2005年06月16日

(書籍) 「失敗学の法則」


 3年ほど以前に出版された「決定版 失敗学の法則」が新刊で文庫化されている。
 それを見て思い出した、ではないが(いや、そうか ^^;)、ともあれお薦めするに足る内容を持った良書なので紹介しておこうと思う。

 一応僕はライフワーク的に、戦略戦術関連、危機管理、組織運用ということを表芸として研究しているので(未熟ながら大見得を ^^;)、当然ながら、「失敗学」という新興分野にも格別の関心を持ってきた。

 「失敗学」という言葉は昨今耳にする機会も多くなってきていると思うが、その言葉、学問分野(にこの人がした)の提唱者、草分けが、この本の著者、畑村洋太郎氏である。

 さて、決定版 失敗学の法則であるが、この本は、その畑村氏が提唱する「失敗学」の32の法則をまとめたものとなっている。

 ごくフランクに正直を言うと、個人的には一部に頷きかねる点も少なからずあるのだが、やはり素晴らしいヒント、教訓も多々あって、かくはお薦めする次第。
 ついては、とりわけ僕が気に入った部分、参考になった部分、あるいは共感著しい部分を一部紹介しておこうと思う。

 まず、失敗分析の基本ともいうべき「原因の究明」についてだが、氏は、単に原因と結果という見方を戒め、「要因」と「からくり」と「結果」という考え方をすべきだと述べる。そしてそこでは「逆演算」ということを行わねばならない、と。
 その逆演算の思考過程は、次のようにまとめられている。
 
 chart.jpg

第1段階
 観察している人に見えるのは結果だけ
 ↓
 原因を知りたい
 ↓
 要因だけでは不十分
 ↓
 からくりと要因に分けて考える
 (要因とからくりとを合わせたものが原因)

第2段階
 からくりを知るには
 ↓
 からくりの構造を仮設する
 ↓
 逆演算の考えを入れ、出力から入力を逆算する
 ↓
 出力と入力の関係のすべてを満たす構造の共通部分をとる
 ↓
 この共通部分がからくりの基本構造だと知る

第3段階
 からくりが決まったので、架空の入力を作って入れてみる
 ↓
 架空の出力が出る
 ↓
 様々な入力を入れ、それに対応する出力を求める
 ↓
 入力群とそれに対応する出力群を得る

第4段階
 一般化する
 ↓
 こうすれば何にでも当てはめられる
  → 類推もできる(アナロジー)
  → 予測もできる



 ちょっと理系的な表現になっているので、そうした記述が苦手な人には理解しにくいかもしれないが、この部分はこの本の冒頭にあり、かつ最も有益な部分であるので、あるいは書店で手に取って立ち読みしてみても良いかもしれない。ちゃんと具体例を示してわかりやすくこのプロセスの適用例が詳述されている。ざっと5分もあれば立ち読み可 ^^;)

 僕は、まず「原因」を「要因」と「特性(からくり)」に分けるという考え方が好きだ。

 また、このプロセスにおいてカギとなるのは、からくりの構造の「仮設」という部分だと思う。ここに、個人の経験値やセンスの差が出てくることになると思う。
 僕はもとより万事について、仮説を立て、検証あるいは観察し、仮説を修正し…という思考方法が大好きなので、こうした手法は実にしっくりくる。
 とは言え、しっくりくることと特異不得意とは別の話としても ^^;)、僕個人の感覚では、この「仮説」を立てるにおいては「直感」ということが大きな部分を占めることが多いように思う。そして「直感」とは「経験」の(思考を伴った)蓄積によるのだろう。


  新たな創造のための第一歩である「課題設定」が済めば、その後は「仮想演習」でその課題をいかに解決すればいいのかを思考することが重要です。他の誰かがやっていることを観察したり、頭の中で「あの場合はこうすればいい」「あの場合はこうすべきだ」などと考えながら、起こりうる失敗を想定していると、いろいろなことが見えてきます。
 この「仮想演習」は、失敗学においてかなり重要な意味を持っています。



 これも実に同感。
 危機管理における「危機を『読み筋の危機』にとどめる」という考え方にも相当するだろう。
 また武術においては「心の下づくり」ということ、また僕の大好きな言葉だが、「葉隠聞書」においては「大事の思案は軽く、小事の思案は重く」ということにも通じるだろう。
 こと、「想像力」ということと、語弊はあるが一種の「悲観」が重要だ。
 これも危機管理においてはそのあたりの機微を一般に「悲観的に準備し、楽観的に実行する」などと言う通り。


  何かひとつのことを行うとき、その分野に関わっている人なら誰もが必ず考えていること、無意識での着眼点というものがあります。そして、そこから失敗を防ぐための、あるいは成功につながるいろいろな原理を導き出します。それらはあえて文章に書かれることもなく、多くの場合は言葉にして伝えられることもありません。しかし、それらはその分野に関わっている、誰の頭の中にも厳然と存在している、いわば「暗黙知」なのです。
 とくに失敗に関する「暗黙知」は、あからさまにわかるような形にすること、つまり「形式知」に変えることがとても重要です。というのも、失敗に関する情報はいつも隠れやすくなかなか表に出ないという性質がありますし、時間が経ってしまったり、人から人へと伝えられていく間に、消えてなくなってしまうからです。したがって、失敗の暗黙知を見つけたら、積極的に文章や図式、数値などにして形式知に変え、記録することが重要です。



 失敗に関することに限らず、組織においては「ノウハウ」の蓄積ということが非常に重要だ。なかでも、こうした「暗黙知」に属するようなノウハウの蓄積は、組織において意図的に着意、工夫がなされていなければ自然に「形式知」として蓄えられることはない。
 僕自身も実はちょっとした苦心談があるのだが、いずれ折があれば紹介してみたい。


  「暗黙知」とともに、失敗を防ぐ大きな力となるのが「山勘」です。その語源のせいか「山勘なんてでたらめだ」とばかにする人がいますが、そういうことを言う人はおそらく、経験から何も学んでいないのです。本当に自分で責任をもって行動し、失敗をして危険な思いをしながら経験を積んできた人なら、自分の体の中にしみこんだ感覚、体感を持っているはずです。「暗黙知」と同じように言葉や数字、図式に表すことはできなくても、頭の中にはできあがっていて、意識しなくてもきちんと失敗を避けられるようにできている回路、それが山勘です。つまり、山勘というのは、もはや「知」でもなく、その人がやってきたすペての経験や行動の結果体得した、状況さえ入れれば答えが直接出てくるような超高速の判断回路のことなのです。


 激しく同意っ ^^;)
 ただ残念ながら、そうした「勘」をどのように養成するかということについては、本書も述べていない。そうした「勘」をいかにプロセスに取り入れるかという話が述べられる。
 たしかに、「勘」とか「直観、直感」というものの認識、評価、ましてや涵養ということは実に難しい問題だと思う。
 このblogを読んでくれている方々は、僕も「直観直感」重視を信条にしているということを言うのをしばしば目にされているだろうけれども、僕自身これまでの半生をかけてきたけれどもまだまだ試行錯誤の中にある。もっとも、「身体知」等との兼ね合いも含め、また別に記事を書いてみたいと思っている。
 いずれにせよ「信条」というとおり、僕自身は、経験の中で「学習する」よりも「勘を磨く」でいたいと信念している。


  「責任追及」と「原因究明」を分けろ

 小さな失敗を大きな失敗につなげないためには、「告発は善である」という意識を持つことが大事であることはSで述べました。しかし、この考え方が人々の間になかなか浸透しないのは、日本の社会では、失敗の「原因究明」と「責任追及」を分けて考えようとしない風潮があるからです。日本人というのはどうも、失敗が起こるとその原因を探って事実関係を明らかにする前に、失敗の当事者を「とんでもないことをした」、「絶対に許せない」と責め立てて溜飲を下げているようなところがあります。そして、当事者の処分が決まると問題が解決したかのように思って、もう失敗のことは考えない。だから、この国では失敗が繰り返されるのです。
 当事者の「責任追及」をすることも必要です。しかし、それだけでは次の失敗は防げず、むしろ再生産をするおそれがあります。大切なのは、失敗がなぜ起きたのかという「原因究明」と、二度と失敗を起こさないようにするためには何をすべきかという具体的な対策を立てることなのです。



 これは同感される方も多いのではないだろうか。
 もっとも、この筆者は終始「日本は」「日本人は」「日本の社会は」という言い方で日本のダメさ振りを強調する書き方をしているのが多少首をかしげさせるところがあり、この本を玉とすればそこにある瑕のひとつともなっている。彼に言わせると、失敗が繰り返されるのは世界に日本特有のことであるらしい、と皮肉はともかく、まあ、ひとつのステレオタイプとしてそういう傾向の人というのはいるものだから、まずは気にせず内容の有益なエッセンスを汲めばよいのだけれど。(余談だが、こと「責任をヒステリックに論う」傾向は、民主社会の陥りがちな通弊でもあろうかとも思う)

 さて、とは言ってもこの点、号令だけではなかなか効果はないのであって、具体的に踏み込んだ提案もなされていて、僕はそれが非常に参考になった。以来、さまざまに思索中。
 それは次のような主張。

  原因究明と責任追及を分けるためには、アメリカで行われている司法取引制度のようなシステムを日本でも採用すべきなのではないでしょうか。司法取引制度というのは、犯罪当事者に免責の保証を与える代わりに真相を語らせるシステムです。これを、組織の中にも取り入れたらどうでしょう。社長や事業部長、あるいは原因調査を専門に行うスタッフに免責付与権を与え、失敗当事者に真相を語る場を設けるのです。後に起こる大失敗を防げるのだとしたら、一件の失敗の当事者を免責にしてすべてを語ってもらう。組織の失敗対策としては、こうした合理的な考え方が大事だと思います。
 なお、免責というチャンスを与える代わりに、やはりアメリカで採用されているような「懲罰的賠償」の発想も必要です。これは、わかりきっている決まりを守らず、社会的に許されない手段で自分の得を得るようなことをしていた人に対して、気づかないうちに失敗してしまったというような人よりも、格段に重い罰を与えるという、失敗の法的運用です。つまりそのような行為を、直接に損害を与える意志があったものとして取り扱う「未必の故意」と考え、それによって生じる失敗に対しては重罰を与える制度です。



 これは非常に良いヒントを与えてくれた。
 司法の場においては効果と同時にさまざまな問題もあることは承知しているが、ここに筆者が言うように、組織においてそうした趣旨とシステムを整備することは、なかなか研究の価値があるように思う。

 さらに、次のような話も続く。

  重要なのは当事者がウソのない告白をすることです。したがって、組織の失敗を防ごうと思ったら、先にふれた免責の考え方を導入するなどして、当事者に安心して失敗を語らせる機会を与えることが必要でしょう。または、ふだんから失敗を自由に語れる雰囲気をつくっておくことです。私はよく、「失敗の駆け込み寺」という言い方をしているのですが、組織の中に失敗を扱う部署なり人物なりを置くのが本当は一番いいのです。欧米企業の中には、失敗だけでなく不満や疑問を匿名で吐き出せるようなスタッフを、社内のどこにも属さない独立した存在として置いているところがあります。
 実は日本の企業の中にも、失敗を告白できるような風土を持つ会社が、ごくわずかですがあります。住友スリーエムでは、すでに五十年前に「失敗をとがめて社員を辞めさせてはいけない」という方針を制度として打ち出し、現在はそれが社是になっています。もし社員が失敗したとしても、その一五%くらいは必ず成功につながるという発想です。現在、オフィスで使用されている「ポストイット」は同社が開発したものですが、これも「よくつくが、簡単に剥がれてしまう」という奇妙な接着剤の失敗作を、棄てることなく、利用したことが成功につながったのです。失敗をネガティブにとらえる企業風土ならばあり得なかった製品です。
 このように、失敗を前向きにとらえる文化が根付いている会社には底力があります。失敗の取り扱いをどうすべきか、企業全体として取り組めば、何かの事情で一時的に苦境に立たされることはあっても、必ず復活する底力がついてくるのです。




 長くなったが、それでもここに紹介したのはごくごく一部、関心のある方はぜひ一読されてみてはと思う。
 まるごと勉強というわけではなかろうとも、自分自身の思索の触媒となるアイディアは豊富に載っていると思う。

 ちなみに、サイトでは「失敗知識データベース」もお薦め。^^)

 
posted by Shu UETA at 18:24| Comment(0) | TrackBack(1) | 戦略戦術 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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