2005年06月11日

状態が良い中で変化を


 昨夜、TV雨スポは、「千葉ロッテ・渡辺俊介〜アンダースローの美学」だったので、もちろん僕は楽しみにいそいそと視聴したわけだが ^^)、さすが、なかなか良い言葉を言っていた。

 僕らロッテファン(もしくはパリーグファン、あるいは単なるセリーグファンでない野球ファン)にとっては最早何の説明も必要ない一流投手だが、一応軽く紹介しておくと、

 渡辺俊介、千葉ロッテ・マリーンズ投手、5年目、昨年12勝6敗、防御率3.74
 といった成績よりも、何よりも、アンダースローが彼の特徴。

 昔は(とりわけパリーグは)多くのアンダースロー投手がいて、中には阪急のエース山田久志をはじめ数々の名投手(ロッテなら仁科も)がいたものだけど、近年は絶滅の危機にも瀕していた。
 なお、渡辺俊介は、過去のどんなアンダースロー投手よりも低い位置から球をリリースする(地上10cm前後)、文字通り「世界で最も低いところから投げる投手」。

 (今日の話のテーマではないけれど、その投球フォームの美しさ、ぜひ一度ご覧あれ ^^;)

 (これも余談ながら、彼の投球の「間」は、弓術でいうところの「離れ」の極みを彷彿とさせる(彼自身も弓矢の例えを口にすることも。)僕は居合、抜刀が専らだが、その投球の「発っしかた」、「離れ」、飴を伸ばすようなひと続きの動き(段差なく一挙動)に魅せられ、抜刀の参考にもしているほど ^^;) 抜き付けもかくありたしと思う)

 球界久しぶりのサブマリン投手として注目を浴びつつも、最初の2年ほどは芽が出ず、1軍2軍を往復。
 3年目に9勝をあげ、4年目の昨年には12勝、そして今年は現時点で既に8勝1敗、防御率1.61(1敗も0−1での完投負け)。

 (プロフィールや写真、ムービーもあるファンページ: My Pace

 さてその俊介、TVでは入団後の低迷状況やそこからの脱出の契機などについても話していたが、僕がなるほどと特に感心させられたのは、「状態の良い中で変化を」という言葉。

 前述したように、ハーラートップの8勝、防御率1.61と、今季の俊介は今非常に良い状態にある。

 が、「今もフォームを変えている」と彼は言う。

 そして「勝ってるとき、状態の良いときのほうがこわい」と言う。
 いちばん良いところ、頂点にいると思うと、あとは落ちていくのがこわいのだ、と。

 だから、今も登板のたびに常に工夫を重ね、フォームをいろいろ変えている、と。

 それを、「状態の良い中でさらに変化させていく」のだと言っていた。

 考えてみると、これというのは、野球、ましてただ投球ということに限らず、万事に通じることだと僕は思う。

 誰しもそれぞれのこれまでの人生で多かれ少なかれ、プライベートにも仕事にも、さまざまにある種の好調不調の波ということを経験しているだろうし、心ある人、向上心ある人であれば、個々にそうした「波」との付き合い方を考えているだろうと思う。
 また、社会や経済、政治、会社経営においても、さらに遠い目をするなら文明といった規模でも、何かそうした「波」のようなものはある、それが不可思議なものであれ、きわめて人為的なものであれ。

 そうした中で、人々が問題意識をもって改革だとか改善だとかと言い出すのは、不幸にしてたいていの場合、既に「波」は低調期に入っている時期だ。
 経営に暗雲が観測されて慌てて問題意識を持つ、景気が悪くなって経済運営が見直される、犯罪が増えてはじめて治安が問題にされる、議席を失ってあわてて党の人気回復策が取り沙汰される…
 もっとわかりやすく言えば、健康に陰りが出てはじめて健康法などに目を向けるように、こうしたことは、どうしても人間の本質的な性質なのかもしれない。

 ところが、世間のさまざまな観察においても、僕個人のささやかな経験からしても、実は既に下降している時点での対策というのは、非常に選択肢が限定され、かつ実行しても効果を上げるには相当のエネルギーがいる。つまりは、重力以上の推力が求められるということだ。
 しかも、精神的にはむしろ既に元気が陰ってしまっている場合も多い。経営資源だって既に潤沢ではない状況に陥っている場合も多いのだ。

 そこで、例えば危機管理という思想の基本がそうであるように、本来は、事態が悪化してから対策するのではなく、状況が良いうちにうてる手をうっておくということが理想だ。
 状況がよいうちであれば、元気も資源も十分に活用できる。

 かの野村克也氏も、「ピンチのことは、ピンチでないときに考えておかねばならない」と言っている。
 あるいは勝海舟は、逆に不運期にはじっとしゃがんでいるに限ると言っている。

 ところが、僕たち人間というものは、うまくいっているときにあまり楽しくない創造力を逞しくするということが得意ではない。^^;)
 あるいは想像し得ても、なかなか腰があがらない。いま困っているわけではないから。
 そして、悪い状態になってから、「じっとしゃがんでいる」余裕は最早なく、必死にもがく。^^;)

 俊介は「戦う」のが仕事であるプロのスポーツ選手の一人だ。
 そこで、彼の言葉は、上述したような単に好不調と付き合うという視点だけでなく、「戦い」というものの性質にも関わってくる。

 これもやはり人間というものは一般に、勝っているとき、勝てているときには、方法を変えたくないものだ。それは人間心理としては実に容易に理解できる。
 が、結果、往々にして、その勝利法が通用しなくなってはじめてそれを見直すことになる。それどころか、場合によっては、通用しなくなっていてもなおそれを直視し得ず、延々とそれを繰り返して泥沼に陥ることもある。成功体験がかえって人を、組織を弱くする場合、というのがこれだ。

 戦いというならば、戦略戦術や兵法ということが想像されるが、そうした分野において、「同じ戦法を繰り返さない」という言葉はさほど新鮮なものではない。
 源義経にしても織田信長にしても、一度勝利した方法を再々繰り返すことをしないのは有名だ。


 俊介が言う「状態の良い中で変化を工夫する」というのは、僕ら誰もが思うべき人生術のひとつでもあり、経営の着意でもあり、政治家の心すべきことでもあると思う。

 そして僕は、ともすると現状の好調に甘んじがちな人間の本質に反してそうした着意を支えるものは、「いつ悪くなるかわからない」という悲観的な心よりも(いや、それも効果はあるが)、もっと上手くなりたい、もっとhappyになりたい、もっとよいやり方が、もっと新しい工夫が…という前向きな「気概」でありたいと思う。
 そして、「変化」を恐れず、面倒がらず、「変化」を楽しむ心でありたいと思う。

 武術家の甲野善紀氏などは、まさにそうした「気概」と心の権化のような人だが、思えば、歴史に名だたる武術家も、あるいは今日の優れたアスリートも同様だ。
 実は武術をはじめとする稽古ごとや、スポーツには、そうした心性を養う意義もあるかもしれない。

 戦いにおいても、自分磨きにおいても、スポーツでも経営でも、学問でも、政治でも、満足することない向上心と、「変化」を楽しむ心、それがいつも新しい何かを切り開いてきたように思う。
posted by Shu UETA at 21:46| Comment(2) | TrackBack(0) | 思索 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
プラスな気持ちが、さらにプラスな結果を生むのかもしれませんね。

戦術的な思考とは別に、精神的な意味でですけど。

もちろん、精神的なものも戦術に組み込むことも必要ですよね。
Posted by jk at 2005年06月17日 16:50
> jkさん

> 精神的なものも戦術に組み込むことも必要

 さっすが、鋭いご着眼ですよね。
 およそ人間の行うことである以上、戦闘であれ競争であれ、戦略だの戦術ということが理論的にいろいろ語られますが、最も重要で難しいのは、人間のメンタルな問題だと思います。

 特にスポーツなどは、個々の能力、チームとしての戦力というものが、その属すリーグ等のレベルにおいては、そう格段の差があるわけではなく、非常に高いレベルで粒がそろっているので、とりわけメンタル面での施策のありかた、是非ということが、結果に大きな影響を持ち、ゆえにスポーツから学べる戦略戦術事項とは、人間のメンタル面をどのように「組み込む」か、それが最大のものだと思います。
Posted by Shu at 2005年06月17日 22:41
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