2005年05月13日

新国際ABM条約


 The Globalization Of World Politicsのblogの方でエントリした記事をこちらにも転載 ^^)


 上記blogでytさんが問題提起された事項のうち、冷戦後、つまり今日における核戦略、ABM条約とBMDについて考えてみた。

 ちなみにここで僕が提起しているアイディアは、先日toyboxさんとコメントをやりとりしながら思いついたもの。(いつもながら、自分で当初思いつかなかったことを、コメントを書いたりしていて思いつくというのが、またblogの素晴らしいところ ^^)

 趣旨は、 
  •  大国による陣営国管理体制の終焉と核拡散傾向により、大国間での核戦力バランスによる抑止戦略は既に目下の蓋然性高い危機に対処し得ず、ここで既にABM条約には限界
  •  今日の脅威対応にはBMDを整備せざるを得ないが、アンチBMDは技術的に困難ではなく、大国間においてはいずれ一定のバランスは成立し得る。そこで問題は、そうした技術の管理、つまり拡散防止になるだろう。
  •  新たな国際的抑止・管理構想として、BMDをNMD的なものにとどめず、国際的BMD網を構想してはどうだろうか。
  •  そのプロトタイプ的に、日本のMD構想においては、集団的自衛権の問題をも発展的に解消して、いかなる国のいかなる国に向けた弾道弾も、これを許容しない旨を宣言してはどうか。


 ABM条約が前提としていた国際環境は、米ソを主正面とした核保有大国間の相互確証破壊(以下、MAD)の認識による核使用抑止だったが、冷戦後顕著になっている核保有宣言国の増加ならびに(ソ連崩壊自体が大きな動因となっている)核技術流出拡散の潮流から、今日の国際社会が直面している核の脅威は、既に大国間でのバランス戦略によって抑止できるものではなくなっている。

 むしろ、今日の国際環境においては、仮に相手の核反撃がなかろうとも(核不保有もしくは大規模先制により)、いわゆる大国が戦略核兵器を使用することは国際社会において到底許容され得ず、政治的にそうした使用のメリットは無きに等しいと思われる。

 この点で、今日においてはBMD構想を待つまでもなく、既にABM条約は米露等をはじめとする諸国(特に米)の国家安全保障においてその価値を大いに減じている。

 一方で、今日及び近い将来において国際社会が直面する核脅威はそうした大国ではなく新たな核保有国もしくは国際テロ勢力であって、こうした脅威(特に後者)に対してはMADによる抑止は期待し難く、ましてABM条約のテーブルに関係しないそうした新たな脅威主体に対してABM的枠組みは無力である。

 米国のBMD整備に対し、核バランスを損なって抑止力を失わしめるとして大いに反対してきた中露も、その後今日においては上記のような認識を深めつつあるのではないだろうか。

 ちなみに、BMDシステムの技術的高度さに比して、アンチBMD的手法というものは比較的容易であって、既にロシアにおいては米国のNMDをくぐり抜け得るシステムを開発している。
 (技術論は本日のテーマではないので詳述は避けるが、ロシアの場合はミサイルの高速化と飛行中の自由な軌道変更、さらにマルチ弾頭、デコイ(おとり)による。おそらく米国のMDでは有効対処は不可能だろう)
 一方で、反対派の中露も一応のロシア版BMDミサイルシステムを整備している(中国はロシアより購入)。

 昨年のロシア軍戦略ミサイル演習においては既に上記の高性能巡航ミサイルが使用され、ロシアは条約規定通り米国に通知したが、ペンタゴンも何の異議も非難も表明していない。

 したがって、米露間をはじめ、大国間においてはBMD完整によるバランス崩壊ということは、さほど重大なものとはなるまいと思われるし、当然そうした技術動向はペンタゴンとて重々承知だろう。

 むしろここで重要な問題は、そうした技術がやはりロシア等から第三国へ流出することだろう。もっとも、この場合は技術流出があってもその実現(製造)能力に相当の規模が必要であろうので、技術というよりそのシステムそのものが輸出される等のことが防がれればよい。
 そうした管理面でのロシアに対する要求を米国はするだろうし、ロシアも今日のテロ的脅威は他人事ではあり得ず同意するだろう。ただし、中国に対しては輸出されるかもしれない。しかし米国はこれも認めるのではないか。

 話をもどして、今日の新たな核拡散への対処のためには、BMDシステムの整備以外には軍事面で打てる手はあるまい。先手先手で確実に脅威を発見し撃滅するということが常に確実に、かつ適切に行われれば別だが、確実性もさることながら適切さで言えば大いに不正義を行う危険性はきわめて高い。

 ここからは僕の個人的意見だが、
 大国間における抑止は前述したような政治的国際環境から来るものと、ABM的機能のある程度の継続によりクリアされ得るとして、新しい脅威に対する何らかの新体制を構想するべきではないだろうか。

 具体的に僕が目下研究している案としては、BMDシステムを単にNMDとして(National、つまり国家防衛として)よりも、国際的なBMD網を有志国家で構築し、いかなる国によるいかなる国に向けられた弾道弾も、これを撃墜するというものである。

 有志国家とは言ったが、具体的には条約となるだろう。

 この条約には、中露も案外乗るのではないだろうか。
 米国も微妙なところはあるが ^^;)、しかし現実の主たる脅威を考えれば、メリットは大きいのではないかと思われる。
 米露中欧に日印といったところである程度形になると思う。

 日頃からブッシュ大統領が繰り返すとおり、BMDシステムそれ自体はきわめて防御的な兵器システムであって、その使用が弾道ミサイル発射国の政治的軍事的意図を挫くとしても、人命、財産、領土等を侵すものではない。
 そこで、核をはじめ生物、化学といわゆる大量破壊兵器を搭載している蓋然性が高い弾道弾の発射そのものを、国際社会に対する攻撃とみなして、探知及び撃墜可能領域を通過するミサイルは自動的にこれを撃破することとする。これは条約加盟国が発射したものについても同様である。

 これは、大国間におけるABM的枠組みを二重に保障することになるし、それら大国及び国際社会一般が最も恐れるべき新たな脅威に共同で対処するものとなり得る。

 僕はこうした構想をぜひ日本から提案、周旋したいものと思うが、まずそのプロトタイプ的に、日本のMD構想自体をそのような性格のものとして宣言してはどうかと思っている。

 日本においては、MDが対処すべきミサイルを、それが日本に着弾するものであるのか他国に向けて撃たれたものであるかの別をめぐって、集団的自衛権行使の是非の観点からちまちまと議論が続いている。
 政府は現時点では、日本に着弾するもの以外は無視すると答弁しているが、例えば米国に向かうものは見逃すということの国際通念的にみた道義の問題(実際には米国には十分独力対処能力があるとしても)、さらに、至短時間で必ずしも正確に見極め得るとは限らないという問題がある。

 そこで、新たな思想を国際社会に提示してはどうだろうかと思うのだ。
 それはつまり、集団的自衛権という枠組みとは別に、弾道ミサイルの発射というものを人類社会に対する攻撃とみなすという新発想であり、よって、我が国の対処可能エリアを通過する弾道弾はすべて撃墜すると国際的に宣言するのだ。

 ブッシュ大統領の解説を待つまでもなく、我が国が整備するものにおいてもMDシステムは純粋に防御的システムであって、いかなる国の弾道弾を撃破しようとも、それが他国(発射国を含め)の領土、国民の生命を侵すものではあり得ず、我が国の平和主義に抵触するものではないと考えられる。
 むしろ、「世界の平和を希求する」国家を標榜するにふさわしいとすら言い得る宣言かもしれない。
 あわせて、整合性を一貫するために、米国に対しても、弾道弾の先制使用については我が国領域の飛行を認めない旨の協定を結ぶ(非核三原則的に)。

 国内においては、この論をもって集団的自衛権の問題を超克する。
 詭弁だという声もあがるかもしれないが、いやこれは同盟関係を基盤としたような低次のものではなく、人類社会の平和と人道上の、平和国家としての断固たる決意であるのだとビジョンを示し説得するのが政治家の腕だろう。

 国外に対しては、新たな大量破壊兵器抑止の思想を提示し、引き続き、国際的な新ABM条約(前述の国際BMD網)を提案して主導する。

 目下研究中であり非常にラフ、かつ現段階では多分に夢想的傾向もあるかもしれないが、あくまでひとつのideaの芽として、途中経過ながら紹介してみた次第。^^)

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posted by Shu UETA at 12:18| Comment(5) | TrackBack(0) | 天下-政策等 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
imaichiです。
上記のような無差別ミサイルディフェンス構想は面白い発想ですね。しかし、そのようなシステムを日本が独自で開発でき、それを実行したとしたら・・・
弾道ミサイルで先制攻撃をするということは政治的な解決がもはや不可能な状況における武力行使段階であり、その段階で第3国である日本が介入すればどうなるか。自明でしょう。もし攻撃実施国が本気で真の対象国を破壊を意図しているとすれば、当然、日本も対象国の一員とみなされ、第2発目、第3発目は首都東京か、ミサイル発射基地をねらってくるでしょう。場合によっては、対象国よりも先に日本が狙われる危険も考慮しなければなりません。更には、当の攻撃対象国自体からも狙われたりして・・・
そうなると次は日本が攻撃拠点を攻撃せざる得ない状況に追い込まれるでしょう。
もし日本がそういった状況にも耐えうる他国を凌駕した技術(信頼度120%)と政治的・軍事的環境(現在の米国並み)にあれば良いですが、まあ無理でしょうね。50年後は分かりませんが。
つまり、私が言いたいことは喧嘩に割って入ってもろくなことはないし、そうすることによって平和を追求していると思ってくれる国は少ないでしょうし、国際的な抑止力にもなりえないと思います。よって、日本のBMD構想は、現実的に、自国及び軍事的同盟国(現時点であれば、米国)に限定するべきでしょう。このようなシステムを日本が保有できれば、日本に媚びうって軍事同盟を求めてくる国が増えることは当然予想されますが。
個人的には政治家の方々には、卓越した発展的集団的自衛権よりも、日本の防衛力を国際標準に戻し、日本独自(米国の依存度を局限した)の軍隊(別に自衛軍でもいいけど)を整備することに力を注いで頂きたいものです。
Posted by imaichi at 2005年05月14日 06:07
> imaichi

 ま、一般論としてはたしかに ^^)
 まだ祖論というか、ある程度新しさを追求すると常識的に出てくる反論も当然あるもので。^^;)
 が、今回については、おそらく僕の書きかたも悪かったかもしれないけど、文意の誤解からくる論点のズレですね。

 ちなみに、
> そのようなシステムを日本が独自で開発でき、それを実行したとしたら・・・

 ではなくて、あくまで現在予定されている、米国システムの運用において、の話。

 よって、つまり同時に、「日本の対処可能性のある領域」とは、対日本ミサイル以外には事実上対米国しかなかろうかと思います。

 さてつまり、僕はあくまで政治の話をしているのですが、要は、事実上米国とのことであったとしても、それを米国との同盟に基づく集団的自衛権とせず、ミサイル発射自体を人類への攻撃、テロ的行為と考える(ことにする)ことで新たな国内政治の視点を開き、かつ、それを延長する形で、新たな国際政治の枠組み、価値観を創出してそれを主導するというものです。

 おそらく、何か日本が高性能な防御システムを開発して、世界を守る、みたいな方向への誤解から、すれ違っているかもしれませんね。^^)

 有志によるBMD網(新ABM条約)も、基本的には各国保有システムによりそれぞれ行うもので(事実上米国製とロシア製になるでしょうけど)、「網」とはいってもそれはシステムとしての「網」ではなく、あくまで「条約」という政治上の合意の話です。お互い、BMは許さず撃ち落としましょう、という「条約」であって、世界ネットワークの新型システムなどではありません。

 いわば、ある意味で一種の新しい形の相互確証破壊のようなものでしょうか。破壊の対象がミサイルであるという点で意味は違いますが、国土でなくミサイル破壊という点で、人道的にも敷居が低くなるのではと思います。

 かつ米国にしてみれば、これへの賛同国が増えれば、米製システムの輸出もしくは米軍の駐留オプションが生まれ、ロシアについてもCIS内において現在失っている求心力をある程度復活できると考えるかもしれません。

 と、いうことで、おそらく今回もらった反論には当たらないと思われます。
 あり得る批判としては、最大の障壁として米国の考え方、国際戦略観次第というところでしょうね。
 米国が乗らなければ、はや頓挫ですから。^^;)
Posted by Shu at 2005年05月14日 08:48
> imaichi

 訂正と追記

 「祖論」は「粗論」の誤り ^^;)

 追記として、
 ちなみに僕自身は集団的自衛権行使許容すべき派です。
 あくまでこの案は、政治的に合意が得がたい状況を想定してのものです。
 理想論と現実論双方を考える必要があるので。
Posted by Shu at 2005年05月14日 08:51
imaichiです。
>日本のMD構想自体をそのような性格のものとして宣言してはどうかと思っている。

>あくまで現在予定されている、米国システムの運用において、の話。

上の2つは別物(ベースにはなっても)だと認識していますが、私の誤りでしょうか。

>ミサイル発射自体を人類への攻撃、テロ的行為と考える(ことにする)ことで新たな国内政治の視点を開き、かつ、それを延長する形で、新たな国際政治の枠組み、価値観を創出してそれを主導するというものです。

十分に理解してます。おっしゃるとおり国内政治に最も力点も置くべき。だからこそ、日本が攻撃されるようなリスクを無条件に負うのはどうかと言いたいだけ。

当然、私も当然、集団的自衛権行使は賛成派ですよ。Shuの提唱するものは、これとは性格を異にするものです。

>日本が実施すべき政策は、結果がもたらすリスクと常に天秤がかけらるべきものでしょう。
おそらく、何か日本が高性能な防御システムを開発して、世界を守る、みたいな方向への誤解

故に、上記のようなシステムによってリスクを零にできない限り、実行は難しいと言っているだけで誤解(前述の部分は除く)はしてませんし、私が論点をずらしたとも思ってません。

仮にそのような提案で「世界の平和を希求する」国家を目指すにしても、国際社会で真にリーダーシップを発揮する必要があるだろうし、そういう国家になるためには主に国内で解決しなければいけない問題が山積みですね。
Posted by imaichi at 2005年05月14日 09:33
> imaichi

 う〜む すれ違ってると思うんだけど…まあ、またいつか直接話したほうがいいかもね。^^;)

 結局米国と共同対処することになる部分について、その根拠論法を言い換えるだけの話(故に政治の場で詭弁と非難される可能性を本文中に指摘している通り)であって、それによって本来であれば不要な戦闘に巻き込まれる可能性を生むというものではないんだけれど。

> 日本のMD構想自体をそのような性格のものとして宣言してはどうかと

 これも、「構想」というのは政治的構想であって、システム構想ではないので。
 「なぜ」「どのように」システムを使うのかという答弁のレベルの「構想」。
 米製のタンカーを輸入しても、それをどういう目的でどのように運用するかという次元の「構想」と同じ意味。(他国侵略のための攻撃機の足を伸ばすあめに使うのではありません云々、みたいに)
 よって、ここでいう「日本のMD構想宣言(つまり運用構想というべきだったか)」と、システムが「米国システム」であるということとは次元の異なる話であって、両立し得ます。(日本の運用構想で米製のタンカーを使うような意味で)

 ただし、タンカーとは異なりMDは目下システムとして米軍と連携不可欠なので、よって「米国が乗っててこなければ構想は頓挫」と相成ります。^^;) 

 ちなみに、日本国内のことは別にして、つまり日本が主導するとしないとにかかわらず、国際面では、ここでいう新ABM条約は、ある種の抑止力は持ち得る新たな枠組みアイディアの一つにはなると思います。
 本文中にある通り、その主たる国際的抑止対象は核大国を想定しているものではないので。

 国内面においては抑止力のメリットではなく(というか抑止には何の意味もないでしょう)あくまで、集団的自衛権の議論超越のために、
 国際面ではそれと全く別に、新たな抑止枠組み提案として、
 と、双方全く別の意味合いで、ついでに併せて述べているに過ぎません。


> 仮にそのような提案で「世界の平和を希求する」国家を目指すにしても

 ここも誤解というか(あるいは皮肉? ^^;)、そうした国家を目指すためにそうするというのではなく、国会等において、そうした理想を振りかざす反対勢力に対する説得材料にもなり得るという交渉技術上のメリットの話です。

> 集団的自衛権行使は賛成派ですよ。Shuの提唱するものは、これとは性格を異にするもの

 いや…さきほど「追記」したのは、あたかも自分が集団的自衛権行使に反対であるためにこうした超越案を考えているわけではなく、自分は賛成であるけれども反対派が多いために考えた、ということを言うために一応誤解を避けようと念のため追記したのであって、この案が集団的自衛権だなどとはもちろん思っていませんよ。(それだと僕はバカ過ぎるでしょう ^^;)
 そうではなく、あくまで集団的自衛権議論を肩すかしするための(詭弁というかある意味ずるい ^^;)プランです。
 (将来、この部分はカットします、あまり声を大にして言うことではないので (笑)

 いずれにせよ、どうも噛み合わないようなので、もし興味があればまたいずれ会った機会にでも。^^)
Posted by Shu at 2005年05月14日 10:19
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