2005年05月19日

(読書)「陛下の御質問」(後)


 前編からの続き

 最後に、例によって少し本文から引用して紹介しておこうと思う
 先述してきたような雰囲気が、多少感じてもらえるのではないだろうか。

  (戦後、片山首相への連絡事項より。首相友人の木下道雄氏を通じて)

 「片山は誠に良き人物と思うが、面識浅き為予の真意をいまだ良く呑み込みおらざるように思うから、木下から友人の間柄をもって良く諒解させよ」として、

 「物事を改革するには自ら緩急の順序がある。かの振り子が滑らかに動くのは静かにこれを動かす結果である。急激にこれを動かせば必ず狂う。この振り子の原理は予の深く常に留意する所である。改革しても反動が起こるようでは困る」

 「片山はしきりに予の環境が予を苦しめ、予が困っているであろうと気の毒がって同情してくれるが、予には前述の信條(公を先にして私を後にして、先憂後楽でいきたい)のあることを呑み込んでもらいたい。片山は予がもっと気楽に行動するように、又生活の上でも一家団欒して暮らすようになったら良いと思っておるようだが、輿論にも、現れた輿論の他にもう一つ隠れた輿論のあることを深く注意して欲しい」

 「片山は皇太子が予の膝元で教育されないことを人間味の欠如として心配しておるが、これも予の信條からきていることである。予の親としての真情から言えば、手許に置きたい。しかし、これを実現する為には家も建てねばならぬし、又目白の学習院に中等科の校舎を建てねばならぬ。政府の財政が果たしてその負担に耐えるや否や疑わしい…」


  (昭和58年、木村参院議長、通常国会後の報告)

 「目下、参院では、参院改革について話をすすめています。主に通常国会を十二月招集から一月招集にしよう、採決を押しボタン式にしようということが課題になっております」
 「私が開会式に行くのは、いつも一月下旬だね」
 「そうでございます」
 「一体、その間、国会は何をしているのだね」
 「すぐ正月になって休みがきてしまいますので、その後に陛下のお言葉をいただくことになっております。ただ、一ヶ月は実際には無駄になっておりますので、能率の面から言っても望ましくありません。参院では与野党とも、一月招集に異論がなくなってきておりますが、これには国会法の改正が必要でございます。いま、衆院の方に検討するように言っております」
 「うん」
 問答はそこで終わった。国会運営の非能率を婉曲に突かれた形だった。
 「一ヶ月間何をやっているか、陛下はご存じだったと思います。どう私が答えるかと思って聞かれたんじゃないですか。私は三年間の議長時代、八回くらい行ったのかな。(中略)政治的な発言は慎んでおられましたね。むしろ、こっちに気を使っておられる。『私はこう思う』というようなことは聞いたことがない。とにかく、国会のことは実によく知っていて、新聞もよく読んでおられた」



  (有名な雑草談義)

 三木政権で安倍晋太郎(故人・元自民党幹事長)が農相をつとめた時だが、昭和天皇のご旅行先で、案内役に立った安倍が、
 「ここから先は雑草です」
 とご説明すると、天皇は、
 「雑草という草はない」
 と異議をはさまれた。その話が政界に広がり、のちに田村が運輸相で内奏した折に持ち出して、
 「非常に感動致しました」
 と言うと、天皇はこう述べられた。
 「そんなに感動されても恥ずかしいのだけれども、ただ、雑草というのは人間のエゴからつけている呼び名である。かわいそうだよね。猛獣という言葉もあるけど、ライオンやトラから見たら、一番の猛獣はあるいは人間かもしれないね」

 さらに次のようなやりとりも田村から。
 「私は切り花が嫌いでございます。ハンティングもそうです。生活のためなら仕方がないでしょうけれども、興味本位で殺すということは、釣りでも嫌いでございます」
 「いまのは私のコメントはしないでおこう。釣りもハンティングもそれぞれにみなマニアがおることだし、切り花にも各流派があって、その人たちに悪いからね。いまは田村に相づちを打たないでおこう」
 と天皇はうれしそうに笑われた。


  (フォークランド紛争の折、ご進講に赴いた橋本外務省情文局長に)

 「サッチャーは軍艦をだすか」
 「いえ、そのようなことは絶対にありません」
 と断定的に答えたが、数日後、サッチャーは英艦隊の出動を命じた。


 (橋本氏の後任の三宅氏が北方領土に関し日ソ双方の立場を説明した際)

 「北方四島と北海道の間にある海峡の水深は何メートルか。潜水艦は通れるのか」
 と聞かれた。三宅は返答に窮し、困った顔をしていると、すっと話題を変えられたという。

 「ご進講は一回が四十分から一時間、大体三分の二くらいご説明して、三分の一くらいは質問の時間にあてる。質問の仕方はどぎつくないけど正確かつ細かいから、『この点は調べまして、次回にご説明申し上げます』と、答えられないのが必ず一つ二つありますよ。陛下は非常に気を使われ、次回までに難しくて調べられないような時も『あれはどうなった』とは言われない。ぼくが『もうちょっとお待ち下さい』と言う前に、なんとなくそっちに話を持っていって、催促しないような格好で思い出させるというのかね。それほど相手に気を使われる」


  (第一次佐藤内閣の松野防衛庁長官と)

 松野の記憶では、はじめての内奏の時、天皇は、
 「防衛の基本はどこか」
 とひと言だけ聞かれた。
 「どきっとしたな。答えられないほど、あまりにポイントを突かれたのでね。タンクがどうの、護衛艦がどうのということなら、念頭にあるけど、もっと根源的なことだよね。その時も、さかんに『陸海空はこうです』という説明を三、四十分したあとですよ。その一言で、陛下というお方は、我々よりももっと高いところから考えておられるんだな、ということを感じましたね」


 (第二次田中内閣の増原防衛庁長官と)

 自衛隊の歴史、近隣の軍事力、四次防(第四次防衛力整備計画)、基地問題などについて、増原が地図を広げて説明したあと、天皇との間で次のようなやりとりがあった。

 「新聞にいろいろ書かれているようなこと(当時頻発した自衛隊員の不祥事)を防止し、同時に隊員の士気を高めるのはなかなか難しいことだろうが、どんなことをしているのか」
 「ただしっかりやれと言うだけではうまくいきません。隊員の待遇改善についても、学識経験者の知恵を借りて努力しています。また、四次防策定でも、自衛隊員に名誉ある地位を与えることを考慮していますが、なかなか難しい問題です」
 「説明を聞くと、自衛隊の勢力は近隣諸国に比べて、そんなに大きいとは思えない。国会でなぜ問題になっているのか。新聞などでは随分大きいものをつくっているように書かれているが、この点はどうなのか」
 「おおせの通りです。わが国の防衛は、憲法の建前を踏まえ、日米安保体制のもと、専守防衛で進めており、野党から批判されるようなものではありません」
 「防衛の問題は大変難しいが、国の守りは大事なので、旧軍の悪いことは見習わないで、いいところを取り入れてしっかりやってほしい」


 
  (第二次中曽根内閣の森文相と、芸術院賞・学士院賞授賞式後のお茶会で)

 「大臣の国はどこか」
 「はっ、石川県でございます」
 「石川のどこか」
 「小松でございます」
 「うん、小松はいい飛行場があるなあ。これからの地方は飛行場のある町が発展するなあ」
 「陛下は昨年植樹祭においでになられて、しかも四日間ご滞在になられて、県民は大変喜んでおります」
 「うん、ずいぶんあの時は世話になったなあ」
 天皇は細かい地名をきちんと覚えておられた。森に、
 「白山の神社は立派になった」
 とか、
 「能登島に立派な橋がかかってよかったなあ。島の者はみな喜んでおるだろう」
 「はっ、それはもちろんでありますが、やはり和倉という観光地でございますから、和倉とその周辺の者が大変な喜びようでございます」
 「うん、和倉温泉もなかなかにぎわっておるな」


  (戦中、岡海軍中将に対して)

 岡は「カミソリ岡」と言われるほど頭の切れる長官だった。部屋に入り、天皇の前に進み出て奏上文を読み上げた。(中略)

 「ご苦労であった。岡にひとつだけ聞く。フィリピン戦線は作戦上、きわめて重大な地域になると思う。陸海軍の強調はうまくいっているのか」
 「はっ、水ももらさぬ緊密な連携をとっております」
 「では聞くが、フィリピン戦線の緊張が増しつつある時、航空力の強化、整備を急がなければならない。陸軍がつくった飛行機は『秋津洲』という航空機輸送船で運んでいると聞いているが、海軍には航空機の搭載がほとんどないような航空母艦があるはずだ。あらゆる面で性能のすぐれたその海軍の航空母艦をなぜ陸軍の輸送用に使わないのか」
 予想もしない、痛いところを突くご下問である。岡長官は絶句した。冷房もない部屋にじっと立ったまま、岡の軍服の背中に汗がにじみでてくるのが見えた。しばらく沈黙のあと、
 「いろいろ陸海軍ともに事情もございます。その点は、今後検討すべき問題だと考えます」
 と岡が答えると、天皇は、
 「あっ、そう」
 と言っただけで、それ以上の追求はされなかった。


  (檜垣郵政大臣が光ファイバーに関する説明をした際)

 光通信の説明では、グラスファイバーの現物を持って行った。天皇は手にとられた。
 「そうか、これか」
 「この銅線(原文ママ)は、二千回線分の通話ができます」
 「不思議なもんだ」
 「光の屈折を利用しまして…」
 「ところで、郵政大臣、聞くところによると、札幌から鹿児島までの主要通信網はグラスファイバーに切り替える工事をはじめたそうだが、そうか」
 「はい、年内には通信幹線はみなそうなります」
 「それは結構だが、もし故障が起きたら国民にも大変迷惑をかけることになる。耐久試験はやっているのか」
 檜垣は聞いていなかったが、
 「いや、やっておりませんが、グラスファイバーはピアノ線の何倍もの強さがあります。ガラス質で腐食もありませんし、故障の心配はないと思いますが、なお帰りまして技術者に確かめてみます」
 (中略)
 郵政省にもどって、担当者に確かめてみると、耐久試験の発想はまったくなかった。


 
 (河野一郎農相が林野行政について説明した際)

 「わかった。造林を大変熱心にやっているようだが、日本の造林は針葉樹を中心に進めている。闊葉樹(かつようじゅ)はどうしているのか」
 と質問された。河野はわからない。にらみ返したが全然通じない。仕方なく、
 「闊葉樹も適宜、植林いたしております」
 と答えたが、農林省に帰って聞いてみると、一本も植えていないことがわかった。河野は、
 「恥ずかしくて、二度と行けるか。ないがしろなんてとんでもない、オレは『この人にはかなわない』という人が地上に二人いる。一人は天皇陛下、もう一人はフルシチョフだ」
 と檜垣にもらしたという。檜垣の解説によると、
 「河野さんの眼光はすごくて、大抵ひとにらみで相手は縮みあがるのに、陛下にはまったく通用しないから、ショックだったんだ。いろんな意味で、陛下は完成された方でした」




 
posted by Shu UETA at 18:58| Comment(4) | TrackBack(1) | 読書他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
imaichiです。
以前に昭和天皇独白録という本を読んだことあるけど、これはそれよりも更に具体性(体験談)があって面白そうだね。マッカーサー元帥も最初の会談で天皇陛下のファンになったというのもうなずけますね(それで天皇制度を存続させたかは別にして)。早速読んでみます。
Posted by imaichi at 2005年05月20日 05:41
> imaichi

 うん、あの本ほど詳細ではなく、こっちはむしろもっと気軽な読み物風といった感じ。
 ただし、「質問」という一つのテーマに特化していること、そして実際の政治家へのインタビュで成り立っていることから、より印象深い面もあるかも。

 する側としてもされる側としても、質問ということの精度、難しさということはimaichiもよくよく了解していると思うので、自分に置き換えて読んでもなかなか面白く読んでもらえるのではないかなと思うよ。

 ただ、ごく薄い気軽な本で、大作、傑作なんてものではないので、その点よろしく。
 「読み物」です ^^)
Posted by Shu at 2005年05月20日 11:10
ごぶさたしております。
先週、この本を買ったばかりです。
昭和天皇のお人柄や徳の高さが特に好きというのもありますが、戦争中における昭和天皇の自己規定やら、語録も読んでいて、その延長で買ったものです。
「独白録」もそのうち買いたいなあ。
…ちなみにまだ(他に買った本を優先したため)呼んでません。ごめんなさい!
Posted by ぶんだば at 2005年05月23日 10:28
> ぶんだばさん

 おひさしぶりです。

 この本もなかなかよいですよ。^^)
 焦点が戦後に絞られているので、いろいろ当時の状況など思い出したりしながら読めますしね。

Posted by Shu at 2005年05月23日 20:54
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戦後の日本国憲法と天皇
Excerpt:  物事を改革するには自ら緩急の順序がある。かの振り子が滑らかに動くのは静かにこれを動かす結果である。急激にこれを動かせば必ず狂う。この振り子の原理は予の深く常に留意する所である。改革しても反動が起..
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Tracked: 2005-12-08 16:00
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