2005年05月01日

開かれた国益


 ここ10年ほど、「開かれた国益」という言葉が、そう目立ちはしないものの、たびたび使用され、耳目に触れることもしばしばだ。

 僕自身は、この言葉は、その意味するところの不明快さ、そしてその不明快さゆえに意義がさまざまに異なって受け取られがちであるという点で、拙い日本語だと思っている。
 この点、この言葉は、少なくとも人々に訴えかけるスローガン的なものとしては全く失格であると思うのだが、民主党の岡田代表はこの言葉に大きな期待をかけているようだ。
 (誰もが聞いてそのまま普通に得心するような言葉でなくては、それは政治の言葉として失格だと思うが)

 PKO参加5原則の見直し提唱…民主・岡田代表提言案(読売)

 この読売記事によると、29日、岡田代表が次期衆院選に向けてまとめた外交・安全保障政策提言案が、「『開かれた国益』をめざして」と題されているとのこと。

 そこで、あらためて、「開かれた国益」ということについて考えてみた。

 まず紹介した読売記事の内容は次のようなものである。

 
  •   民主党の岡田代表が次期衆院選に向けてまとめた外交・安全保障政策提言案「『開かれた国益』をめざして」の全容が29日、明らかになった。

  •  「東アジア共同体」構想の推進を打ち出したほか、国連平和維持活動(PKO)に自衛隊が積極的に参加するため、任務遂行目的の武器使用を容認するなどPKO参加5原則の見直しを提唱している。
     民主党が政権を取った場合の基本方針を示したもので、党内外で論議を呼びそうだ。

  •  提言案は、岡田氏が昨年8月に発表した「2015年、日本復活ビジョン」の内容を具体化した。党内で細部を詰めたうえで、次期衆院選の政権公約に盛り込む。

  •  提言案は、日本の外交が「場当たり的」で、中国、韓国、北朝鮮に対する外交が行き詰まっていると指摘。
     「日本の国益を国際協調的に実現していく『開かれた国益』」を目標に掲げ、構想力を持って外交に取り組む必要性があるとした。
  •  アジア外交では、近隣の中国、韓国との信頼醸成を緊急の課題と位置づけた。
     過去の植民地支配などを「謙虚かつ率直に反省したうえで、未来志向の関係を構築する」ことを民主党政権の共通認識とするとし、具体的には戦没者などの追悼のための国立施設建立を盛り込んだ。
  •  世界への貢献策としては、現行のPKO協力法にある自衛隊参加5原則に関連して「5原則は国際的な標準に合わせる方向で見直していく」と明記、武器使用基準の緩和や、停戦合意がない場合でも自衛隊派遣を容認する姿勢を示している。PKOに警察官で構成する部隊を派遣することも提唱している。
  •  国連決議に基づく多国籍軍への自衛隊の参加については、「PKO活動の実績を積みつつ、どの範囲まで行うかを検討する」とした。

  •  岡田氏が外交・安保に関する総合的なビジョンをまとめたのは、民主党の政権担当能力を内外にアピールする狙いがある。とくに、国連主導の下で、自衛隊が海外での平和構築活動に積極的に貢献する方針を表明した点は、民主党の安保政策に対し、保守層や、米政府内の一部に危惧する声があることを意識したものと見られる。
  •  ただ、現行憲法下で自衛隊にどこまでの範囲で海外での活動を認めるかを巡っては、党内に意見の隔たりが大きい。
     岡田氏が、自らの構想で党内を意見集約できるかどうか、リーダーシップが問われる局面もありそうだ。



 さて、外交及び安全保障に関わる政策提言案のタイトルにまでしているところから、「開かれた国益」というものへの岡田氏の思い入れのほどがわかる。

 が、「開かれた国益」という言葉のイメージをどれほどの人々が一般的に了解しているかは疑問だ。

 そもそも「国益」が何に対して開かれるのか、外国に対してだとすれば「開く」とは何か、公開するということか?ともに日本の国益を話し合うということか、それとも、国民に対して「開く」ということなのか、それはまたどういう意味なのか…といったふうに、言葉からはイメージされるのではないだろうか。

 ちなみに、(こうした説明を要する時点で、よくできた言葉とは言い難いのだが)政治用語における「開かれた国益」とは、ただ一国の利害得失のみを考慮するのではなく、互いに影響し合う国際社会の中で、そうした社会全体の利益と一致した形で追求される国益、とでもいうようなものである。

 対外関係タスクフォースの山内昌之氏は、小泉内閣メールマガジン誌上(03年3月13日号)でも、タスクフォース報告書(21世紀日本外交の基本戦略)によせて、ということで、「国益とは何か」という記事を載せているが、そこでは、「開かれた国益」を「長期的に他国の利益との共存・両立を目指す」ものとしている。


 ただし、ここで注意が必要であるのは、国際社会や他国の利益との共存、両立ということが、はなから自国の利益を度外視して(国際社会ならばまだしも)「他国」の利益を目的にするというものでは当然ないということだと思う。
 本来、これはなにもこのように注意喚起するまでもなく至極当然のように思われるところだが、この点、よくよく釘を刺しておかねば、誤った概念が一人歩きもしがちな様子も見受けられる。

 というのも、たとえば冒頭から紹介している民主党岡田代表は、この「開かれた国益」を、主としてPKO等の国連活動と中国韓国等との近隣外交の二点に特に大きく具体化し、後者近隣外交においては当然のようにその具体策の第一を靖国代替施設の整備であると単純化している。

 「開かれた国益」とは、そもそも大平内閣の大来外相による「enlightened selfishness」の訳語として流通しはじめた言葉だとされるが、「enlightened」とは教化、啓蒙された、あるいは悟った、解脱した、というような意味の語であり、「enlightened selfishness」とは、海外の書物では自己啓発本などで見られる表現で、洗練された利己主義とでも言おうか、これも自己啓発本でよく見る表現を借りれば、勝った負けたの「ゼロサム」ではなく「win-win(ともに勝つ、利益を得る)」関係を目指すようなイメージの言葉だ。

 そこで求められる姿勢とは、相手の要求に自らの要求を引っ込めて仲良くすればいいというような程度の低いものではなく、互いに利益を主張する中で真剣に互いと向き合いながら「win-win」を求めていく姿勢、そしてまた、自らの利益に一見無関係な長期的に利他的な行いが結局は我が身の利益にもなるような、ただ自分のことだけを考えるのではなく、広く公益に尽力することで得た信頼感などが結局は翻って自らの利益となるのだという理念だ。

 そこで、そうした理念を語っている話をいくつか引用してみたいと思う。

  そういう価値を守ると同時に当然前提としての生命であるとか、財産であるとか、国を守る伝統であるとか、アイデンティティであるとか。そういうものが渾然一体なんでしょうが、それを必死になって守る。それを守る事はどの国もお互いに認め合っているはずなんです。
 つまり相手の国益をも当然考えなければ、こちらの国益をも十分に考えてもらえないし、こちらの国益を真剣に考えているんだという政策とか姿勢とかを相手に知らせなければいけない。説得しなければいけない。ということも含めて、より相手を真剣にさせるにはきちんとした国益を踏まえた理念でないと、相手は真剣にならないと言うことです。
 エンゲージメントと言うのは外交の基本的な姿であるとすると、国益が一番わかりやすいし、一番染みとおる。相手も国益も当然尊重しながら、ぎりぎりの接点を見出すと言うことです。開かれた国益、システムとして自らの国益を最もより活かすようなシステムを作っていく。開かれた一つのダイナミックな国益だと思いますけれども。
 長期的に国益を考えるなら、相手を活かしながら、賢明に行動する

構想日本、第61回「J.I.フォーラム」2002.7.30「日本の外交はなぜ弱い?」船橋洋一氏(朝日新聞特別編集委員)


  国益を考えるときに私どもが避けなければならないことは、狭い日本一国だけの国益を考える傾向に陥ってはいけないと。今日のように極めて相互依存の発達した複雑な国際社会の中で、ほとんどの資源を海外に頼り、そして国際的な交流の中で日本が生きている。日本ほど開かれた国益といいますか、国際社会とつながった国益を考えないといけない国はないのであって、そういう意味で、私どもが日本一国の国益があるかのように考えれば、それは幻想であると。そういう開かれた国益というのを考えていかなければならない。
 それから、国際連合の話も少し申しましたけれども、国際連合の問題にいたしましても、例えば敵国条項の問題も確かに大きな問題ですし安保理改革も重要な問題ですけれども、日本の利害と直接つながらない国連の広い意味での改革といいますか、事務局の改革あるいは信託統治理事会をどうするのかというような、そういう広い国連改革のような問題、国際機関のありようの問題についても日本が積極的に具体的な提案を国際社会に対して投げ掛けていくというような努力は引き続きなされなければならない。開かれた国際社会の中での日本と。
 そのときに、日本がその国力に見合った、あるいは地理的条件から求められる役割があれば、それは率先して果たすべきであって、例えば今、私、国連のことを申し上げまして、国連無用論に陥ってはならないと先ほども申し上げましたけれども、しかし、逆に国連だけが国際社会の権威の源泉かのような議論に陥って、国連決議がないから何かができない、アメリカの単独行動主義ということがしばしば批判されますけれども、私はそういうのは、日本の主体的判断を国連にゆだねて、日本の単独非行動主義だと思うんですね。そういう何かをしないエクスキューズに国連を使うというようなことはあってはならず、国力と置かれた地理的環境に呼応した責任を果たす覚悟を持ちながら自国の国益を国際社会の中で考えていく努力が必要だというふうに考えております。

第156回国会 参議院憲法調査会(平成15年7月16日)村田晃嗣氏(同志社大学法学部助教授)



 岡田代表のように「開かれた国益」を、事実上中韓へのおもねりを前提とした「隣交」へと短絡的に結びつける傾向は、岡田氏の発案というよりは、かねて以前から経済同友会が主張し、政治に圧力を加えてきたところのものであり、「21世紀日本の構想」において声を大に叫ばれている。
 2000年1月25日の記者会見で「21世紀日本の構想」について、同構想提案のメンバーでもあった小林陽太郎氏は次のように述べている。

  開かれた日本の国益というものをきちんと見据えることである。例えば、中国・韓国を含めた近隣諸国との外交・友好関係をきちんとすることを意識し、あえて「隣交」という言葉を使って強調している。
 また、日本の社会をオープンにしていくためには、きちんとした移民政策を施すことが必要だが、一方で重要なことは、日本の社会が、内国民・外国民対応の差別無しに、我々日本人と同じように生活の質やその他を享受できるようにしていかねばならない。
 また、そうした人達ともコミュニケートできるような、異質なものに対する尊敬の念や物事を共有できる態度、なおかつ、今すぐには第二公用語とまでいかなくても、社会人のレベルでは実用英語を100%できるようにしようと記している。現実的かどうかという議論もあるが、大切なことは、英語が特定の国の母国語ではなく世界の共通語であり、最近のインターネット社会を考えた場合、これはもう不可避であり、この取り組みは、「開かれた国益」とも基本的に関連してくる。


 「隣交」にとどまらず、外国人及び移民問題、英語公用語化提案の萌芽など、財界の利益に基づいた主張ではあるが、もはや「開かれた国益」という概念は大幅に逸脱、もしくは拡大されている。
 今日、民主党、中でも岡田氏が財界の相当の影響を受けているのは間違いなく、氏の構想策定にも大いに経済同友会の息がかかっているものと推測される。

 また、冒頭の読売記事にあるように、岡田氏の今回の構想は、やはり岡田氏自身による昨年8月の「2015年、日本復活ビジョン」の具体化であるということだが、同ビジョンの外交関連分野には次のように述べられている。

  世界の平和をいかにして創造していくかについて、国連を中心とした国際協調と抜きん出た超大国となった米国の単独行動主義との対立が鮮明になっています。米国の単独行動主義への傾斜は、日米同盟と国際協調双方を重視してきた日本外交を大きなジレンマに直面させています。「日本を守ってくれるのは米国だけだ」との指導者の発言に象徴される志のない外交姿勢は、今までの日本が培ってきたアジア諸国や中東、欧州などとの関係を弱め、日本の国際社会における存在感が小さくなっています。


 「日本を守ってくれるのは米国だけだ」との指導者の発言に象徴される志のない外交姿勢、というくだりには僕もまんざら否定もしないが、^^;) しかしそれは揚げ足取りというレベルの話であり、安全保障戦略上の話をいたずらに単純化させて茶化すのは下品だと思う。

 それはさておき問題は、米国単独行動主義を非難するために、それと「国際協調を重視してきた日本外交」を対置させているが、ここには、「国際協調」=「国連」という重大な誤解、もしくは意図的なすり替えが行われていることを重視したい。

 その理想はともかく、現実に国際協調を実現させる主体となるには、安保常任理事国の拒否権等、国連には機構上の不具合が存在するのは今日の常識である。例えばさきのイラク戦争においては、それであるが故に、米国を中心とした「有志連合」が形成されたのであり、国連は国際協調だが、有志連合は国際協調ではないとする根拠はない。

 (知ってのとおり僕はイラク戦争反対派だったので、けっしてそれを弁護するためではないが、論理的に、)場合によっては国連のシステムがむしろ国際協調を妨げ、故に有志連合が生まれたということを無視すべきでない。その際、日米同盟はむしろ国際協調の大きな力にこそなれ、単純に米単独主義への追従とするわけにはいかない場合が出てくる。

 この点、さきに引用した参院憲法調査会での村田氏による、「開かれた国益」の姿勢として、「何かをしないエクスキューズに国連を使うというようなことはあってはならず、国力と置かれた地理的環境に呼応した責任を果たす覚悟を持ちながら自国の国益を国際社会の中で考えていく努力が必要」との言を重く見たい。

 また岡田氏は、それ故に「今までの日本が培ってきたアジア諸国や中東、欧州などとの関係を弱め、日本の国際社会における存在感が小さくなっています」としているが、このような事実をどこに見出しているのか疑問である。ある意味、逆に日本の存在感が大きくなった観すらある。

 ちなみにこうした「開かれた国益」の曲解は、民主党そのものに存在するようで、たとえば03年1月の「政権交代を実現するために 〜野党結集準備委員会報告〜」の中でも、「(自公政権の)米国追従外交は、国際化時代の開かれた国益を台無しにし、かつ国民の誇りを損なってきた。」と宣言している。

 国民の誇り、ということについては僕も全く否定はできないにしても、「開かれた国益を台無しにし」とは、その後の国際的評価からすると、むしろ逆だろうと思う。世界は日本の決断をむしろ「開かれた国益」と評価し大きな一歩とした向きが多く、仮に日本が行動を拒んでいたならば、逆に「台無し」にした可能性すらある。

 民主党に足りないもの、そしてそれが本人たちが気にしている「野党らしさ」につながっているものが何かというと、まず先に好みの結論があって、全てをその主張のために好き勝手に組み合わせるという、論理性の欠如からくる性向だろう。
 あえて胸を張らせてもらえれば ^^;)、また別の理由によるにせよイラク戦争に反対の立場であった僕でさえ、だからといって、このような態度に陥りはしない。


 さて総括だけれども、
 僕個人は「開かれた国益」という戦略概念には大いに賛成だ。
 しかし、それが狭隘に、あるいは曲解されることをおそれる。
 また、そうさせる原因として、「開かれた国益」などという言葉自体が日本語としてうまくない。国民一般への理解のスムーズさも欠き、下手すれば誤って理解されるおそれもある。
 「共生」であるとか「情けは人のためならず」などという方が余程ましかもしれない。
 ODA改革懇談会でさえ、「開かれた国益とは、国民に開かれた国益と理解している」との発言に「そうではない、云々」の議論で無駄に時間をくっている。^^;) 表現として全くうまくない。

 また、民主党によって、「隣交」の、しかも民主党的フィルターを通した思想が「開かれた国益」の文脈で主張されることにも大いに懸念を抱いている。
 民主党については、過度の国連偏重についても冷静な再考を促したい。

 なお、余談ながら、「開かれた国益」という概念を、大陸国家と海洋国家という枠組みで述べている太田博氏(日本国際フォーラム専務理事)の話があったので、もし興味のある方は一読を。
 大陸国家対海洋国家という枠組みは既に色褪せていると感じる向きもあるだろうけれど、なかなか面白く話している。
 ■日本国際フォーラム主催 第3期「海洋国家セミナー」円卓報告討論会
  セッションU「世界秩序と地域秩序」基調報告(2)
  ※同討論会のトップページは、海洋国家セミナー第3期

 さらに余談、たとえば今回のような思索には、toyboxさんが記事で紹介しておられた「ScrapBook」の効果が絶大だ。作業効率が倍ほどにもなった気がする。感謝っ ^^)
 (Firefoxを使っている人なら、ExtentionでScrapbookを探せば(検索すれば)すぐに見つかるので、ぜひ導入をお薦めします)


posted by Shu UETA at 22:11| Comment(0) | TrackBack(1) | 天下-vision・社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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