- 美浜原発のタービン建屋内蒸気漏れ事故
- 福井県警捜査本部は、配管破損部分が極端に薄くなっていたことなどに注目、業務上過失致死傷容疑での捜査進める
- 配管本来の肉厚は10ミリだったが、破損部を測定したところ最小で1.4ミリまで薄くなっていた
- 配管が腐食などですり減る「減肉」という現象が知られており、事故でも薄くなった配管が圧力によって延ばされ「延性割れ」という破損を起こした可能性が指摘される
- 破損した配管が肉厚4.7ミリ以下になると交換することになっていたにもかかわらず、76年12月の運転開始後、一度も超音波検査を受けず交換もされていなかった点などをめぐり、事情聴く方針
- 立ち入り禁止区域外とはいえ、原子炉運転中に200人以上が屋内で作業に当たっていた点も重視
現在及び将来にわたるエネルギー事情に鑑み、個人的には当面の期間における原発擁護派ではあるが、結論からいって、正直これ以上は庇いきれない…
(私が庇い立てできる立場ではないが… ^^;)
まだ人災との結論が出たわけではないが、少なくとも規定の交換基準を守れていなかったことは事実であり、検査をしていなかったのでは基準を下回ったことに気付くはずもない。
多少なりとも安全業務に関わったことのある人ならわかるだろうが、安全活動というものは言わば、例えば若い従事者などが大袈裟でバカバカしいと感じるほどのことを、厳しく教育し、強いてやらせるような活動なのである。つまり、通常の感覚ではバカバカしく思えるほどに、危険域からのマージンがとってあるものなのだ。
近年、日本人の安全管理能力、品質管理能力が低下しているような気がしてならない(同等の条件で定量的に比較できないため杞憂とも言えるが)。神話とまで言われたかつての水準に比べるのは厳しいのかもしれないが、もし比較して差がみられると仮定した場合には、それは、能力というよりは、多分に姿勢の問題であり性格傾向の問題なのではないだろうか。
近年に見られた人為的な過失あるいは悪質な不作為、さらに今回のような事故を見て、原発の安全な運転を信頼することは難しい。
今回の事故が放射能洩れには関係しそうにない部分の事故であることは一目瞭然だが、このような安全管理状況を目の当たりにして、同じ人々の管理下にある原子炉において事故を防ぐ安全活動が適切に行われていると信じることがどうしてできよう。
昨日の防衛庁と三菱重工のミサイル問題もそうであるが、電力会社についても、「もう君のところには頼まない」と言えないところが難しいところだ。
前にも別の記事で書いたが、このような昨今の状況で、さまざまな分野における規制緩和、民営化の声が高いのはまるで冗談のように思える。
話が脱線したが、エネルギー問題において、当分の間は原発を活用せざるを得ないが、国家としては一刻も早い抜本的新エネルギー技術の開発に血道を上げるべきだと思う。
私は、危機・危険というものは、起こりえる頻度と起こったときの衝撃、影響との積で考えるべきものと思う。
原発に関して言えば、仮に今後安全管理がきわめて適切に行われ、危険出来の可能性が限りなく低下したとしても、出来してしまった際のimpactが巨大であることに変わりはない。