2005年05月14日

祝日法改正


 昨日午前、改正祝日法が可決し、ご存知のとおり、「みどりの日」が「昭和の日」に、「国民の休日」が「みどりの日」と変更されることとなった。(07年より)

 僕はどちらかというとものごとの判断に柔軟な方であり、相当に鷹揚でもあるのだが、なんとなく、原則というか筋道ということは重視したいタイプだ。

 この度の祝日法改正については、その話が端緒のころから、あまり賛同はしかねていたのだけれど、格別反対するほどのことと声を大にする必要があるわけでもなく、ただなんとなく後味がすっきりしないだけだ。


 仮にも法で定める祝日たるものは、本来それぞれに相応の拠るべき言われであり意義があるのであって、単にゴールデンウィーク成立を容易にするために「国民の休日」を設けたことも僕などは愉快ではなかったが、まして今回のように軽薄に差し替え差し替えするとはいかがなものか、と。

 とりわけ、「みどりの日」自体がそもそも昭和天皇のお人柄を偲んでのものであったことでもあり、時宜を得て「昭和の日」に改めるところまではともかく(これはもとより昭和の日としていてしかるべきものだったのだし)、浮いた「みどりの日」を、じゃあ「国民の休日」が何も意義がないからそこに当てはめよう…ということではいかにも軽すぎるというか、では一体「みどりの日」とは何なのかと言いたくもなる。

 国民の祝日ということ、またひとつの法ということは相応に尊重すべき重みがあるべきであって、徒に利便ということのみで軽々しく操作する風潮に、(その改正自体は国民にも社会にも何ら害がないので大反対するには当たらないけれども)何やら今日の政治の軽々しさというか筋を通すということの軽視、無原則ぶりを感じてしまう。

 かつて「国民の休日」なるものを設けてゴールデンウィーク成立を容易にしようとした時点で既に小賢しい手管であって、ならばいっそ堂々と「国民の休週」でも定めるほうがよほど潔い。^^;)
 あるいは、いっそ「みどりの週」にしてしまっては?すると、Green's Weekということで、GWという略号はそのまま使えてしまう。^^)
 (皮肉で言っているのであって、無論本気提案ではない ^^;)

 ある意味どうでもいいことだから党派を超えて皆気安く賛成票を投じるところだろうけど、僕が議員なら反対票を入れておくな(昭和の日には賛成)、だけど僕一人だけだろうなんて雑談していたことがあったが、報道によると、民主党の棄権者4名のうち広野ただし議員は、棄権の理由として「昭和天皇への思いは人一倍あるが、国民の祝日についてのルールづくりがされていない」とコメントしている。これだけでは真意不明だが、ひょっとすると僕と通じるところもあるのかもしれない。

 さて、上記は「なんとなく」というすっきりしない感じということであって、ことさら国民生活や社会、国家に害をもたらす悪法ということではないし、だから声を大に反対を叫ぶほどのものではない。ただ、ものごとのスジとして好きになれないだけだ、という愚痴のような話。

 ところでこのことでふと思い出したのが、「国家と社会の役割分担」ということについて。

 ブルクハルトは、近代の過誤の一つを「国家の使命と社会の使命との間のある境界がまったく乱れて消え」たことによると指摘している。(同種のことはハイエクもバークも言っているが)

 健全な国家においては「国家」と「国民」の間に「社会」があるべきであって、「国家」と「国民」が過度にダイレクトにつながり、要求し合うということが、多くの害悪をもたらす(具体的には、政府の肥大であったり、国家の過度の強権、国民の要求による国民への圧力(人権擁護法案もこの種だ)等々)ということを踏まえたものだが、
 そしてそこから一気にレベルダウンするけれども ^^;)、
 例えばゴールデンウィークのようなものを政府が法によって保障しようなどということが、果たして適切な本来の国家の役割だろうか、ということをふと思うのだ。

 飛び石連休をどうするのか、間にうまく休みを入れてちゃんとゴールデンな連休にするのか、そういうことは「国家」ではなく「社会」の担任すること、つまり会社であり学校であり家庭であり…ではないのか、と。
 (意義ある祝日を定めること自体は国家の役割でよいが、それはあくまで「祝日」であって「休日」の制定ではない)

 サービス業や官公庁の一部等においてはどうせ祝日だから自動的に休みというわけにはいかないのは自明のこと、ちなみに僕などは連休は人が多くてイヤなので、いつだってずらして連休明けに連休を取ってたっけ。

 仕事と違い、たしかに子供の学校についてはそうした操作を個人単位でやるのは無理に近いけれど、しかしそれはその「社会」つまりその学校としても、いろいろ工夫しているものだ。どっかで遠足や運動会をやっててその代休を飛び石の間にはめ込むとか。

 昔も今も力の強い、財界の意向ということも多分にあるだろうけれども、経済効果といってもそれは国家が手当すべき規模でもスジでもないようにも思う。むしろ「社会」の側の話ではないのか。

 ま…これもそう大仰なことではないけれど、ふと思ったということ。
 かつ、これ自体が大仰でなくとも、何がしかそこに今日の社会というか国のあり方が現れているような気もしないではない、などと、ふと。万事、蟻の一穴ということもあるなと、ふと。^^;)


posted by Shu UETA at 12:10| Comment(4) | TrackBack(2) | 天下-vision・社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
imaichiです。
今、某国(先進国)にいます。昨日、たまたま早朝6時30分頃、電車に乗る機会があったんだけど、駅はもぬけの空。電車は動いてたけど、日本ではラッシュが始まる時間なのに。夕方も大部分の人は5時、6時に帰り、昼も2時間たっぷりとります。さらに、春、夏のバカンス2週間以上というのが一般的です。もちろん全員ではないけど、日本とのあまりの違いにかなり戸惑ってます。文化の違いと言ってしまえばそれまでですが、国民によりゆとりをもたせるというのは、社会の責任でもあるでしょうが、その土俵作りは政府が先頭に立って実施すべきことだと思います。
これは国民性の問題なのかと思いますが、日本人は法律によって強制されないと休めない気性なのでしょう。逆に言えばこういう国民性故に、戦後、驚異的な発展を遂げることができたのではないでしょうか。
といっても、文科省のゆとり教育のような失敗例もあるので、さらに逆を言えば、日本人にゆとりをもたせると、経済が没落するような気がしないでもないけど。
Posted by imaichi at 2005年05月14日 18:10
> imaichi

 そうっ、まさにそこなんですよね。
 この命題における賛否の論点は。

 コメントにもらった通りの感覚はもっともなことで、おそらくそうした感覚がある程度社会一般に共有されているから、すんなりときたんだろうと思います。

 僕も、ここは実際迷うところ。

 にも関わらず上記のような問題提起を行ったのは、近頃、民主主義と全体主義もしくは衆愚政治の間のさまざまに感心があっていろいろ勉強したり考えたりしているんだけれど、ある意味、本文に書いたような政府への無用な権力付与であるとか、政府の社会への干渉ということが、ある程度そうした方向へのベクトルを持っているということに最近気づいたもので。

 まあ、本文中にある通り、この休日の話だけを切り出してそれにそういう意味での危険があるとまでいうわけでは毛頭ないけれど、もしも、そうしたもの(政府と国民生活の関係)が「体質」化していくならば、その体質化自体は由々しいなと。
 そこで今回、たまたま祝日問題をダシに、その辺のことをわずかに提示してみた次第。

 「政府が先頭に立って」というのは国民生活や福祉に関しては意外に危ない場合も往々にあったりするので…

 そうした意味合いで、最近は、国民主権を謳う国であればあるほど、国民の福祉や権利に関することについて政府があまり介入することには慎重な姿勢が必要だなとの思いを強くしてるところ。
 いわゆる「大きい政府」と「小さい政府」論にも近い面があるんだけどね(もちろん別種だけど)。僕はどちらかというと「小さい政府」論に近い立場なので。

 (ちょっとこの紙幅での説明では短過ぎるだろうので、またいずれ記事でも書いてみるよ。興味深いテーマではあるので。)

 それに、ゴールデンウィークに関すれば、本文中にも触れたとおり、今時は国民の多くにしてみれば必ずしも職業上休暇と関係ない場合も多いしね。

 ところで、いったん上記の視点を忘れて、全く別の話として祝日法に限定して考えてた場合、やはり僕は(たとえ建前でも)ちゃんとそれらしい意義を付した「祝日」を制定するのがスジだろうなと思う派です。^^;)
 つまり「国民の祝日」なんて適当なものではなく(もう無くなるけど)、そして、じゃあ「みどりの日」はこっちにすりゃいいじゃんなんてものでもなく。
 そのあたり、たとえ建前でもと書いたけど、そういう建前は大切じゃないかあと僕なんかは思うわけです。

 話はかわって、
 仰る通り、たしかに労働負荷的なものの政治による調整は難しいですよね、技術的にも、それがもたらすさまざまな可能性的にも。
Posted by Shu at 2005年05月14日 19:43
初めまして。
TBさせていただきました。m(__)m
わたくしめも、

「どちらかというとものごとの判断に柔軟な方であり、相当に鷹揚でもあるのだが、なんとなく、原則というか筋道ということは重視したいタイプ」

のせいか、「万事、蟻の一穴ということもあるなあ」とのご感想には共感いたしました。

ご健筆、期します。
お閑なときに、小生のプログにも遊びにいらしてください。(苦笑
ではでは・・・
Posted by atlante at 2005年05月15日 16:55
> atlanteさん

 はじめまして。
 コメント&T/Bありがとうございます。
 早速拝見いたしました。

 この記事にいただいたコメントでの有難いお言葉同様、「開かれた国益」に関する記事には、私のほうでたいへん共感いたしました。

 幸い、以前の記事で関連するものがありましたので、恥ずかしながら、T/Bをお返しさせていただきました。

 今後とも、よろしくお願いいたしますっ
Posted by Shu UETA at 2005年05月15日 17:38
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