2005年05月11日

皇統の本質


産経新聞には「私の正論」という読者の論文コンテストのようなものがあるのだが、昨日には、その第366回「女性天皇について考える」の受賞者が発表されていた。
 入選2名の作品が掲載されていたが、そのうちの一名の方の論について、その粗雑さに呆れるとともに、しかしそれ自体はごく一般市民のひとつの見識としてこれを責めないとしても、そうしたレベルにあるものを選ぶという選者の側の見識に対して、非常な落胆を感じた。

 僕自身は必ずしも自分と意見を異にしようとも、むしろ筋道だった論理で納得させられることにも快感を覚えるくらいのタイプだが、そして今回僕が批判している論文はたまたま現に僕と見解を異にしているけれども、僕が「粗雑さ」というのは通常、論理の飛躍もしくは破綻と事実の認識不足を指す場合が多い。

 今回のその方の主張は、直系を重視して男女ともに継承するというもので、その主張自体はよいとしても、その論拠が粗雑であって、それに第一級の評価を与えている審査員の見識が疑われるように思われる。それは無論、ひいては産経新聞社の見識ととらえられても仕方あるまい。
 僕自身もこの企画は常々面白そうだと思っていたが、こうした程度を見ては、僕が論文をここに送付するような気は最早失せた。^^;)

 全体的に粗雑の感は否めないものの、特に印象的なのは次のような点だ。

 「直系の愛子様を女性を理由に皇位から排除したりしては、国民の強い反発を招こう」との主張、

 皇室存在の不変的(原文まま)本質は、皇室そのものの存在であり、男系であるとか女系であるということではない、という主張、

 そもそも男系継承は男尊女卑の中国儒教文化の影響下に醸成強化された習慣であるとの断言、

 女系はミトコンドリアDNAによって人類始祖にまで遡ってたどることができるのであって、論理的には万世一系は女系継承であるべき、との主張。


 僕が以前に書いた記事(「女性天皇」)を既に読んでおられる方でなかろうとも、例えば上記各点のような断言が安易に首肯できるものではないのは明らかではないだろうか。

 まず第一点目においては、女系回避ということと、女性天皇否定を同一視している錯誤が見られる。
 男系ということでは、愛子様までは男系であられるのであって、そのお子様から女系になる。ゆえに、男系保持という点では愛子様の皇位継承を否定するものではなく、今日の男系主張者とて女性天皇は容認しているのが一般的だ。


 つぎに、「本質」などという言葉は非常に重みある言葉であるが、皇室存在の本質を単にその存在に求めるということでは、歴史上に再三見られる皇統断絶を避ける非常な苦心が説明できまい。
 むしろ史上においては、たとえ先の帝からいかに血が遠かろうと(つまり直系でなかろうとも)、なんとかたいへんな努力をして皇祖につらなる男系の親戚を探し出している。

 また、今日では安易に同等視される西洋の王室等と比べて、皇室はその存在意義が明らかに異なるものであり、そのあたりの差異にこそ、「本質」なるもののヒントがあるのではないか。

 王室とは過去にあっては征服者であり、故に統治者であって、今日においては国家のシンボルとして国民が合意のもとに奉戴しているものである。
 過去現在の双方の意味において、そこには西洋流の契約的感覚も背景に流れていよう。
 これは会社の社長が、社員にとって契約上のボスであろうとも、けっして親戚でもなければまして家族や親ではないのと同様だ。

 皇室が世界の多くの王室制度に比べて特異であるのは、それが優者に対する契約としての臣従という形よりも、むしろ国家を家と為し、国民全ての総本家であって、天皇はいわばその総本家の家長であるという感覚だろう。
 もっとも、大和政権発足の初期において多分に契約的な連盟的性格はあったであろうにせよ、その後の、もしそれが政治手法であるならば実に卓越した、あるいは宗教観と一体になったものであったとすれば実に幸運な、天皇制の意味づけと制度整備によって、上記のような感覚がすでに相当に古い時代に涵養されていたものと見える。

 皇室が国民全ての総本家であるという感覚がいかに特異な感覚であるかということは、かえって日本人にはピンとこないのかもしれないが、特に西洋の王室と比較して考えてみれば、その特異性はよく理解できるだろう。
 英王室に対してそれを自らとの間で血縁をイメージすることなどは、一般国民としてはナンセンスなことであり、そんな必要性もない。
 しかるに日本においては、長い武士の時代にあってさえ、家の祖をたずねれば源氏あるいは平氏にたどりつくのであって、それはとりもなおさず天皇家につながる血統を言っているのである。

 そして今日においては、おそらく現実に(実際にはそうした現実云々の問題ではないのだが)、日本人のほぼ全ては必ずどこかで天皇家に血縁をもっていると考えられる。
 さきにあげたような源平の例であれば、さまざまな天皇の皇子としての源平各家があるが、たとえば清和源氏であれば清和天皇のところで、嵯峨源氏であれば嵯峨天皇に、桓武平氏であれば桓武天皇において、天皇家につながっているわけだ。
 源平に限らずとも、今日まで時代が下れば、ほぼ全ての日本人がどこかまでたどった時点で天皇家につながることだろう。

 今日においてそうした感覚が多分に薄れていようとも、しかし日本人の歴史的感覚としてはそういう感覚が実に長く保存されてきたのであって、今日薄れているならば、それは今後むしろ温めなおすべき国柄であって、過去の遺物として切り捨てるべきものではあるまい。
 これは単に天皇を総本家として敬えということを時代錯誤的に主張するためではなく、忘れてならないのは、そのようにして国民全てが天皇を総本家となし得るということは、その国民全ては大きな一つの家族であるという、通常においては実に得難い(奇跡的とすら言えるだろう)国民感覚を実現し得るということであり、そこに大きな社会的価値が生まれ得る。

 ここで万世一系ということが意味を持つのではないだろうか。
 なぜならば、今の天皇家が、その歴史上のいずれかの時点で自分と結びついている天皇家と同じ天皇家なのだという感覚を可能にするからだ。
 以前書いた記事で多少詳述したように、代々においてそれぞれ男系と女系が自由に混在しておれば、後代においては、もはや時代時代の天皇家は例えば生物学的には相当にそれぞれ全く別の家系と入れ替わることになる。
 さすれば今日ある皇室とは、そうした日本人総家族的な感覚を証明し得る存在ではなく、他国の王室と同様、単に契約的精神によってシンボルの役割を割り当てられた一つの家に過ぎないことになる。

 皇室存在の「本質」というのは、むしろこうしたところにあるのではないのか。

 そう考えてはじめて、先人たちの時々折々の苦心の理由がわかるというものだ。皇室存在にのみ意義があるのであれば、なにも工夫と苦労を重ねて遠縁の男子を捜し当ててくる必要もなければ、女性天皇の養子取り等の苦心も必要なかったことだ。


 次に、男系主義は中国文化による男尊女卑の思想によって醸成されたという断定であるが、その根拠が不明である。
 論文というからには、そのような新しい命題の提示においては、それが既に社会的な一般通念でもない限り、それを示す論拠がともに示されるべきだろう。

 論理的に反証となり得る可能性があるものとしては、男尊女卑ということであれば、とりもなおさず頂点たる天皇に女性をつけたくはないということが当然予測されることであるが、現実には、女性天皇に対してはほとんど何らの抵抗や反対があった形跡がなく、そのこと自体には何らの摩擦なく数代の女性天皇が皇位についておられる。
 当時の人々が気に掛けたのは、その女性天皇のことではなく、その次代においていかに男系皇族をうまく皇統につけるかということだった。

 今日でも、昔気質の職場においては、女性の上司など耐えられないという空気があったりするものだが、あえてそれを男尊女卑的なものの一種と言えば、その核心は、「女性の上司」という点にあるのであって、女性社長の息子が次の社長になればそれはそれは女系だから困る、というものとは全く異質であるのと同じではないか。
 皇統における男系保持というのは、時の天皇に女性がつくこと自体に拒否反応を示すわけではないのだ。
 これを男尊女卑によるものとするならば、当然それを納得させ得るだけの論拠を示さねば、仮にも論文という形式をとるならばあまりにも乱暴だろう。


 最後は、女系は生物学的にもミトコンドリアDNAによって人類始祖までたどれるのであって、論理的には女系が正しいとの主張であるが、ここには二つの問題がある。

 ひとつは、今われわれは、これから新しく天皇制なるものをつくってみようという立場にはないということだ。
 新しく創設するならば、上記主張のような立場に立って、ぜひうちの天皇は女系でいくことにしようなどと提案することも可であるが、現にわれわれは天皇制創始以来2千年の後の時点に立ち、その保存を考えているのであり、男系と女系のどちらが良いかなどは我々のあずかり知るところではないはずだ。
 仮に彼が主張するように「論理的には女系が正しい」としても、現に男系で守られてきたものを受け取っているに過ぎない我々が、いま女系に変更してしまえば、もはやそれは伝えられてきた一系性は失われる。

 故に以前の記事で述べたように、例えば僕個人として、ここまでの伝統を維持するという立場で、もし女系で来ていれば当然今日においても女系維持を主張するところであるし、しかし実際にはたまたま男系で来ているものを受け取っているのだから、男系保持を主張するというに過ぎない。

 今の時点において男系と女系のどちらが「論理的に正しい」かなど、ナンセンス以外のなにものでもない。タイムマシンに乗って時を遡り、当時の人々に訴えかけるというのでもない限り。^^;)

 さてもう一点は、すでに多くの人がご存知のところだろうけれども、遺伝子的に一系をたどっていけるのはミトコンドリアDNAによる女系のみではないという事実だ。
 男系についてはY染色体によってやはり一系をたどっていくことができる。
 したがって、ミトコンドリアDNAの継承をもって女系を「論理的に正しい」とするならば、その「論理的」というところも実に粗雑と言わざるを得ない。


 なお、筆者は受賞に際してのコメントにおいて「保守とは現実への柔軟な対応性を持つものと思うのですが、最近は原理原則に固執する論者が皇室問題でも多いように感じます」と述べている。

 この文章自体が既に論理的に矛盾しているに近いのだが、「現実への柔軟な対応性」とは「原理原則」をさえ踏まえていれば枝葉に拘らず柔軟に対処する姿勢であるべきであって(まして「保守」というならば)、原理原則とは、柔軟な対応をとるために留意すべき事項であるが故に原理原則なのであって、それを度外視して奔放に行われる行為は、一般にそれを「無軌道」と称する。
 であるからこそ「本質」なるものの把握が重要なのであって、そこを詰める思考に手抜きがあってはなるまい。

 その筆者の方に対しては実に気分の悪いような書きぶりになってしまったが、実際、一般市民の人々はそれぞれに自分の道を持っているのであって、万事について専門家であり得ようはずもなく、多少的はずれであろうともそれがその人の愚かさを示すなどということではない。
 しかし、記事によるとこの筆者は「応募多数で佳作15、入選4回目」とある通り、ごくごく一般の人に比べれば、比較的政治社会にまつわる事項をよく考えている層に入るのだろう。そのような人においてすらこうした脇の甘い見解を示すということ、さらには大新聞社ともあろう主催者の選においてそれが一定の高評価を受けているという点に、民主主義というものの難しさをも想起しながら、なんとなく暗澹たる気持ちになった。
 なにしろ、例の有識者会議においても、発足早々に座長自らが意気揚々と「国民大多数の意見で」などということを宣言しているのだから。

 常々言うことではあるが、国民は賢明ではあるが、しかしそれは適切に判断材料を得ての話だ。
 誰しもそれぞれに生活があるのであって、いちいち万事に専門知識や判断材料など持っていないし持つ必要もない。適切な材料を提示されてこそ、賢明な判断を国民も示し得るのだ。
 裁判の陪審制と同じではないか。適切な審理を見ることもなく何の判断ができようか。

 多分に愚痴にわたって些か気分の悪い文になってしまったかもしれないが (すみません ^^;)、しかし、やはり上記のようなことをあらためて思わずにはいられなかった、女系の許容か否定かはともかくとして。

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posted by Shu UETA at 23:17| Comment(7) | TrackBack(1) | 天下-vision・社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
はじめまして。imaichiです。天皇問題には以前から興味があって、自分なりに研究していましたが、Shuさんの記事を読んで、解決策も含めて自身と全く同じ論調であったので、びっくりすると同時にうれしさもこみあげてきました。
まあ、今の世論としては愛子天皇の誕生を容認する派が大勢を占めるでしょうし、また、そういった世論を意図的に形成したいとする政治的な背景もあるんでしょうね(小泉首相も公言していたように)
私が言いたいことは2つあります。
1 アインシュタインが日本に来日したとき、日本の天皇家の存在を含め「こういう国があることを神に感謝する」という発言したと言われていますが、皇室の存在自体、それを持たない諸国にすれば羨望の的ではないでしょうか。加えて、その血統までも男女関係なく正統に保持しているのは日本唯一です。日本は男系保持というだめ押しまでついてます。こういった世界に誇るべき事実関係を正確に公表(国民に伝える努力)し、Shuさんの解決策にあるような方策をとることこそ、祖先に対する礼儀だと信じています。この件に関しては、多くの国民が無知というよりは、結論ありきで意図的に情報操作をされているような気がしてなりません。私が言いたいのは結果的に男系存続が失われたとしても、それが国民全体の真意であれば、それは構わないと思うのです。天皇は日本の象徴なわけだし。問題は国民が真実(男系の遺伝子学的意義、先人の男系保持のための苦心、過去の女性天皇はリリーフ的な存在)を知らないまま、安易に結論を出すことが非常に恐ろしいのです。
しかし、産経新聞でさえ、そのような論調では、国民に本当の真意を求めるのは相当難しいでしょうね。
2 これは私の妻の意見なのですが、「天皇に男女は関係ないと思うけど、男子がいないから、女性天皇でも作ろうかという発想は、それ自体が女性蔑視的な行為だと思う。もし女性天皇(男系を放棄する)を作るなら、男系嫡子が存在しないというしがらみがない時代でないとかえって、将来、禍根を残すことにならないだろうか。」
こういった見方を私自身がしていなかったので、言われてみれば確かにそのとおりですね。
最近、仕事上、外国人と話す機会が多いんですが、ほとんどの外国人はこの問題を承知しており、幾多の人に意見を求められました。天皇問題は諸外国において相当な関心を持たれているというのは間違いありません。
Posted by imaichi at 2005年05月12日 05:02
> imaichi

 まさかこの記事にコメントくれるとは、こちらこそ実に意外だったよ。^^;)

 ところで、親しき仲にも何とやらとはいうけれど、ネット上とはいえ、ぜひざっくばらんに友人らしく書いてくれてokだよ。

 ところで、
> 産経新聞でさえ、そのような論調では

 これは、この記事冒頭に書いたように、二作品が入選してて、もう片方の論者の主張は、男系維持でそのためにいくつかの旧宮家復興を、というもの。
 したがって、産経新聞の論調としていずれかに肩入れしているわけではないよ。
 そしておそらくは、はじめから両方の意見から一つずつにしようと思ってたんじゃないかな。そのために、片方については多少質が落ちてもやむを得なかったのかもしれない。(わからないけど)
 そうした(両論入選)の姿勢は、他社にくらべるとむしろ産経らしいというか、健全な姿勢ではあると思う。

 今後とも、ぜひ気軽にご意見ご叱責のほどを、よろしくっ ^^)v
Posted by Shu at 2005年05月12日 17:11
imaichiです。
産経新聞の論文はネットでは発表されていないのかな?
もし分かれば教えてくちょうだい。
Posted by imaich at 2005年05月14日 06:10
> imaichi

 いやあ…無いみたいだよ。
 雑誌の「正論」にも載るから、その雑誌「正論」はHPで論文も載せてるんだけど、今見てみたら、まだ先月の論文が最新になってる。^^;)
(ちなみにhttp://www.sankei.co.jp/pr/seiron/koukoku/seiron.htmlから右側の「オピニオン」で行ける)
 もうひと月くらい待てば、そこに出るんじゃないかな。
 急ぐなら切り抜き郵送してあげてもいいけど。

 でも、見て何か勉強になったり、新しい知識を得ることができるようなものではないよ。imaichiが既に百も承知だろうことしか書かれてないから。^^;)
Posted by Shu at 2005年05月14日 09:07
ありがと。掲載されるの待ってます。
Posted by imaichi at 2005年05月14日 18:25
上記ホームページに掲載されたようです。
後者の方はSHUさんの書いていた問題点は気になるものの、全体的な論調は概ね納得できるものでした。両者を読んでみると、やっぱり(良い意味で)産経だなあ、というのが率直な感想です。
ありがとうございました。
Posted by imaichi at 2005年05月19日 05:15
ちなみにそのアインシュタインが言ったという言葉は本当は捏造で
実際は田中智学という思想家が要った言葉です。
Posted by とびりし at 2007年03月27日 20:27
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Tracked: 2005-05-12 20:22
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