2005年05月19日

(読書)「陛下の御質問」(前)


 自慢ではないが、真に願い、意志することを、叶えられず、達成できなかったということは僕の人生には一度もないということを、僕はしかし自負はしている。(単に諦めの悪さからくる点も多であろうけれど、しかしそれが肝心 ^^;)
 それは単に欲しいものを手に入れるということから、生活の些細、あるいはより公的なもの、夢や野望につながるべき道程においてものこと。

 実はこれはまた別にテーマとしていずれ書いてもみたいのだけれど、そうした自分の中での「実績」は積めば積むほど、さらに自分のエネルギー源になるものだ。
 が、これは今日の話ではない。

 さて、威勢よく口火を切りながら、早速冒頭言に反するのだが、かく高言しながら実はひとつだけ叶え得なかった夢があった。それは、政治向きに関して
昭和天皇陛下に親しく内奏あるいは御進講奉るとともに、御見識、御謦咳に触れる光栄を得たいというものだった。

 僕はもとより政治方面に志をもっていたので、こうした夢は既に十代の頃から胸にあたためていたが、まさにその僕の十代の最後の冬、昭和の終わりとともに、この夢は儚くなった。

 (もっとも、もし「あの世」なるものが本当にあるならば、そのあり様によっては、実はまだ可能性は残されている。人知を越えることであって、それが「無い」と断言はできない。僕が「叶わずということはまだ一つもない」と言える論拠は実はこれだ。^^;) もちろん、今回述べているように、一応は「一つだけ不可能だったこと」としつつも)

 しかし考えてみれば、僕の年齢を考えれば無理もなきこと。その後どれほど
陛下にお元気でいてもらえばすんだのかと考えると、もとより厳しい話ではあった。^^;)

 さて、余談が長くなったが、今日は文庫新刊から「陛下の御質問 〜昭和天皇と戦後政治」を紹介したく、かくは僕自身の思い入れをついつい無駄語りしてしまった次第。^^;)

 この本は僕は非常に好き、気に入った。
 お薦めしたい対象の人というのは、数種が考えられ、
 まずは
昭和天皇に強い敬慕の念を持つ(敢えて低俗な言い方をすれば「ファン」である)人に。
 これは、文句なくお薦めできる。これまでにも類書はいろいろあるが、この本も、実にお人柄を浮き彫りにしている。

 次には、視点はさまざまであれ、思想的、学問的に立憲君主制ということについて、あるいは、よりプラグマティックには現実に今日の政治、社会における天皇のあり方等について考える人々に。

 これも稿を改めて述べる機会を持ちたいが、僕もこの点についてはさまざま考え続けているが、なかなか難しい。
 この本でも随所に示されるような、個人的な資質、ご見識といったものはどうしてもその個人としての御身に帰すものであって、システムとして前提することはできない。

 一方で、英国においてエリザベス女王も評されるとおり、天皇であるとか国王というものは、政治に実権を持たないにせよ、政治に格別の関心を持ちながら、あらゆる首相、閣僚より長期間にわたって一貫して国政を身近にかつ真剣に眺めてきておられるという点で、よほど凡愚という場合でもない限りは、自然に相当のご見識を身につけ得る。

昭和天皇におかれても、戦後の錚々たる政治家が御前においてさまざまに汗顔させらたという、その御質問の鋭さ、着意の的確さ等はつとに有名であるが、戦後の天皇の位置づけということは御自身もよくよく気をつけておられ、そのアプローチは決して苦言でもなければ賛意でもなく、まして御指導などということでなく、常に「御質問」という形で政治家の注意を喚起なさるということであったように思われる。

 もちろん、こうしたことが権限関係にないものとしても、一定の人間的影響力を与えずにはいないという意味で、それが果たして政治システムにおいてどうなのかということはあるにせよ、少なくとも僕の観察するところ、これを厳しく否定する必要があるような程度に至っているとは思わないが、いずれにせよ、この議論は今日は措こう。

 しかし明け透けに下世話な表現をすれば、昔でいう御隠居さんさながら、万事につけよく物事を経験してこられた立場からの、「指導」ではなく「陶冶、感化」ということでは、前述したとおり基本的に君主というものはどんな政治家よりも長く政治と国民を見ていく場合が多いということからも、システムにおける健全なひとつの安全装置ともなり得るのではないかとも思う。
 ちなみに本書においては、戦前から終戦直後頃までは、
昭和天皇が「首相教育」をご自分の任務と考えておられたふしがあるとの件りに、僕は非常に印象を受けた。

 このあたり、目くじらを立てるかどうかだが、しかし現実には、御内奏、御進講ということには法的根拠がない。が、上述したように、それを排斥するのではなくひとつのシステムとしてむしろ肯定するに仮にしても(もちろん政治的発言機会という意味ではない)、何らかの根拠を整備する必要があるのではないだろうか(現に宮内庁から大臣への内奏の依頼は拒否できるので、希望しないものは断ってほとんどしない者もある)。
 そうした整備を欠けばこそ、いつ何らかのきっかけで火のような議論にならぬとも限らないし、またあるいは、そうした機能が「健全」の枠を逸脱することを防ぎ得ないとも言うことはできる。(御人柄等から今日当面そういったことはないだろうが、政治とは万事、事前平和のうちに手を尽くしておくべきものだ)

 また、今日において宮内庁官僚は、他省からの出向持ち回りによってまかなわれている面も強く、こうした問題のみならず、非常に僕などは宮内庁の能力ということについて憂える点も多い。

 最後に、お薦めしたい人の三番目だが、部下の教育ということについて関心のある人に。
 これはおそらくはいかにも僕ならではの見方かもしれないが、(そしてこれも別に記事を立てるつもりだが)部下の教育、それも、自ら考え判断することのできる部下の育成には、上司の「質問」という手段が非常に有効だと僕は思っている。

 実は僕自身がはじめて赴任した場所の上司が実にそういう人であったけれども、当時僕はまず、あるシステム網のステイタスと当日の整備あるいは訓練各種の計画等を毎朝その上司にレポートする役を仰せつかった。
 毎日毎朝、僕は部下にレクチャーを受け(当時は実に未熟だったた)、そして報告に行くのだが、上司は、のほほんとした感じで、さまざまなことを質問され僕は四苦八苦するのだが、後に思えば、ほとんど全て上司は知っていることばかりだった。

 もちろん上記のような例はごくごく初歩的なものだが、あるいは後に僕自身の上司としての経験からも、部下を育てるためには、まず仕事を適切に割り当てること、その後はいかに余計な口をはさまず、とりあえず黙ってやらせるか、ということが重要だ。
 かと言って、そこで監督を放棄するということでは、それはただの放任になる。
 部下の様子、進捗は絶えず観察し続けるのだが、そこでアドバイスが必要な場合、修正が必要である場合、それを安易に指示してしまえば、教育効果は大いに減じる。そこで上司が使うアプローチが「質問」という手段なのだ。

 質問すること、自ら気づかせること、考えさせること、そして(さも)自分の力で解決させることである。
 そのためには、自分自身百も承知のことを質問もするし、あるいは、部下の目が届いていないと思われる点を質問して注意喚起をする。(こうしたテーマでは、またいずれ書いてみたいと思う)

 そして、実は
昭和天皇は、こうした手段において素晴らしく優れておられるのだ。
 もちろん、その由来は、臣下の育成ということよりもむしろ、帝国憲法から現行憲法を通じて規定されてきた立憲君主の本旨ということを踏まえるための、つまり自ら政治的指導を行ってはならないという要請からくるものであったろうけれども。

 よって、御質問のされかた、ご様子ということをいろいろ見ていくと、こうした点で実に勉強になるのだ。
 そこで、そうした意味での関心、熱意のある人にもぜひ触れてみてもらいたいと思う。

 さて、本に話をもどすと、そのタイトルの通り、「御質問」に焦点を当てて、さまざまに紹介している。
 上記三点に該当しない人でも、単に読み物としても非常に読みやすく、面白いものになっているので、ぜひ一度手にとってみられることをお薦めしたい。
 本書は、今回文庫として新刊であるが、平成4年に出版されたものの文庫化ということだ。

 最後に、例によって少し本文から引用して紹介しておこうと思うが、長くなったので、後編に続けることにしよう。

 後編に続く

 
posted by Shu UETA at 18:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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