間の感情の中で「闘争心」というものは非常に強い感情です。ここでいう「強い」というのは、自分の中で、他の感情を打ち消せる強さがあるという意味での「強い」感情だということです。
 恐怖、不安、疲労、弛み、怒り、こうした感情は、奮い立つ闘争心があれば抑制される場合が多いものです。
 上級のものとしては、「怒り」ではない「闘争心」が理想的ですが、まずは仮に「怒り」による「闘争心」であったとしても、心を折って闘争心を持てないよりはましでしょう。


 部下の前でへこまない、ピンチでは不敵に笑ってみる、危機の想像力、「今できること」への集中力、気概と闘争心。
 あくまでもこれらは僕の些少な経験から現時点で想起される事々ですが、みなさんもそれぞれに自分なりのあり方を考える上で何らかの触媒になればと思います。

 (余談ですが、部下の前で弱ったところを見せないということは、あくまでも部下が弱った場面において、です。指揮官も人間ですし、また常に聖人君子のように取り澄まして人間味を削ぎ落とすべきものでもありません。部下に余裕がある平素において、へこんでみたり困ってみせたりすることはかえってよい人間味につながることさえあるものです。)



 次回「名将言行録」は引き続き上杉謙信です。お楽しみに。

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posted by Shu UETA at 20:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 名将言行録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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