2005年05月22日

靖国問題とサンフランシスコ条約


 首相の靖国参拝問題についての自民党加藤紘一氏のコメントが昨日報道されていた。

 小泉首相の靖国参拝、自民・加藤氏「控えた方がいい」(読売)

 ここで記事見出しにある通り、「控えたほうがいい」という見解そのものは(僕とは相違するとしても)一つの見解であってそれを特に珍奇に思うわけではないし、僕自身斜め読みして通り過ぎかけたのだが、否応もなく引っかかってしまったのが、その主張の根拠をサンフランシスコ講和条約に求めるという見方だ。

 前述したとおり、首相参拝の是非については、さまざまな立場からの見解もあるだろうし、また政治、外交における些か高度な判断に拠るべき面もあって、一人の政治家がそれを是とするも否とするも、そのこと自体を論うつもりはないが、こうした反対根拠を持ち出すのはいかにも問題ではないだろうか。

 上記記事の概要は次のとおり。

 
  •  自民党の加藤紘一元幹事長は21日、札幌市内のホテルで講演
  •  首相の靖国神社参拝問題について、「サンフランシスコ講和条約という、一国が最も守らなければならない条約を、日本が守るかどうかというテーマだ。参拝は控えた方がいい」と述べた。
  •  合祀されているA級戦犯に関しては、「分祀か、慰霊の公園を別途作るということしかない」との見解を示した。

(読売新聞 05/05/21)



 靖国参拝問題については、これまでもこうしたサンフランシスコ条約に根拠を求める議論が反対派の一部から取り沙汰されてきており、そう新鮮なものではない。

 しかし仮にも真っ当な政治家(政権能力ある政党の、しかも役員経験もあるような大物の、という意味で)としては、あまりにも安易な認識ではないかと思う。

 安易に過ぎるのでは、と言う理由は、
 まず、法解釈等を含めた事実認識として、
 次には、みすみす対立争点を新しく提示し、また、氏の立場の大きさを考慮すると、それは国内のみならず中国側にも利用され得るという、自らの見解立場がいずれであれ、問題解決においていっそう問題を複雑化させかねないという不用意さである。

 いわゆる外務省チャイナスクールと揶揄される集団ではないが、田中真紀子氏や河野洋平氏等々同様、こうした発言だけを見ると、果たして彼は意図的に中国との連係プレーを行っているのだろうかと勘繰る者が出ても不思議ではないとも言える。

 重ねて強調しておくが、
 僕自身は現時点において、首相の靖国参拝を停止する必要はない(どころか、問題がこうなってしまっては、かえって停止させるわけにいかない)と考える立場であって、参拝停止や代替施設検討などの意見には反対の立場であるけれども、今日上記のように問題視しているのは、そうした意見の相違とは別の問題だ。

 当然、氏が前提にしているのは、サンフランシスコ講和条約第11条における次の条文だと思われる。(他に戦犯関連の条文はない)

 いわく、
 第十一条【戦争犯罪】
 日本国は、極東国際軍事裁判所並びに日本国内及び国外の他の連合国戦争犯罪法廷の裁判を受諾し、且つ、日本国で拘禁されている日本国民にこれらの法廷が課した刑を執行するものとする。これらの拘禁されている者を赦免し、減刑し、及び仮出獄させる権限は、各事件について刑を課した一又は二以上の政府の決定及び日本国の勧告に基くの外、行使することができない。極東国際軍事裁判所が刑を宣告した者については、この権限は、裁判所に代表者を出した政府の過半数の決定及び日本国の勧告に基くの外、行使することができない。


 言うまでもなく条約以前に執行された刑については既に執行されていたのであり、その後については、与野党の党派を超え、国民多数の嘆願署名の後押しをも受け、本条文に規定される通りに「裁判所に代表者を出した政府」との交渉の結果、減刑、放免が行われた。

 では何故に、首相の靖国参拝がこの条文にいまさら拘束され、加藤氏によれば「サンフランシスコ講和条約という、一国が最も守らなければならない条約を、日本が守るかどうかというテーマ」とされるのか。

 それは、条文中の「日本国は、極東国際軍事裁判所並びに日本国内及び国外の他の連合国戦争犯罪法廷の裁判を受諾し」という部分を踏まえてのことと思われる。(一般的にこの条約とリンケージさせての反対派の論はそうである)

 つまり、条約においても確約したはずの「裁判の受諾」にもかかわらず、その裁判で犯罪者とされた人間(が共に祀られた神社)を首相が参拝するのは、首相(つまりは日本)が当該犯罪者を勝手に許し、あるいは犯罪者とすら見ていないのではないか、それは条約の約定に違反するではないか、と、こういうことだろう。

 既にかつて月並みであった議論であって、僕がここで今さら口角泡を飛ばすのも独り相撲の観なきもあらずなのだが ^^;)、かといってでないと話がつながらないので、以下に簡単に述べておきたい。

 まず、「裁判の受諾」ということはこの条文の主点ではなく、その後の部分にある、日本が確実に「法廷が課した刑を執行する」こと、「赦免し、減刑し、及び仮出獄させる権限」は、刑を課した国の政府(東京裁判については、代表国の過半数)の決定がなければ行使することができないということ、これらの確約に主点があるのであって、つまりは、講和したからといってそれらの刑を勝手に帳消しにするなよ、ということだ。
 さらに言えば、いわゆるアムネスティの適用除外のための条項ということになるだろう。

 そのことは、条約の英文を見れば、なお理解しやすい。
 当該部分はこのように記述されている。

   Japan accepts the judgments of the International Military Tribunal for the Far East and of other Allied War Crimes Courts both within and outside Japan,and will carry out the sentences imposed thereby upon Japanese nationals imprisoned in Japan.


 つまり、「the judgments of the International Military Tribunal」を「accept」せよと要請しているのであって、訳するならば「国際軍事法廷の判決」を「受諾」せよということだ。
 日本文に訳したのは当時の外務省だが、法律用語で「判決」とされる「judgements」を何故か敢えて「裁判」と訳している。(裁判ならすでに否応なく受諾したはずだが ^^;)
 (このあたりも、突っ込んで資料にあたるといろいろ由々しい点も多いようだが、テーマを逸脱するので今日は措く)

 「判決を受諾せよ」ということは、つまり、講和条約は結ぶけれども、だからといって「判決」を勝手に無効にしたり減じたりしてはならない、日本が自らの責任において「判決」の執行を確実に履行せよ、という要求であり、日本が批准するということは日本がそれを約束するということだ。
 それが、「日本国で拘禁されている日本国民にこれらの法廷が課した刑を執行する」という文である。

 ただし、同じく条文では、「赦免し、減刑し、及び仮出獄させる権限」は、「各事件について刑を課した一又は二以上の政府」あるいは東京裁判に関しては「代表国の過半数」の決定によっては可能であるという留保をつけている。
 これにより、日本は各国と交渉し、赦免を行った。

 ちなみに、国際法においては当時よりずっと以前に既にアムネスティが慣習法として成立しており、こうした国際慣習法に反するという観点から、この講和条約批准国にももとよりこの11条の規定に関する反対、非難の声は大きかったこともあり、そうした世論もあって、日本の当該交渉はスムーズに進んだものと思われる。
 (アムネスティ(国際法上の大赦):講和条約の法的効果の一つ。講和条約の締結と発効は、国際法上の交戦状態を終了させ、同時に戦時中の軍事行動の一環である軍事裁判の判決をも失効させ、すべての戦争犯罪人を免責する、というもの)

 このように、同講和条約に関して日本は忠実に条文通りの手続きを踏んで赦免を行ったわけであるが、既に死刑が執行されていた人々については、当然ながら「刑は執行済み」であって、これは既に減免のしようもない。

 さて、こうして見てきたとおり、この条約第11条における規定は、刑の確実な執行及び手続きに則った赦免減免措置というように、完全に遵守履行されており、赦免活動が終了した時点(つまり戦勝国が赦免を認めた時点)をもってこの条文の意義は完了している。

 ところが「裁判の受諾」という(限りなく誤訳にも近いが)文言をつかまえて、それが刑の執行のみならず、裁判手続きへの疑義であるとか、刑死者等の死後の扱いまでを拘束するかのように拡大(というよりも法概念を逸脱)して論じているのが、昨日の報道によれば加藤氏であり、あるいは靖国参拝反対派の一部の論である。
 (余談だが、「絞首刑」という死刑を規定通りに執行した結果、被刑者が死亡しなかった場合、しかし刑は執行されたとするのが法のひとつの考え方である。まして死刑の意図するとおりに死んだ者、あるいは懲役等の刑を終えた者についてはいわんやもちろんのことだ。刑の執行あるいは刑期の終了後には刑は消滅するという法の基本精神である。)

 また、上述のような本来の文章構造(the judgments of the --- Tribunal)から、この条文の受諾が、裁判手続きであるとか、証拠採用や思考過程、判決理由等の「裁判そのもの」についての同意を意味するものでないことは、国際法学者たちが国際的に一致して認めるところであり、その点の疑義を主張するのもやはり些か無理があるだろう。

 靖国問題で非難される合祀されたA級戦犯とは、刑死(日本の立場では法務死)した方々であるが、それらの方々とは別に、A級戦犯者にはその後首相になった岸信介氏ら各界で活躍した人物が数々いる。
 ここにいたっては、首相の靖国参拝どころか、首相自体がA級戦犯であるわけであって ^^;)、まして戦勝国の首魁たる米国との交渉(安保改定等)においても、その適格性を疑う声など米国はじめ世界のどこからも上がっていない。その時点では米国は日本の味方だからと甘いことを言う向きもあるかもしれないが、やはりA級戦犯の重光葵氏は外務大臣として日ソ国交回復交渉に携わっている(鳩山内閣)。

 わが国とて(あるいは加藤氏は)、靖国参拝を非難する論拠を講和条約に求めるならば、岸氏の首相資格をも否定し、彼を首相に据えたような、党のあるいは国民全体の責任をも問わねば論旨に一貫性が保てまい。
 もっとも、つらつら上述したとおり、そのような理屈は成り立たないが。

 誤解のないようにあらためて述べておくと、
 謝罪的な感情あるいはそれを求める感情であるとか、靖国参拝に関する隣国の感情といったメンタルな問題(今日は仮にそれを真に「メンタルな問題」と仮定しておくが)は、必ずしもそうした法概念、外交取り決め上だけで片づく問題ではない。
 つまり、したがって今日述べてきたような条約及び法の概念を根拠として、イコール「靖国参拝には問題なし」と言うのは全く論理的でなく、僕にもそのつもりはない。

 ただ確認が必要であるのは、靖国参拝に「問題あり」と言い得る理由はもっと他のことであって、少なくとも講和条約を論拠(その時点で条約及び法概念の話になってしまう)にして反対を唱えるのは間違っているのではないかということだ。

 政治上の問題というのはたいてい何事も、一方が一方的に正しく、他方が全くナンセンスであるということは通常無いものだ。いずれの論にも一定の理はあり得る。そうしたものどうしの議論の中で、よりよき道を探っていくものであり、であるからこそ政治とは実に困難かつ責任重く、厳粛であるべき業であろう。

 この靖国参拝問題(今日のところは違憲問題は別にして対中関係の視点でいえば)にしても、参拝を否定するとすれば、それはいわゆる対中外交あるいはアジア外交と、わが国の戦後の誓いであるとか、自国の自律性の問題、国家の戦争に殉じた戦没者あるいは遺族の問題、等々々々…そうしたさまざまな要素とそれらの重み付けの上で、月並みな言い方をすれば「高度な判断」が求められるのであって、その判断に携わる政治家とはこうした骨の太い判断と決断をするべきであり、仮に反対論を唱えるにしても、今回の報道が真実であるとすれば、政治家としての加藤氏の見識を疑わないわけにはいかないのではないかと思う。それは、国際常識に関する無知であり、思考における浅薄ではないだろうか。

 なぜもっと政治上の持論による論を述べないのだろうか。上述したようなさまざまな要因を大胆に整理して自ら信じるところを主張するのが政治家であって、ただ何らかの条文なりに頼って単にそれが根拠であるかのように言うのは、まさに(中国風に言えば)法匪であって、自らの真の思惑を隠して法(ここでは条約)を盾にする卑怯なやり方ではないのか。

 例えば、僕自身と見解は異にするにせよ、福田前官房長官であるとか民主党が言う代替施設の検討ということは、その他諸般の事情と天秤にかけたとしても中国の感情を害することが日本の外交上得策でないという、政治上の判断でもって議論をしているのであって、それが政治家として正当な態度ではないだろうか。
 そうした点の如何において論を戦わせ、衆議をもってよりよい道を探っていくのが政治でなくてはなるまい。

 今日のテーマからすると余談だが、ちなみに僕自身は、「天秤」にかけた上でも、現時点では靖国参拝中止あるいはA級戦犯分祀であるとか代替施設の整備ということは、参拝反対論者が期待するほどの利も少なく、かつむしろ多方面で禍根を残す程が甚大になるだろうと判断している。

 余談ついで、今日のテーマそのものとは関係ないけれど、靖国の外交問題化年表は、中国の政治状況や朝日新聞の活動等が合わせて一覧できて面白い、なかなかおススメのページ。^^)

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posted by Shu UETA at 12:16| Comment(1) | TrackBack(5) | 天下-vision・社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
こんにちわ 僕のブログでも大論争になってしまって大変です 僕は外務省の翻訳正解説です よろしかったらご覧下さい
Posted by 憂える浩 at 2007年09月14日 08:48
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