2004年07月27日

書生制度

 人には笑われるが、私は昔から「将来は書生を置きたい」と考えていた、。将来の夢のひとつといってもいい。 ^^;)


 明治大正期の小説などには、書生がよく登場する。たいていは、東京で成功している郷土出身者等の家に世話になっていることが多いのだが、掃除や客の取り次ぎなど、家のことを手伝いながら、学校に通うなどして勉強している若者たちである。
 三省堂大辞林によっても、「(1)学生。明治・大正期の用語。(2)他人の家に寄宿して、家事を手伝いつつ勉強する学生。」とある。

 なんら法制度的なものではないので、これを制度というのは語弊があるのだが、仮に便宜上「書生制度」と呼んでおきたいが、この書生制度は、次代を担う若者を育成するうえで、きわめて有意義な制度だと思う。
 上記の辞書によっても、単に家事をしながら勉強とあるが、実際にはその家の主、実社会で成功している人間の身近にあって、さまざまな言動からじかに学ぶことがどれほど多いことだろうか。

 また、書生をおく側からしてみれば、なるほど家事等をさせることにはなっているものの、実際の所、限りなくボランティアに近いものであったろうと思う。若者を育成するのに、そのように一肌脱ぐことは、社会で一定の成功を収めた者にとって当然のことであったのだろう。

 本日の産経朝刊、「日露開戦から100年」(ここのところ連日の引用、しかも当該記事の本論とはずれた観点からの引用で恐縮だが)では、広瀬中佐に私淑する杉野上等兵が妻にあてた遺書の手紙に、つぎのようなことが述べられているという。
 「子供が世に出るまでは田舎で教育せよ。その内一人は広瀬少佐へ高等小学校卒業後預けて海軍軍人に仕立ててもらふのだよ。」
 これは明治37年の話であるが、やはりその頃は、こういう感覚が普通に(それも軍人のような職業においてさえ!)あったのだということを思い、今さらながらあらためて、今日こうした慣習が消え去って久しいことを惜しく感じたところである。

 今日では書生制度などというものはなく、強いて言えば、一部の政治家のところでやや近いものが残っている程度である。

 なぜ廃れたのだろう?
 ひとつには、地縁の喪失ということもあるだろう、また、明治大正期とくらべ、収入格差が縮小し、平均化されてきたこともあるだろうか。
 しかし、教育という点での社会への貢献活動への意欲の喪失もあるだろう。
 私などは(未だ発展途上の若輩にも関わらず)、自分が人生で培ったさまざまな経験を、少しでも多くの後輩に伝えたいといつも熱望している。私のような成長途上の者でさえもそのような情熱をもっているのに比べ、世の一般において、自らの子供以外の対象にそれほど熱意を持てないのが当世気質だろうか。

 academicianさんの記事では、書生制度を、「『血』の連続性にかかわらず優秀な者を抜擢する日本的制度」だととらえ、さらに、アベグレンという日本研究家の著書「日本の経営」に、「日本的経営が、硬直的に見えて実は柔軟、血縁的に見えて実は流動性が高い」ことが、「養子」「書生」などの伝統との関連で論じられていると紹介している。
 また、「二世議員の跳梁、エリート層の縮小再生産」や、田原総一郎氏の「ある時期から日本の社長たちはその地位を血縁者に『禅譲』するようになった」という指摘を紹介して、そういった柔軟性は現在では壊滅的なまでに失われているとしている。

 現時点ではまだ全く具体化した構想に取り組んでいないが、このような書生制度を、税控除等も含め、文字通り制度的に奨励する政策を研究したいと考えている。


posted by Shu UETA at 07:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 天下-政策等 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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