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2004年07月31日

スーダン虐殺に制裁警告 安保理決議採択

スーダン虐殺に制裁警告 安保理決議採択

・スーダンでのアラブ系民兵による黒人系住民の大量虐殺問題で
・国連安保理事会は、スーダン政府に制裁措置の発動を警告する決議を採択(賛成13、棄権2:中国、パキスタン)
・決議は、スーダン政府に対し同国西部ダルフールで虐殺を引き起こした民兵組織の武装解除や残虐行為に関与した指導者の訴追を迫る
・決議不履行の場合は経済制裁など国連憲章第四十一条に基づく「さらなる行動」を取ると警告
・解決に強い意欲を示している米国は当初、決議案に「制裁」の表現を盛り込むよう提案していたが、安保理内の意見が分かれたため、表現を緩和
・国連は、紛争で三万人が死亡、避難民は百二十万人に達しているとみている

 このダルフール危機については既に以前から報道されており、解決に向け各国が声明、提案を発し、あるいは閣僚をスーダンに派遣したりしてきたが、この間、日本政府は一切興味を示していない。
 あげく、国連事務総長から異例の関与催促を受ける始末。
 (一層関与を 国連総長が小泉首相に書簡

 やはり、哀しいかな日本は世界のあり方などに何の意志も構想もなく、安保理常任理事への就任も単なる自負のレベルを越えるものではないのだろう。(と、日本人が思うのだから、諸外国の感想も推して知るべきか…)
 かねて記事にも述べたように、仮にも常任理事国へ名乗りをあげるなら、世界の安全保障に責任をもつ覚悟と構想力を持たねばならないと思うのだが、政治家も外務省もマスコミも、現時点では意志も力も欠いている。(ドイツは先日外相がスーダンを訪れている)

 以前述べたように、私自身は日本の常任理事国入りについて現在まだ意見を保留(研究中)しているが、常任理事であるとないとに関わらず、また目指すと目指さないとに関わらず、国益に照らしてでも日本は日本にとって住み良い世界を構想すべきであるし、また世界の一員として、国益を別としても、世界の安全保障環境を構想すべきである。
 平和憲法を日頃世界に豪語しているのは常に、日本が協力できない言い訳としてばかりであるが、そうではなく、その平和憲法の精神を、世界の平和構築への尽力というふうに生かしていかねばならない。
 俗にいう左派の人々も、常々、軍事力でなくとも平和貢献はできると言っているが、それが実際に具体的に構想、提案された試しがない。
 日本は一体、日本のためであれ世界のためであれ、世界をどうしたいのか?そのために何ができるのか?どのように一肌脱ぐことができるのか?
 おそらく外務大臣にもこのような意識はないだろう。いまこの瞬間にスーダンについて尋ねても、よくは知らないか、知っていても「遺憾に思う」のがせいぜいではないだろうか。

 このような状況を打破するためには、
(1)政治家がもっと世界に興味を持たねばならない。そのためには国民がそうあらねばならない。そういう世論をつくるためには、マスコミが世界に重大な関心をもつべきだ。
(2)外務省に、日本の国際問題関与を担当する部署を設置する。
(3)あるいは外務省の総合政策局が、このような面での日本の意志と構想を立案する任務を付与されるべきだ。

 まずこのような点をクリアしなければ、日本は安保理事会ではお荷物になってしまうだろう。

 政治に限らず、仕事でも、スポーツでも恋愛でも、まず必要なのは目標のイメージだ。そうしたイメージ、デザインなくして、どうして方針を設定することができるだろう。

(参考)

制裁決議、近く採択へ スーダン紛争で国連安保理(7月3日)

スーダン概況(外務省)

極東ブログ: スーダン・ダルフール州の民族浄化
極東ブログ: スーダン虐殺は人道優先で。
posted by Shu UETA at 16:38 | Comment(3) | TrackBack(0) | 天下-vision・社会
この記事へのコメント
こんばんは。はじめまして。
この前、NHKでスーダンのこの問題の番組を見ました。
衝撃でした。
自分とは、かかわりのない世界のことも積極的に知ろうとすることは大切だと、今さらながらに痛感しました。
こうして幸せにのほほんとすごしている時間も世界のどこかで緊迫した状態が続いている。
虐殺なんて・・・ひどいですよね。それにスーダン政府も関与している等・・

Shuさんが おっしゃっているように・・・

>このような状況を打破するためには、
(1)政治家がもっと世界に興味を持たねばならない。そのためには国民がそうあらねばならない。そういう世論をつくるためには、マスコミが世界に重大な関心をもつべきだ

まさにそのとおりですね。
今後もいろいろと知ろうとする努力から、していきたいと思います。
Posted by Youyounonbiri at 2005年07月15日 01:54
> Youyounonbiriさん

 はじめましてっ

 思えば、この頃から1年近くが経とうとしていますが、あらためて読み返すと多少辛辣に過ぎるきらいもありますね。^^;)
 (が、実際この時点では本当に日本の認識は無いに近かったのです。当時は外務大臣もちょっとのんびりした方でしたし ^^;) 本文中にある通り、国連事務総長から苦言を呈されるなど、恥ずかしいような異例の様子でした)

 しかしちなみにその後は、(おそらく番組でも触れられていたのではと推察されますが)日本も、自衛隊や文民の対応可否調査を含め、対応を検討してきているようです。

 国家のあり方としては、もちろん、必ずしも世界に対して構想を企画したり、世界の平和秩序の維持に関心を持ち、関与しなくてはならないというわけではなく、そこは国家のあり方の選択とは思うのですが、日本ほどの国力規模になると話は別にもなってくるもので、「国力に応じた分担、関与」ということは国際社会で決まり文句のようにもなり、またそれはもっともなことかとも思います。
 まして、安保理常任理事国入りを標榜しようというなら、なおのことでしょう。(軍事貢献をしないとしても)

 僕が以前から不満に感じることのひとつに、国内のニュースメディアでは国際ニュースの位置づけが非常に低いということがあります。
 新聞はまだましとしても、TVニュースでは、海外ニュースの少なさは驚嘆ものです。

 それは国民性に帰結するのかもしれませんが、それは一部の人が言うような島国根性のようなものではなく、やはり敗戦以降の国民意識としての(良い意味においても)自粛、謹慎のような縮み志向であったかと僕は思います。

 現に戦前においては、まったく日本に関係ない地域の事情や紛争についてさえ庶民も新聞で事細かに読み、国レベルはもちろんのことですが、庶民レベルでも世界の動向に大きな関心と良き気概をもっていた時期もありました。
 例えば大正期にあったドイツの侵攻に対するベルギーの中立をまもる奮戦に感じて義捐金等の支援に立ち上がったようなこともありました。
 戦前の国連(国際連盟)における日本の常任理事国の地位は、国力のみならず、実に国民の意識においても、十分に見合ったものだったと思えます。

 かの大戦の後、国民意識として世界に対しての口出し自粛、謹慎的態度を抱いてきたのは、ある意味で日本人らしい、良き控えめな反省であったでしょうけれど、そうした謹慎期間は過ぎ、もはや世界は日本をそのような目で見てはいません(一部の近隣国は別でしょうけれど)、むしろ、もっと知恵も力も出してくれというほうが近いかもしれません。

 再び、日本人が世界に対する善き気宇と気概をもつべき時節にきているように思います。
 (過去一時期のいわば誤てる気宇の反省は、気宇を持たないことではなく、善き気宇を持つことで示すべきと思います)

 うっ、どうも長くなってしまいました。^^;)

 今後ともよろしくお願いします。
Posted by Shu at 2005年07月15日 02:42
こんにちは-☆
はじめての私のコメントに長文のくわしいRESをいただき、どうもありがとうございました!

>僕が以前から不満に感じることのひとつに、国内のニュースメディアでは国際ニュースの位置づけが非常に低いということがあります。
 新聞はまだましとしても、TVニュースでは、海外ニュースの少なさは驚嘆ものです。

まさにそうですよね。
だからこそ、なおさら意識して世界のニュースに関心をもっていかないといけませんよね・・・(私のようにのんびりやにとっては特に)
毎日のたくさんの情報に埋もれてしまいますよね。
それから、メディアの話題の情報提供も人間がやっている以上、何を報道するどのように報道する報道の仕方によっては方向も正しく伝わらないということもありますよね。
正しく見えるサングラスでもあればいいなって思います。(∩.∩)
失礼しました。。。



Posted by Youyounonbiri at 2005年07月16日 13:51
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